天文班・真中あおの胸について 〜『恋する小惑星』より〜

小惑星への道筋、あるいは『恋する小惑星』に関する近況報告

前回の記事でも紹介した通り、『恋する小惑星』、通称『恋アス』という作品にバカになるほどハマってしまった。あの記事を書いたその日の午後にはアニメイトに赴き、おもむろに原作を手に取り、そしてレジへと向かった。1835円が機械の中へ旅立つのを見送り、満足げな顔で店を後にした。自分の「恋アスランク」とでも言うべきそれは、「アニメ視聴」から「原作購入」という段階へ踏み出したのである。ちなみにCOMIC FUZで毎月まんがタイムきららキャラットを購読しているため、2月に発売される3巻を購入して読めば「本誌読者」へのランクアップと言っていいのかもしれない。

そして、『恋アス』のキャラクターである「真中あお」ちゃんに心を撃ち抜かれた。普通の言い方をすれば好きになった。どれくらいかといえば「二ノ瀬しずくちゃんには及ばないかもしれないけどまあそれに匹敵するかもしれないレベル」である。2019年の総括とかいう無駄長文を読んだ方ならこれで伝わるだろうが(あの長文はなかなかに読むには重いので今から読みに行く方は目次から「本のおはなし」に飛び、さらにライトノベルのところを飛ばして漫画のところまで流すことを推奨したい)、まあ軽く恋したくらいだと思っていただければそれで間違いない。

「胸問題」考察開始 〜出会い〜

さて、自分のような変態ではなく一般的な考察勢によれば、星の配置などからみてみらとあおが初遭遇した“キャンプ”は2008年8月らしく、さらに高校入学が2017年4月になるらしいので、このキャンプは2人が小学1年生の頃ということになる。いろいろ言いたいこともあるかもしれないが、この記事ではそういうことにさせておいてほしい。まあ1年生でなくても小学校低学年であれば、この記事で書きたいことは書けるため、そこはひとまず置いておく。

このときみらは「短い髪」「『あお』という性別が分かりにくい名前」などからあおのことを男の子だと勘違いするわけだ。そして高校入学後に再会する、というのが『恋する小惑星』の始まりである。

真中あお、小6の夏……「ムラムラ事件」

アニメ1話でも登場したが、1巻2話では「小6の頃、あおが『ムシムシ』を『ムラムラ』と言い間違え、それ以来話すのが苦手になった」というエピソードが語られる。これが真中あお本人の口から語られたのでこっちがムラムラしてくるがそれは一旦置いておいて、このシーンのあおちゃんの胸を見てみよう。
高校入学時と比べれば、このときはまだスカスカである。髪型も“キャンプ”の時とそこまで変化がなく、まだ「ボーイッシュな真中あお」として存在している。
また、ここでのあおの反応はまだ「ムラムラ」という単語が「えっちなこと」だとは知らない可能性も示唆しており、その辺りも考察しがいがあるのではないかと感じる。

では、一体「ボーイッシュな真中あお」から「“でかい”美少女真中あお」への変化はどこで起こったのか?

突然ですが、保健体育のお時間です

ここで保健体育の授業のような話をしよう。
いきなりだが、女性の生理の始まり、すなわち初経が起こるのは10〜14歳といわれており、その中心である12歳は小学6年生であり、つまり「ムラムラ事件」が起こった頃である。
ちなみにこれは余談だが、女性の第二次性徴が始まるのは平均して10歳頃であり、12歳ともなれば思春期真っ只中なので、些細なことでキャラ崩壊を起こす可能性は十分にあり得る。

さて、ここで仮に真中あおちゃんが12歳の頃に初経を迎えたとする。初経を迎えるとエストロゲンだのプロゲステロンだのという女性ホルモンの分泌量が増え、約3年で胸は成熟するといわれている。つまり、高校入学までに胸が成熟するのは至って普通であり、「あおちゃんはでかい」と言われるまでになるのは普通にあり得ないことではない。

さらに、胸の大きさは遺伝的影響をかなり受ける。では真中あおちゃんの場合はどうか。真中あおちゃんの母親はアニメ1話や原作1巻にも登場するが、これだけではわかりにくい。
しかし、原作2巻の73ページにも彼女は登場する。原作をお持ちの方は開いていただけるとわかるだろう。

これが、なかなか立派なものなのである
つまり、「遺伝的にも」、真中あおちゃんの胸の大きさは正常であることが証明された、ということになる。

終わりに:『恋する小惑星』の魅力の原点とは

この作品は「男の子と間違われるほどボーイッシュであった娘が」「高校入学までに胸をたわわに実らせ」「運命の相手と再会する」というまるでラブコメのような物語なのである。もちろん相手はみらなのでラブコメではなく百合でありきららであるのだが、その過程、具体的には「真中あおの胸の成長」という点において、オタクの想像を掻き立てるものであることに違いはない。
それこそがこの作品の「魅力」であり、オタクが引き寄せられる要因であるのではないか。

まあ想像を掻き立てられたオタクの一人が他ならぬ自分自身であるため、この記事を書いた、というわけなのだが。
改めて、作者であるQuro先生と、それをアニメ化した平牧大輔監督や動画工房の皆さんに心からの感謝をして、この記事のまとめとする。
(タイトルの割にはいい感じに終わったな、とは思っている)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?