第4回能登半島支援収支報告
皆さんこんにちは、桜が満開の季節にいかがお過ごしでしょうか?
桜が咲き出した季節の3/29〜4/1まで、今回で4回目になる能登半島へ支援物資を運びに行きました。
とりあえず収支報告となります
ガソリン代11044円
ホテル代3/29-4/1 38800円
レンタカー代 31020円
飛行機代 84763円
空港駐車場代6100円
高速料金2800円
物資代 3/29 55550円
3/30 64365円
合計 294442円
今回集まったお預かり金29万645円
前回の預かり金 6124円
余りが2327円です、これに能登半島取材の配信で追加で購入したギガバイト代を引かせていただきます。(まだ今回の追加分の明細が出ていないためお知らせすることが難しい状況です。)
こんな感じで無事に無理なく今回も皆様からのお預かり金で物資を購入させていただき、取材も終える事ができました、ありがとうございました。
今回は新入生や新卒の入社そして春休みなど、1年の中で一番移動が多い月で、空港の駐車場もどこも満車。
これは飛行機乗り遅れるパターンかと思い少し焦りながら、立体駐車場に入り何気なしに3階から攻めようとしたところ運よく出る車が居たのでそれと交代する形で駐車した。
無事に迷うことなく駐車し、空港から避難所への物資の一部でもある紅芋タルトを購入し余裕を持ってフライト
小松空港に到着し、4回目となると慣れたもので、近くのドンキホーテで買い出し。
今回は過去最大の積載量の物資を購入。
小松のドンキで買い出しを済ませ金沢のホテルへ
3/30
この日は物資を運ぶために6時に起床、まず最初に珠洲市からの物資のお届けへ。
3月上旬に、上りは全線開通した、のと里山海道を走りながら珠洲市に向かっていたのだが、2月28日に通った時にもあった事故車両が未だに残っているのを見ると工事の遅れを感じさせられる。
そのまま車を走らせること約2時間まず最初に向かったのは、物資運びとはまた別の用事で向かった、以前もインタビューの撮影でお世話になった「湯宿さか本」へ。
今回、時期が少し早かったためか桜が咲いていなかったが、ここで初めて桜を見る事ができた。
時間もあまりなかったので、長居せず、次もインタビューを撮らせていただいた「旧飯塚保育園」へ、その道中、珠洲市の街並みを見ても、2/28に訪れた時とほぼ景色が変わっていない状況。
そして、次は初めて行く「正院小学校」へ物資を届けに、こちらは去年の5月にきた地震でも避難所として活用していたので、それがそのまま継続して使用されていたので、炊き出しのための大釜も出しっぱなしだったのですぐ使えたので自分たちで大釜を使い炊き出しを行なっていること。
そして、介護関係や医療関係の方もそのまま継続して残ってくれているとのことだ、話を聞かせていただいた方の家は、、全壊しており、しかし運よく一室だけ綺麗に残っているとのことで、小学校に仮設住宅はできているがそこには入らず、持ち堪えた一室だけの我が家に住んでいるとのことだ。
正院地区は未だ断水もしているとのこと。
そして、写真を撮影していると、各避難所を巡回している警視庁の方に声をかけられ、その方は珠洲市担当なので「いろんな避難所等行ってるなら輪島の写真とかを見せて欲しい」と言っていたので、今回はまだ行っていないので前の写真を見せた。
そして警官の方が「輪島も被害がすごいね、けど、ニュースでは輪島市ばかりが取り上げられてるから珠洲市の被害状況が中々、報道されないけど、こちらは地震と津波の被害だから、輪島とはまた違う被害状況が凄まじい」と声を漏らした。
次に向かった先は珠洲でも津波被害のすごかった地区の避難所である「蛸島小学校」へ
こちらは、少しバタバタしてる感じだったので、物資をお届けしそのまま次の目的地へ
とりあえずこちらの地域も断水が続いており、街もほぼ壊滅状態だ
こちらは言葉で説明するより写真で見ていただきたい。
