裏垢をはじめて、裏垢にさよならした
いつもの日常から、ふと離れて、オンライン上で話をする、そんな裏アカの中で出会い、別れを体験した話を小説風にまとめてみました。
出会い
私がTwitterで裏アカを始めたのは、温かい日差しが少しずつ増えてきて、桜のつぼみが開き始める頃の話だった。ちょうどその頃、新型コロナウィルスで仕事が激減し、自宅に籠もっているだけの状態だと特にやることもなく、この時間を使って何か面白いことが出来ないか、と暇つぶしを探していた頃だった。
パパ活をやっていたが、コロナ感染症の影響もあり、娘たちと距離を開けていた頃の時期で、パパ活をしていた時に良パパと言われて褒められていた事もあったので、天狗になっていたのかもしれない。
最初の頃は、右も左もわからない状態だった。大手に絡みにいき、他の大勢と同じようなリプをして、いいねを押し、認知されていないのにDMを送る、ただの裏アカ男子、というところの一人に埋没していた。
転機はPeriscopeの配信からだった。
もともとツイキャスやYoutube Liveといったライブ配信サービスは仕事に近いところにあったので、知っていたが、PeriscopeはGoProの連携サービスのようなもので設定されていた、位の知識だった。
フォローをしていた、とある裏垢女子さんが配信をはじめて、そこにふらりと見に行った。新鮮だった。普段会話することがない人の声が聞こえる。どこか遠い世界のような、でも近い世界のような、そんな不思議な時間が流れていた。
会話は、それこそ他愛もない話で、裏アカによくある性癖の話やいい竿がないかとか、特に目的もなくひたすら喋るということをやっていた。配信をやるのもそこまでなれていない女子さんだったようで、リプで絡んでいる人やはじめまして、というコメントを打つ人の名前を必死に覚えようとしているような、そんな手探りの配信だった。
何回かその人の配信に出入りしていると、だんだん中でよくコメントをしている男子たちが絞られていくことがわかった。その男子たちのプロフィールを見てみるとある程度自発ツイートや、自分の性癖、どんな日々を送っているのかという話が垣間見れて、自分と同じように裏アカ男子をやっている真面目な人がいることがわかった。
配信と裏アカ
配信は、Twitter上での認知度のバロメーター、だと思った。配信を最初に始めた時は0人、1時間、誰も来ることなく配信を閉じた。結局の所、自分に対して興味を持ってくれている人がいない、ということに他ならなかった。
他の配信にまずは顔を出し、コメントをして認知してもらう、そして自分のところに少しずつ人が集まるようになってきた。コラボをしてくれる人も少しずつ増えてきたし、自分がコラボに呼ばれることも増えてきた。
人に声を聴かせる、というのはなかなか怖いもので、自分の声は自分であまり好きでないということもあり、また声が特徴的なので身バレのことも考えなければいけなかった。でもそれに余りある面白さや、時間の効率の良さを考えると、配信は辞められなかった。
配信に遊びに行くと、複数の女子たちが会話している声だけで、耳が幸せ、というのはこういうことか、という新しい感覚も得られ、どんどんと自分が配信にハマっていくことがわかった。
いざやってみて、継続していくと自分は自分なりにやってみていいんだな、という気持ちになった。そして、配信で仲が良くなった人たちと企画を作り、グループで飲みに行く事になった。
初のオフ会
私は、元々出会い系サイトやパパ活などの経験もあり「会う」こと自体には抵抗はなかった。その人達はよく配信主をやっていたし、コラボで会話をする人だった。
実際に会って話をしてみたい、という気持ちは純粋な興味心からだったが、何があるかわからないと気負って全身キレイにしていったことは秘密だ。
お店は裏アカ男子の一人が働いている場所で、そこにご飯を食べに行きついでに皆でオフ会をしようという話だった。皆が集まると、声は聞いたことがあるし、界隈のネタやあの人面白いよねと、ネタは尽きない。二次会にカラオケにも行った(裏アカにしてはとても健全な会だった)
そこからは、いろいろな人とあった。配信企画が上手い男子、朗読の配信に付き合ってもらった人、彼氏とどうするか悩み相談を受けた人。男子なのに喘ぎ声が大人気の人。最初の女子さんのところで仲良しだった男子。
転職と、遠征
元々自営業に毛が生えたような会社を運営していたが、収益がかなり下がっていることと、35までに何かしら自分の事業に結論をつけるという自分の中の区切りを設けていた。そこに知り合いからの紹介で仕事を受けられることになり、正社員として仕事をすることにした。
