Re. 茶色の朝をまつ阿呆
自由は突然なくなるのではなく
真綿で首を絞めるかのごとく
だんだんと失われてゆくのだ
悲劇とは 忍び足が基本の手口であるのだから、気がついたときにはもう酸欠で どうにもならなくなる。
それなのにボクたちは、何もせず他人事のように振る舞って、のうのうと日々を過ごしている…そんな呑気で愚かな生き物なのだ。
政治や時代の潮流にはすっかり無頓着で、仮にも虐めや弾圧のリストに上がったとしても、まるで自覚がないほど鈍感なポンツクぶり。
自分自身が今のところ危険に晒されているわけではないのだし、このまま法律や制度に逆らわずにやり過ごしてさえいれば、これからもずっと面倒なことにはならないと思い込んでいる。
そんなふうにして楽観的な理屈をみんなで共有することによって、キミもボクも「世間がそうしているのだから大丈夫である」などという根拠のない'安心'に胡座をかいているのだ。
そもそも世の中の仕組みとは、少数の利得者と圧倒的多数の無関心な大衆で成り立っている。政治も経済も或いは子ども社会に於いてでもである。
ことさら日本人は他人に興味が無いという先入思想は強いようだ。それだからこそ大衆心理が顕れやすくもあり、そしてズル賢い一部の利得者にとってはそれが逆に都合がいい。
ボクたちは無関心がゆえに、煩わしいことには口をつぐんでしまうきらいがある。たとえ心のどこかに引っかかるものがあったとしても、大衆世間の漣にいつしか紛れ忘れてしまう。
しかしそれでも混沌のX日は必ずやってくるのだから、その執行日を迎えると遂には己の鈍感さに唇を噛むハメになるのだ。静かな水面下で着々と歩みを進める現実。信じ難い物語ほど現実に化けやすいものであると、ボクたちはもう自覚すべきである。
◇
ある日のこと。
'茶色以外'であるというだけで、わたしのペットである黒猫が殺処分されてしまうという理不尽な仕打ちを受けた。
わたしは嘆き悲しみながらも、政府の強引な施策に抗うこともできず、おとなしく泣き寝入りするしかなかった。
なぜなら、世の中のあらゆるものが茶色に染まってゆく同調圧力を なんとなく感じていたからである。
新聞、TVラジオ、服装、言葉つかい …
すべてが茶色に塗りかえられてゆく。
わたしは そのことに狼狽えつつも、不安や疑問を抑えて違和感をやり過ごした。
そんな小さな やり過ごしを積み重ねてゆくうちに、他者への痛みにも次第に鈍感になってしまうのだった。
やがて巷では、自らが進んで茶色に染まろうとさえする者も現れはじめた。
世間の流れに逆らわないで居さえすれば安心が得られ、面倒にまきこまれることもないといった寸法である。
茶色い悪に守られている皮肉な安心感。
むしろそれすら満更でもないと思えてくる捻じ曲がった風潮が蔓延っている。
今夜は寝室の天井も壁もベッドも茶色一色だ。明日の朝陽もきっと茶色に染まっているに違いない。
そうやって、やがては自分も真っ茶色に呑まれてゆくのだろうか。
そんな'茶色の朝'はもう間もなくやってくるのだ。
それを脈無く待っている救い難い阿保が此処にも一人いるのである。
ただそんな阿保は、勿論わたしだけではない筈だ。
鏡に写る 君のそのマスクに訊いてみるがいい。
根無し草のごとく浮遊するわたし
自ずから判断することを放棄した
みなと同じであることを正義とし
一つの同質化した大衆へと溶解し
差異や秀抜さは異物として排斥し
正気なマイノリティを握りつぶす
公権力を振りかざす大衆怪物と
静かにほくそ笑む利得者の支配
今朝はすっかり茶色に染まった
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