続いて向かったのは、珠洲市内の反対側にあり、発災当初はほとんどの地区が孤立地域になっていたエリアへと車を走らせた。
途中に珠洲岬方面にも行くのだが、そちらもまだまだ殆ど手がつけられていなく、一部では被災した家の持ち主が部屋の片付けをしている様子などが伺えた。
一部では道路工事をしているポイントもありその横には突っ張り棒で支えられた家屋も。
珠洲市内から禄剛埼まで来ると道路のほとんどがアスファルト舗装もされてない、砂利で応急処置をしている道ばかりになっている。
道を一本外れると道路が寸断されて片側1車線が崩壊している場所も、寸断されている場所は、笹波地区と呼ばれる場所で、道路寸断のため孤立していた場所になる。
因みにこちらのエリアは赤黄緑に区分される罹災証明が貼られていなかった。
次の目的地である、高屋地区にたどり着く前に、港を通るのだが、その港も壊滅し人々の生業が奪われているままだ、そして高屋地区に行くためには本来ある道を道なりに行けばいいのだが、大きな岩が滑落し、そのままになっているため、港の方を大回りしてから行かなきゃならない
険しい道のりを越えて、やっとの思いで高屋地区に到着、こちらも未だに断水し珠洲市のHPには断水解除の予定日が今だに未明となっており、水が出ない状況、そして物資も少なく、事前に得た情報では、「いろんな味のカップラーメン」が食べたいとのことで、様々な味のカップ麺をお届け。
高屋地区にお届けし、この日に購入した物資は全てお届けすることが完了したので、金沢市の宿に向け再び車を走らせた。
帰りに、去年「映画ゴジラ-1.0」が出て話題になった「ゴジラ岩」が目と鼻の先にあるので向かう事に。
そちらに向かうまでも少し険しく神社の入り口が倒れていたり、市指定文化財が見るも無惨な姿になっていたり悲惨な光景が目の前に広がった。
そしてマップ上でのゴジラ岩がある場所へ。
辺りを見渡してもゴジラがいない、てか隆起していて事前に見た景色と違いすぎて中々確認することが出来なかった。
更に詳細に調べると別の場所にあるとのことでもう少し車を走らせ、やっとゴジラ岩を見つけることができた。(探した時間約30分)
そしてゴジラ岩を見に行った後に、大谷地区という場所通ったのだが、こちらは発災後3ヶ月と29日目にしてやっと「給水車」が来たという。
道路舗装が遅れるならまだしも人間に必要なもの。空気の次に必要な水が3ヶ月も来ないというのは流石に国や県の怠惰と言わざる得ない。
そしてまた珠洲市内を通って能登町経由で帰る途中に石川県がコロナ交付金2500万円で製作した「イカキング」こちらも被害が出ており、地割れや液状化の跡が
因みにコロナ交付金2500万円で製作した「イカキング」自体は無事でした。
その後21時頃に次の日の買い出し、帰宅したのは23時頃。
翌日、31日は朝5時に起き、今回沖縄から一緒に同行していた、とーしが「ブリの定義」を変えたいということで、こちらはあまりニュースにならないが、能登半島の七尾市から車ですぐにある富山県氷見市の「魚市場食堂」へこちらは1月下旬に行った頃はガラガラでしたが、今回は列が出来るほどお客さんが並んでいました。
そして、朝ごはんの寒ブリ丼を食べて次は輪島市へと車を走らせた。(セットで付いてくるツミレが入った味噌汁が最高に美味かった)
輪島市へ行く道中、発災当初と比べたら道も良くなり、輪島市へのアクセスが楽になりましたが(穴水町から30分ぐらい)街の状況は、以前と何も変わらない。
そりゃ発災から3ヶ月、4ヶ月経つ段階で街が綺麗になるとは思わないが、珠洲市も輪島市も石川県が募集してる「一般ボランティア」の姿を全く見かけない。
通常なら街全体に人が溢れかえり作業してる姿があちらこちらで見るはずなのだが、石川県によると2月下旬の段階で4万人ほど入ってるとの事だが、本当に来ているのか?と違和感を覚えるぐらいだ。
それと重ね、今、人と同時に増えなきゃいけないのは渋滞だ。
その渋滞も心配になるぐらい無い、それが意味することは「被災地に人がいない」ってことだ。