内定が決まってからは、裏アカに対してそこまでかけられる時間もなくなり、定時という時間の区切りも出来たことで、ログインできる時間が少なくなっていった。
仕事の関係で長期間四国に飛ぶことになり、その仕事の合間、土日を使って遠方過ぎて会えなかった人に会いに行った。福岡、熊本、大阪に行くと、通話や配信で声を聞いたことがある人たちがいて、また不思議な感覚になった。
実際にコロナ期間中に知り合わないと、相手とも会話することがなかったし、実際に会うこともなかったと考えると、コロナ期間中には出会いと別れがあったのだろうと思う。私はコロナのおかげで出会いを作ることが出来たということもあり、ひとつの転機でもあったんだのだろう、と振り返って思う。
そこで、会ってみたかった人と会うことが出来た。
その人は、配信にたまたま遊びにきていた人だった。雰囲気がよく、また大人な人だった。年が近いのもあった。カカオで毎日のように話をしながら、あーだこーだ、他愛もない話をしていた。
その人へのお土産で買ったのは、SHIROのSAVONの練り香水だった。値段もそこまで高くないのに、ちょっとした気分転換に使う香水としては丁度いいものだ。
裏アカ界隈ではよくSHIROの香水を使っている人が多いらしく、女性ウケが良いということで有名だった。実際に使ってみると男女問わず、色気があって裏アカには丁度いい具合だった。
当日公園の近くで待ち合わせをし、そこからデートをすることになった。何を話しをしたのかは楽しすぎて覚えていない。ちょうど夏の真っ盛り、ご飯を食べて、かき氷を食べて、車を借りて海岸に遊びに行った。お互い無言でも心地が良い時間だったのを覚えている。
夜はグループで飲む予定になっていたので、程々のところで戻っている途中、最後にかかったタイミングで彼女からいろいろな話を聞いた。それはとても自分としては許せない、ここまで人の権利を奪うことがあって良いのだろうか、と思う内容だった。
なにか手はないか、何か出来ることはないかと考えた。自分の環境、相手の環境、それぞれがあり、自分ができる範囲も決まっている。その中に、自分ができることはなかった。崖の上で手を伸ばしても、自分が飛び込まない限り崖から落ちた人は助けられない。そしてその判断をするだけの勇気もなかった。話を聞く、くらいしか出来なかったのだ。
その相手は、夜飲みすぎて潰れていたので介抱したが、手は出さなかった。もちろん、そういうことは希望としてあったが、だからこそ相手と一緒に快楽を得たい、という気持ちだったからだ。本人の感情を大事にしたい、と思った。
翌朝は、一緒に浴槽に浸かり、少しだけお互い気持ち良いことをして、別れることになった。これが彼女と会えた最後の機会になった。
また会いたい、と思うようになったのははじめてだった。
それは、恋をしていたのか、同情だったのか、今でもまだその気持ちが何だったのかはわからない。ただその女性は、自分らしくありたい、という気持ちをまっすぐに持っていて、そのあり方に憧憬を抱いたのかもしれない。
自分にはないもの、その状況にあっても、自分が自分であろうとする努力をやめない、強い女性だった。
2回目に会う話をしていた時に、彼女は連絡を断った。辞める前に、私にも連絡がきていた。そしてアカウントを卒業していくことになった。
裏アカではよくある話なのかもしれない。
でも、心を動かす何かが裏アカにはあった。
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裏アカは、結局の所人間関係だった。誰と誰が不健全したとか、誰の推しだとか、結局の所、人と人のつながりの中から生まれてくるもので、承認欲を満たすため、より満足ができる性行為をするため、時間をつぶすため。
究極的に人間の欲を満たすための世界だった。
その世界には、七色の人間の欲が埋まっていて、自分もその一旦を垣間見れたこと、人間の普通では見られない側面が見られたことが、一番の収穫なのではないかと思う。
その後は、色んな人と会うことはあった。
そこから快楽を満たす関係も持ったことはあった。
だが、裏アカという毎日に対して、真剣に向き合えば向き合うほど、心のどこかが擦れていく音がした。自分は本当にこれで良いのだろうか?という自問自答もあった。考えれば考えるほど、疲れていく自分に気がついた。
一度距離を置こう。
こうして、私は裏アカにさよならを告げた。
あの淡い気持ちと、人間の欲にまみれた世界、これからも続くであろう性の宴に背を向けて、手元に残ったSAVONの香りを添えて。