ヲタクという都市
1.界隈と村
あまり人口に膾炙していないかもしれないが、○○村という表現がある。
例えば、アイマス村やボカロ村という表現である。
これは、広大なネット世界の中においては、自己が身を置く界隈が、いかに矮小かを自嘲する表現であると言えるだろう。
ただ、それぞれの界隈は、膨張することで都市化し、問題が湧出している。この「都市化」による弊害はなぜ起きるのか。
2.民度悪化の理由
幸田露伴は、旧幕臣の生れで、東京に強い愛情と誇りを持っていた。
『一国の首都』にて、東京を以下のように論じている。
要するに、東京は人が多く集まる所だとしか考えず、自分の利害しか考慮しないやつがいて、そのような人は東京にいるべきではない、という話である。
これは、ヲタク界隈でもそうではないだろうか。
都市化による人口爆発で、そのコミュニティ内における、自己中心的人間の存在をも膨張させてしまったのである。
3.解決策
人類学者ロビン・ダンバーの説では、互いに親密で、個別に個体認識できるコミュニティのサイズは150人とされる。
これを越えると、見知らぬ人との関係が必要となり、個体の固有性は認識されず、固有性が剥奪されてしまう。
これによって、相互に監視し合う環境がなくなってしまうのである。
本来、都市化においては、共通のルールを作り、相互の監視を外部に委託する必要がある。
もし、このような公安組織を内部に作ってしまうと、問題が生じる。
○○警察や自治厨という言葉が、他者に自分の信念を強要するような煙たがれる表現となっているのが、この証左である。
したがって、このような監視制度は、ヲタクの内部ではなく、外部、特に公式が担う必要がある。
もちろん我々は、最低限の努力をすべきである。
しかし、我々は裁く能力を持ち合わせていないし、持ってはいけないのである。
社会学者マックス・ウェーバーは以下のように国家を定義した。
これと同じように、ヲタクには精神的、物理的な行使は許されていないと考えるのが、共同体を良くしていく第一歩であろう。
現在のヲタク文化を形作っている世代は、子供の頃からアニメや漫画に触れ続けてきたヲタクネイティブと言える方々である。
そうした世代が拡張するにつれて、ヲタク村は徐々に都市化し、問題が生じててきた。
この問題が膨張し切る前に、一人ひとりがこの問題を考える必要があるのかもしれない。
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