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大分にあった幻の島

突然ですが、「伝説」って良い言葉ですよね。
埋蔵金伝説、邪馬台国伝説、徐福渡来伝説、都市伝説、豊臣秀吉の一夜城伝説、ゼルダの伝説のように「伝説」が語尾につくだけで一気にファンタジー色が強まりますよね。
今回はそんな伝説の中でもこれまた厨二心をくすぐられる一夜で沈んだ幻の島の伝説について掘り下げてみたいと思います。

皆さんは、一夜にして沈んだ島というと何を思い浮かべますか?
伝説の都アトランティスや幻のムー大陸といったところでしょうか。
近年、与那国島の海底遺跡も密かに話題になりましたよね。

ここ大分県にも一夜にして沈んだとされる幻の島があったことをご存じでしょうか。
その名も瓜生島。
現在の西大分港付近にあったとされ、島の規模は東西に約4km、南北に約2kmほどの沿岸に松林の並ぶ美しい島でした。
当時の別府湾には、大小様々な島が並び、中でも一際大きな島が瓜生島だったのです。
当時の大分は大友氏の治世のもと、南蛮人が行き交う日本でも有数の国際都市でした。
瓜生島もその恩恵を受け栄えており、島の中心に本町・東町・新町と呼ばれる大通りが走り、1つの町と12の村々のある比較的大きな集落だったようです。

瓜生島地図



では、何故そのような大きな島が一夜にして沈んでしまったのか。

1596年、震源地は別府湾の入り口付近とされ、マグニチュード6.9~7.8とも言われる大地震が豊臣秀吉時代の大分で起きました。
俗に言う慶長豊後地震です。
この地震の影響で瓜生島をはじめとする別府湾の島々も沈んでしまったそうです。
被害状況も相当激しかったようで、お猿で有名な高崎山や由布岳などの大分県の名だたる山々も山崩れを起こしたようです。
津波の被害も甚大で、西大分の沖の浜を始め、現在の県庁付近の大分の中心部の村々も消滅し標高180mの高台にある柞原八幡宮でも拝殿や回廊が倒壊しました。
慶長豊後大地震の凄惨さは大分県各地の郷土史にも色濃く残されています。
ちなみに別府の景観を語る上で必要不可欠な有名なハゲ山である扇山もこの地震による大規模な山崩れの跡なんです。
扇山より流れ出た土砂は別府の町を押し流し別府湾まで達したそうです。

大災害を今に伝える扇山


さて、本題の瓜生島にも例に漏れず津波が襲来した訳ですが面白い昔話が残されているんです。

ざっくり言うと、イソップ童話のオオカミ少年のような悪童が島民を驚かせようと島で大事にされているエビス様の顔を赤く塗りたくるところから始まります。
塗り終わると地鳴りが起き、エビス様は大岩もろとも地上高くに突き出しました。
それでも悪童は単なる地震のせいとしか思わずヘラヘラしていたそうです。(なぜビビらないw)
翌朝、島に災いが降りかかる時に顔を赤くして知らせると信じられていたエビス様の顔が赤くなり更に地上高く突き出ている訳ですから当然島民は恐れ慄きます。
その日を境に毎日のように地震や地鳴りが続くようになったため、悪童以外の島民は全員島外に避難してしまいました。
単なる地震の影響とたかを括り、その様子を見て大笑いしていた悪童でしたが、鶴見岳や由布岳が火を吹き、高崎山も崩れ出したことからやっとこの辺でことの重大さに気づきます。
そしてその夜に瓜生島を大津波が襲い悪童もろとも島は海の藻屑と化してしまいます。

昔話的には悪童以外の島民は助かったようにも読み取れますが、やはり現実は甘くない。
実際の記録では島民の7分の1ほどの706名が溺死、またある資料には生存者は50名ほどだったとも言われる未曾有の大惨事だったようです。
余談になりますが、大分市勢家町にある瓜生山威徳寺は、元は大友氏が瓜生島に建立したお寺でしたが、島諸共沈んでしまったため再建されたものだそうです。
難を逃れた威徳寺の住職の夢枕に僧侶が立ち、「宝物は仏崎にある」と告げたので行ってみると本当に本尊や名号などが流れついていたという逸話も残されています。
別大国道周辺の仏崎の地名もこの逸話からきているとの説もあるそうです。

現在の瓜生山威徳寺



ここまで被害状況の詳細や数々の逸話が郷土史や口伝で伝えられているにも関わらず、今もなお実在が疑問視されている瓜生島。
島の痕跡が見つからず、郷土史や口伝のみで地震直後の公的な資料がないことが幻の島と言われる所以となっています。

実在に否定的な意見として、島があったとされる場所が別府湾の最深部であり島などなかった説・島ではなく陸続きの半島説・瓜生島は別名沖の浜とも呼ばれるため壊滅的な被害を受けた西大分沿岸部の沖の浜地区を指しているという説(その後の資料に瓜生島という表記が一切登場しないため)など多岐に渡ります。
実在否定論に最も拍車をかけたのは、70年代に行われた海底調査で瓜生島の遺構が何ひとつ発見出来なかったことです。

しかし、肯定的な意見もあります。そもそも瓜生島は頻繁に起こる地震で海底に土砂が堆積して出来た基礎が不安定な島であり、慶長豊後地震による液状化や大津波によって消滅したとする説です。実際に海底調査で大分川の河口付近に大規模な地滑りの跡が確認されています。
でもこの説だと海底で一切遺構が確認できなかったことの説明がつかないんですよね。

筆者が最も推したい説としては、別府湾に流出するほどの大規模な土砂崩れや大津波によって島全体が押し流された結果、現在の勢家町辺りの土地となったというものです。
これだと海底で遺構が確認出来なかったことや瓜生山威徳寺の再建場所の説明もつきますよね。
かなり突飛な説ですが、実在肯定派の筆者としては浪漫が溢れてなりません。

遺構や決定的な資料が見つからない限り、おそらく今後も浪漫の域を出ないであろう瓜生島伝説。

西大分港から別府湾を眺め、瓜生島の土を感じながら瓜生山威徳寺に参拝し、幻の島に想いを馳せる。
そんな休日も良いのではないでしょうか。

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