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赤ちゃんという気がしない。
元日から21日連続でこの note を書いてきて、ついに書くことがなくなった。
わが家の日常は変化が少ない。朝起きてから夜寝るまで、ごはん、トイレ、おふろをそれぞれがするほかは、ほんの少しの「自分の時間」があるくらい。その時間に僕と奥さんは出かけたり、本を読んだり、勉強したりする。赤ちゃんは(最近だと)服を食べたり、手足を眺めたりする。
「昨日とおなじでした。」と一行書いたら、済むような毎日。
それでも「昨日とおなじ」ということが全くないのが、赤ちゃんだ。気づくとなにかが確実に変わっている。
今日、赤ちゃんを抱っこしたときに「おっきくなったなあ」とつくづく感じた。ずっしりと重いし、横に長い。
前に測った時点で、体重はうまれたときの倍近くになっていた。だから大きくなっているのは確かなのだけれど、それ以上にもっと、「赤ちゃん」という感じがしないくらいになっている。
法律の定義では、うまれてから27日目までを「新生児」、1歳までを「乳児」、その後小学校に入るまでを「幼児」と呼ぶらしい。だから、赤ちゃんはこの先半年以上ずっと「乳児」なのだけれど、生後3か月か4か月あたりにすでに区切りがあるような気がする。
さらにこのあと離乳食を食べたり、おすわりしたり、ハイハイして移動しはじめるという。とても信じられないけれど、そういうことになっている。そこでも「乳児」で「赤ちゃん」のまま。
なんだか感覚が合わないなあと思って調べたところ、乳児期の一年は、人の一生の中でいちばん成長著しい時期なのだそうだ。一生でいちばんの成長が、いちばん最初の、本人はおぼえていない一年だなんて、なんだか不思議。
だから、いまの変化を僕たちの頭の物差しで測ろうとするとずれる。こんな急成長、記憶にないはずだから。本当は昔の人たちが色や季節の名前を細かく分けたように、赤ちゃんの育ちも細かく分けるのが正確なのだろう。
そして、周りが変われば自分も変わる。変わらざるを得ない。かつてない速さで変化するいのち。その現実を前にして、僕や奥さんもいま、急激に変わっている最中なのかもしれない。
そう思うと、この日常の変化のなさは、神様あたりが、あまりの変化の速さに酔わないよう配慮した仕組みに思えてくる。地面につけたバットに額をつけて、ぐるぐる回るとまっすぐ進めないように、あまりに変化してぐるぐるのときに、難しいことをやろうとすると転んじゃうから。
そうした急激な変化に頭がついていってないのが「赤ちゃんという気がしない」という感覚の正体ということか。
そんなことを書いていたら、背後で「わっ!」と奥さんの声がした。
見ると、後ろであお向けに寝ていたはずの赤ちゃんがうつ伏せになっている。寝がえりに成功したのか!見逃した〜(泣)。
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