台湾と共に誇りある国づくり ―安倍総理の志を受け継いで(「日本の息吹」令和6年3月号より)
日本会議地方議員連盟 副会長
栗山欽行 狛江市議会議員
日本会議地方議員連盟 幹事
伊能敏雄 香取市議会議員
日本会議地方議員連盟 幹事
与那原繁 与那国町議会議員
総統選挙戦の最中の台湾へ
― 今回の台湾視察の目的は
栗山
昨年12月26日から28日にかけて、日本会議地方議員連盟第6回台湾研修視察団を結成し、27名で研修視察を行いました。今回の目的は、第1回から私達を迎えて頂いた李登輝台湾元総統の墓参を果たすこと。コロナの影響でなかなか実現に至りませんでしたが、今回ようやく果たすことができました。また蔡焜燦先生を偲んでの懇談会。そして今後の台湾のみならず、東アジア情勢を左右する台湾総統選挙の頼清徳・民主党候補を激励すること。さらには台南市に設置された安倍晋三元内閣総理大臣の銅像に献花すること。
台湾総統選挙については、与党民進党の頼清徳氏、国民党の侯友宜氏、民衆党の柯文哲氏と、三つ巴の戦いで、訪台時も各種討論会で激戦が展開されておりましたが、私の印象では、従来の派手な選挙ではなく、水面下で知的な選挙戦が展開されていると感じました。
日本では争点として対中政策が大きく注目されましたが、台湾国内では、青年層の高失業率や不動産価格の高騰など内政重視の政策に議論が集中する中、頼候補が勝利したことは、国際的にも意義ある結果だと思います。
一方で、立法院選挙で、野党国民党が議席を増やし最大勢力となりました。今後、頼氏の政権運営の手腕が試されるところです。
台湾総統選挙と与那国島
― 台湾の選挙結果を、与那国島ではどのように受け止めますか
与那原
結果として、中国からの圧力が高まる恐れもあります。与那国島としては、いかに台湾有事に向き合うか真摯に考えています。
令和3年3月、糸数町長と共に安倍元総理とお会いし、台湾有事に備えて港湾と空港の整備・拡充をお願いしました。安倍元総理は、要請書をすぐに高市早苗先生に伝え、また沖縄の西銘恒三郎先生にも伝えて頂きました。安倍元総理のおかげで話が次々と進み、大変力を頂きました。安倍元総理は、「ぜひ現地で与那国島の現状を見たい」とおっしゃっていました。実現できず、残念でなりません。
島民1700名の避難については、100〜200名の集団に分けて空港や港に避難する予定です。航空機での避難であれば1日で完了する体制です。また与那国町役場を移転し、新たに建設する役場の地下駐車場にシェルター機能を持たせることも議会で決議したところです。
安倍総理の銅像がなぜ台湾に
― その安倍元総理の銅像が台湾に建立されています。その経緯は
栗山
安倍元総理の銅像は、「紅毛港保安堂(廟)」の横にあります。ここには、バシー海峡に沈んだ日本海軍の145柱(第38号哨戒艇とその艦長はじめ乗組員)が祀られています。保安堂は、終戦後、紅毛港の漁師の網に頭蓋骨が掛かり、それを大切にお祀りしたところ大漁が続き信仰されたのが始まりです。その後、霊媒師により、頭蓋骨は日本海軍の第38号哨戒艇の艦長(高田又男)のものであり、護国神社に帰りたい、部下たちを郷里に返したいと告げられたそうです。保安堂の張吉雄会長は、御霊が日本に戻るまで、私はここで寝泊まりをすると言い、毎日、保安堂の中で寝ておられます。これらの話を聞かれた安倍元総理は、武道館で天皇陛下御臨席のもと開かれる「全国戦没者追悼式」で、この御霊を「私がしっかりそれを受け取り、奉呈をする」と約束されたそうです。しかし、約束を果たす前に凶弾に倒れてしまいました。台湾の安倍元総理の銅像は、保安堂の方々、英霊の願いを実現するために尽力をされ、そして常に台湾と共にあり、真の台湾の友人であった安倍元総理の思いを永遠に刻むものです。
安倍元総理の銅像には、台湾国内から多くの看護従事者が訪れ、その前に額づき、献花する人々が絶えないそうです。それはコロナ禍で、安倍元総理が台湾にワクチンを優先的に配分提供された。そのおかげで、我々は台湾国民の命を守ることができたという強い感謝の思いなのです。
響き合う慰霊の心
伊能
私は保安堂で、台湾の方々が一生懸命に高田又男艦長を祀ってくださっていることに深く感動しました。この感動の背景には、私がいま地元で、烈士澤本政美少尉の顕彰碑建立運動に取り組んでいることがあると思います。
澤本政美少尉は、大東亜戦争末期、帝都防空のために編成された飛行第53戦隊に配属され、B29に体当たり攻撃をする特別攻撃隊員に任命されます。昭和19年12月3日、中島飛行機・武蔵製作所(東京・武蔵野市)をねらってB29の編隊がサイパンから発進。一万メートル上空から工場を爆撃後、サイパンへ帰還するB29を、千葉県印旛沼上空で澤本政美軍曹(当時)の戦闘機が補足。香取市高萩上空まで追尾後「澤本機ただいまより突入」と一言残して、体当たり特攻をしました。B29は20キロほど離れた場所に墜落。澤本軍曹の飛行機は、エンジンが脱落し墜落。澤本軍曹は操縦席ごと、落下傘は開かず墜落し、散華されました。22歳でした。今年12月3日でその時から80年になります。
国を守り、家族や愛する人を守るため尊い命を奉げられた若者が居られた。そのお一人が、香取の空で任務を全うされた澤本烈士でした。今を生きる私たちはそのことを忘れてはなりません。その思いで、趣意書を作り、顕彰碑建立の運動を始めました。ですから、台湾の保安堂で同じような思いでお祀りされていることに深く感動いたしました。
私は大東亜戦争の英霊を祀る活動をしておりますが、日本会議のメンバーとして、地方議員連盟の一員として、国を良くする、自分の国は自分で守る、その思いを大事にして、活動したいと思います。
与那原
与那国島は台湾の隣の島です。安倍元総理の思いがあって、我々もしっかり国民保護ができる。私も、日本人としての心を大事にして、今後も日本会議の運動に参加していきたいと思います。
(令和6年1月26日インタビュー)
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