経済学は新たな問題に対する解決策を考えるためのツールである
私は十数年前に経済学部を卒業しており経済学には馴染がある。
社会人になってからも折に触れて「経済学」というタイトルの付いた書籍を手に取っている。毎朝のように日本経済新聞を読みながら、経済学用語の解説や経済教室欄で学者や実務家たちの主張に触れて、知識のアップデートに努めてきた。
経済学は役に立つのか
「経済学は役に立たない」というのはよく言われることである。
企業の中で実際に役立っている経済学の分野としては、行動経済学、産業組織論、マーケットデザイン、オークション理論、計量経済分析が頭に浮かぶ。しかしながら、保険会社は契約理論をつかって契約をデザインしないし、金融機関だってDSGE(動学的確率的一般均衡モデル)で経済予測は行わない。
経済学は企業の特定のイシュー(課題)を解決するものではない。
経済学が対象とするような「大きな視点」は新規の問題を理解し対処していくにあたり理解を深めるのに役立つが、企業の日々の問題に対しては、その分野の専門家がいるので経済学者がわざわざ出向く必要はない。
例えば、保険業界であればアクチュアリ(保険数理人)が保険商品のモデリングができるので、経済理論はここでは直接役に立つことはない。一方でどのような経済・福祉・教育政策を打ち出していくべきか、貿易・関税のあるべき姿を見出すためには、経済理論のような俯瞰的な見方が必要になる。
その他に以下のような問いかけに対しては経済学が役に立つと考えられる。
・なぜ住宅価格が上昇しているのか
・オイル商品価格の急落の影響と今後の予測
・知的財産権がイノベーションを促進するか否か
・ゲームをする時間が減れば子供の勉強時間は増えるのか否か
・北海道に新しい高速道路を造るべきか
・複数のプロジェクトのリスクを考慮した最適な投資ポートフォリオ
・データが不十分な状況下において、新型コロナのワクチンをどの集団に対してどう接種させると最も望む効果が得られるか。
(単純に経済や利益で計算できないような要因を含めて分析できる)
私自身は複数の企業を経て現在は大手企業を中心に企業の管理部門に対して企業変革やIT変革のコンサルティングに携わっている。いわゆるナレッジワーカーの部類に入ると考えているが、身の回りでは「サンクコスト(埋没費用)」「モラル・ハザード」「逆選択」「外部不経済」「ナッシュ均衡」といった経済学用語を耳にすることはまずない。おそらくほぼすべての人が基礎的な経済学用語を言葉としては理解しているはずだが、共通言語とはなりえていないように思う。企業の現場においてむしろ使われるのは「MECE(ミーシー)」「ロジックツリー」「イシュー」といったコンサルティング用語や実務で必要なビジネス用語である。
そもそも上記に羅列したような経済学が役に立つような「大きな課題」を解決する立場にはない企業人が大半である。コンサルティングファームの中でも上位の戦略を司る場合は、巨視的な視点を与えてくれる経済学者が適任ではないか。
私が考える「使える経済学理論」
「トレードオフ」という経済学用語の中でも一般に普及している知識以外に私が業務で明確に意識したことのある理論をひとつ挙げると「MM(モディリアーニ・ミラー)理論」がある。これは、完全市場を仮定すると企業の資本構成および配当政策は企業価値に影響を与えないという定理である。完全市場でない現実の市場においては、資本構成や配当政策は企業価値に影響を与えるのは当然だが、複雑な事象を捨象してコアに何があるのか、経済構造の骨組みが理解できることで、それを起点として考え始めればよい、というのは経済理論の大きな利点であるように思う。
実際に私は企業の財務部門に対してコンサルティングを行った経験があるが、財務部門の特定の課題を解決する上でその根本にある「最適な資本構成は何か」は企業にとって極めて重要な問いである。企業の経営層と話をする上では理論的なベースを理解しておくのは当たり前である。コンサルティングを行う上では経済理論では捨象される情報も含めて「それでは現実的な打ち手は何なのか」や「実現するためのアプローチ」を具体的な選択肢とその評価をもとに明確に伝えられなければならない。
経済学は悪用される
具体的にはここでは挙げないが政策を肯定するために無理やり使われている例もあるのではないか。経済理論は、全く何もないところから経済事象を理解するよりはいくらかはマシであるということは確実に言えるが、需要と供給のようなシンプルなモデルに頼る経済学の限界や、データ分析に際しておかれる仮定が到底正当化できないことを前提としている場合があることは理解しておかなければならない。
参考)元FRB議長 故ポールボルカー氏の発言
同氏によれば、経済学は正確な予測には役に立たない。また近年の経済学は抽象的な概念にフォーカスして実際の政策に役に立たない。
"During my lifetime, the subject has become much more mathematical, much more abstract, and much more useless in terms of contributing to effective public policy," Volcker told Bowmaker in an interview for the book.
