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宇佐の平家伝説 前編


書き出し

九州の田舎にいくと必ずと言っても良いほどに平家の落人伝説が残されています。
我が故郷宇佐にも平家伝説は多く残っており、今回は宇佐の中でも地元の長洲地区の平家伝説について掘り下げてみようと思います。長洲という地区は、有名な能の演目でも知られる平清経が入水自殺を遂げた柳ヶ浦の真隣に位置します。

平家の都落ちと宇佐行幸

1183年、木曽義仲に京を追われた平家一門は幼帝安徳天皇を奉じて太宰府に入ります。その際に豊前国(現在の大分県北部と福岡県の東部)にも立ち寄り宇佐神宮へ参拝しました。
宇佐神宮の大宮司かつ平清盛の娘婿にあたる宇佐公通(うさきんみち)の屋敷や宇佐周辺の寺院などを宿舎としたそうです。その際に長洲にも行幸され、当時の長洲の長者宅で歓待を受けます。
この場所は、後の時代に長洲新三郎という大庄屋が安徳天皇を祀り社を建て、現在もお池様として地域住民に親しまれています。
また、長者宅を出て、宇佐神宮へ向かう道中で通ったとされる土手は、「御車土手(みくるまどて」という名前が残っています。

宇佐公通屋敷跡


御車土手から小松橋畔をのぞむ

宇佐神宮の神託


宇佐神宮にて平家一門は再興を夢見て7日間の願掛けを行います。
かくして、7日目の満願成就の日に平家の棟梁・平宗盛は夢をみます。
宝物殿の扉が開き、気高い声で次のような歌が響いてきます。

世の中の うさには神も なきものを 何祈るらむ 心づくしに

訳すと
「世の中の出来事に神の力なんて及ぶわけないのに、何をそんなに熱心に祈っているの?」

...(^ω^:)

えっ神様がそれ言う?笑

きっと平家一門も思ったことでしょう。

夢のお告げに絶望した宗盛は、心細さから古い歌をつぶやきます。

さりともと思ふ 心も虫の音も 弱り果てぬる秋の暮れかな

...(´;ω;`)

歌全体から哀愁感や悲壮感が滲みでまくっていますが、一応要約しますね。

「世の中悪いことばかりだが、これから先何か一つでも良いことがあるだろうと信じていた心も、晩秋の虫の声のように弱ってしまった」

...(´;ω;`)ブワッ

これは藤原俊成という人の歌で、不運な人生の中で出世の道すらも絶たれた絶望感を詠んだものとされています。
教養のある宗盛ですから、約50年ほど前の歌を現在の自分の置かれている状況に重ねたのでしょうね。
宇佐神宮は元々平家寄りの神社だったため、心の支えの神様にまで見限られた宗盛の胸中たるや(T-T)

平宗盛
宇佐神宮御輿掛大鳥居
(新嘗祭)

清経入水


失意の中で太宰府まで帰ってきた平家一門。
そこで待っていたのは、家来であった緒方三郎惟栄の裏切りでした。
惟栄が九州の有力武士をまとめて太宰府まで攻めてくるとの知らせがあり、平家一門は取るものも取らず逃げ出します。
源氏の侵攻に怯えながら北部九州を転々とした平家一門は豊前国の柳ヶ浦に辿り着きます。 
一時は、この場所に内裏(天皇の住まい)を構え都にしようとの話もあったようですが、都にするには狭く財力もなかったため諦めたそうです。

もし都になっていたらもう少し栄えてたんですかね我が地元(小声)

すみません、本題に戻ります。
そしてこの柳ヶ浦にも、長門国(現在の山口県北部)から源氏が攻め寄せてくるとの情報があり、またもや取るものも取らずに地元の漁師から召し上げた船で海に逃げます。

この現状を誰よりも悲観していたのが、横笛の名手としても知られる21歳の平清経。
平清盛の孫に辺り、主力級の武将ではありますが、何事も考えすぎる繊細な心の持ち主だったようです。
月夜の船縁で横笛を吹いた清経は、京の都ことを思い出しながら静かに念仏を唱え入水自殺を遂げてしまいます。
現在は、入水場所とされる柳ヶ浦側の小松橋のたもとに供養碑が建てられています。

月夜の船縁で横笛を吹く平清経


平清経終焉の地(柳ヶ浦)

長洲の精霊流し


神に見限られ、一門の不幸にも見舞われた平家はその後、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と滅亡へ向かっていくことになります。
まさに宇佐神宮のお告げ通りの未来を辿ってしまった平家一門。
その後、源氏の追手を巻き、運良く命を長らえた平家の落人たちは主に四国や九州各地の田舎に隠れ住むようになります。

長洲にも落人たちが流れつき中には定住する者もでてきます。定住した落人や地元住民が前述した平清経を憐れみ、入水した駅館川河口部を小松浦と呼ぶようになりました。
小松とは、清経の父である平重盛が官職から小松内府と呼ばれていたことに由来し、現在の小松橋もその名前を今に伝えています。

また、宇佐の中でも長洲地区独自の文化である御殿灯籠による精霊流しもこの平家伝説に起因するという説があります。
長洲に定住した平家の落人が、お盆に京の都を偲ぶとともに一門の供養のために作り始めたのがきっかけというものです。
現在、長洲の精霊流しは国の選択無形文化財に指定されています。御殿灯篭(または据え灯篭)と呼ばれる京の都を模した豪華絢爛な灯篭が盆の3日間初盆の家に飾られます。最終日に人々の手によって墓場まで運ばれた御殿灯篭は、炎に包まれ灰になります。極楽通りと言われる墓場までの一本道を数多の灯籠が埋め尽くす様は圧巻です。
筆者ほどのマニアになると夕暮れの空に墓場から立ち上る煙を見るだけで目頭が熱くなってきますよ。笑

御殿灯篭

全盛期は70基もあったとされる御殿灯籠ですが、近年は灯籠職人の減少から10数基と数は少なくなっていますが、今もなお長洲の夏の風物詩として受け継がれています。
筆者も毎年担いでます!笑

極楽通りの精霊流し

お盆の3日間、大勢の人々の注目を浴びた豪華絢爛な京の都が盆の最終日に猛炎に焼かれ、灰燼に帰する。
まさに諸行無常、盛者必衰。
平家物語そのものではありませんか!!

御殿灯籠 京都大火編
夕暮れにたなびく煙

あとがき

ちなみに、長洲地区は宇佐の中でも、際立って方言の激しい地区と言われています。
長洲地区独自の方言が多くみらますが、一説によると元々の豊前地方の方言に上方(京都付近)方言が合わさったものとも言われています。
もしも、その時代の名残であったなら浪漫ですよね(˶ᐢωᐢ˶)

お盆シーズンは、是非我が地元長洲で平家物語の浪漫に触れてみてはいかがでしょうか\(^o^)/

後編は、宇佐市周辺の平家伝説について紹介します!!
いずれします!!!
絶対します!!!!笑



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