そして輪島市にお昼前に到着し、まず最初に向かったのは輪島市鳳至町にある避難所「鳳至小学校」だ、こちらは、発災当初の1月から自衛隊も常駐し仮設のお風呂も意外と早く来た場所だ。
しかし4月にはその仮設風呂も撤退とのこと。
物資の受付をするため、受付が体育館の中になるため探していると避難者の方が親切に教えてくださり、少し話を聞かせて頂いて、こちらからは話すのも馬鹿馬鹿しくて話題にも出さなかったブルーインパルスの話をしてくださり、筆者が「どうでした?」と聞くと「あーーまぁいいんじゃ無いですか、でも空を見てもねぇ」と続け「その時だけ、普段見ないような人も大勢集まってましたよ」と当時の状況を教えて頂いた。
次にお届けに行ったのは前回、下着とタオルが無いという事で急遽追加で買いに行った「大屋小学校」だ。
こちらは、以前来た時はまだ断水地域でありましたが、今現在は断水は解消されましたが、物資受付担当の方は「いつまた水が止まるかわからないからありがたい」と「公的な物資の提供でそれが国からなのか県なのかの判断は難しいが、公的な支援物資より個人の物資提供の方がかなり多い」そして「なんでこのような状況でプッシュ型支援を打ち切ったのか意味がわからない、今後の生活立て直しが不安」と状況と心境を語ってくださった。
そして今回は普段は土建屋の仕事をしており建築職人でもあるとーしと共に、筆者ら素人にはわからない破損状況を質問しながら輪島市朝市を回った。
前回「選挙ウォッチャーちだい氏」と取材した時と同じくほぼ何も変わっていない。
こちらも是非YouTubeに上げているので見ていただきたい。
そして、今回の能登地震の被害状況を印象付けている「五島屋」も傾いたままだ、こちらは民家でもないし、明らかに持ち主がわかっている建物だから、早急に解体作業や、足場を周りに組み立てパネルなどで補強をするべきだ。
これから暑くなり、建物の腐食も始まり更なる倒壊が懸念される。
そして、輪島市内は午前中に切り上げ、続いては同じく輪島市にある門前町へと向かった。
昼食は輪島市の特産物である「輪島フグ」が食べられる「はしもと」へ
昼食後、腰の痛みに限界が来て一休みをしてから同じ門前町にあるディケアサービス「もんぜん楓の家」へ
こちらも断水解消はしてはいるが「飲み水」や「生活水」として使うにはまだ時間がかかるとし、行政から提供された水にも限りがあるので、「今、水と紙コップが無い」と言われたので、近所のコンビニも休業中なので、車で片道40分かけて志賀町の「マツキヨ」へ急遽買いだし。
水14ケースと紙コップと紙皿あるだけ、そして缶コーヒーとOS-1を2ケースずつを購入。
そしてまた戻って水を運んでいる時、同じ避難所で小学低学年ぐらいの年代の子が避難所の手伝いをしていた、これは美談でもなく、逆にそれぐらい特に小さな避難所では人手が足りていないということだ。
そして無事に物資をお届けした所で、今回の能登半島物資支援が全て終了したので帰宅。
途中満開ではないが桜が見れたのは少し嬉しかった。
帰りに志賀原発の近くを通るのだが、以前は発見できなかった志賀原発の風車が一部破損しているのが確認できた。
今回で4ヶ月目に突入した能登半島では、まだ「人」が足りていないのと全体的にまだ「物資が足りていない」地域があるということだ。
馳浩石川県知事も自ら「ボランティアの数が足りていない」とインタビューで答えており、「お前が原因だろ」と言いたい所だが。
それに加えて、国会議員の「塩村あやか」と「音喜多駿」そして「平河エリ」この3名が震災当初に行った「渋滞自粛警察」の影響は今もなお続いている。
しかし、言ってるばかりじゃ何も変わらないので、今後も足繁く能登半島に物資支援のお届けと取材に行こうと思っているので引き続き皆さんご支援のほどよろしくお願いします。
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それではまた!!