"There are some horrendous examples [of forecasting failure], with the recent financial crisis being the most obvious one," Volcker said. "There are hundreds of economists poring over their computers, but I think they have just demonstrated their inability to be forecasters."
最後に
今回のテーマにおけるnote執筆者への3つの問いかけに直接回答する。
データの重要度が高まるこの時代に、経済学のどのような知を、どのような場面で、どうビジネス、企業経営に活かせば良いと思いますか?
・経済学の知は「新しく大きな問い」に対する答えの方向性を示すのには活かせるので、企業が中期経営計画を策定したり、新規事業に取り組んだりするにあたり、世の中の事象やデータを分析して、経済・社会的なトレンドを正しく理解することで競争力ある打ち手を見出していくためには有用ではないか。
最先端の学問がもたらしたビジネスインパクトについて、国内外のよい事例などご存じでしたら教えてください。
・マーケットデザイン理論は、米国における腎臓交換メカニズム(不幸なペアを集めて一定のルールでパートナーを交換することで移植適合条件を満たすケースを増やす)や、各国の周波数帯オークションに実際に役に立っている。
・世界レベルでは「炭素税」がある。2012年に国内でも導入されており、化石燃料に炭素の含有量に応じて税金をかけて、化石燃料等を利用した製品の製造・使用価格を引き上げることで需要抑制し、結果的に二酸化炭素の排出量を抑えるという経済政策手段である。
最先端の経済学を活用するにあたっての課題やその解決策、また大学や経済学者の側の変化など、あなたが感じていることを教えてください。
・経済学の知見を、実際に使えるインサイト(洞察や打ち手の方向性)に落とし込む「翻訳」「ブリッジ」の役割を経済学とビジネスの現場の間におくことで、企業の現場で役に立ち企業競争力を高めることにつながると考える
・最近はSNS等で積極的に発信をする経済学者が増えている印象である。GAFAM(Google, Amazon, Facebook, Apple, Microsoft)は採用にあたって経済学者を採用している。これまで数千年の社会変化が今後100年で何度も起きるような変化の目まぐるしい時代になっており、新たなテクノロジーにより引き起こされる新たな問題について考える機会が増えているからであると思う。
参考URL
Our theories revolve around pricing, matching, information, learning, and networks. We explore pricing policies and auction designs that efficiently compute approximately optimal outcomes in equilibrium even in the presence of constraints on the complexity of the solution. We study matching policies in dynamic or stochastic environments, both with and without the convenient tool of money. We study markets for information, developing tools for a market maker to solicit beliefs from individuals in order to make predictions about the world.
Responsibilities
Work closely with the company’s Legal and Policy Teams, helping them refine Google’s position in various cases, analyze its business practices, respond to government agencies’ queries and data requests, and prepare evidence for court filings.
Beyond playing a role in such investigations, the Competition Economist will also be a thought leader, helping Google engage in the key debates touching on the technology sector from an economic perspective.
Leading the collection and analysis of data in the context of regulatory and litigation proceedings.
Working cross-functionally with our Legal, Finance and Policy teams on economic analyses to inform Google’s positions.
Performing rigorous testing and verification of economic assumptions.
現実のデータを元に需要を精緻に推計する計量経済学や、企業間の駆け引きを分析するゲーム理論の知見は、予測精度の向上を通じて企業の利潤増大に活用できる。
#日経COMEMO #経済学の生かし方
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