はじめてのおわかれ
小学校2年生の時、はじめて本当の別れを経験した。生後1ヶ月になってばかりののセキセイインコのひな鳥との別れだ。
同じ小学校に通うみっちゃんのおうちのセキセイインコが赤ちゃんを産んで、里親を探しているとのことで、見に行った時。あまりの可愛さにいてもたってもいられず、帰宅して母親に家で飼うことを頼み込んだ。犬を飼いたいという願いは何度頼んでもダメだったが、なぜかインコはすんなりと承諾してくれた。当時の親友のかおちゃんのおうちもインコを飼うことを許してもらったらしく、数日後、ひな鳥を譲ってもらうため、かおちゃんとみっちゃんの家へ遊びに行った。
みっちゃんの家にひな鳥は3羽か4羽いただろうか、元気な鳴き声をあげ続け親に餌をせがんでいるようだった。その中で私はちょっと大人しめの1番小さなひな鳥を選んだ。かおちゃんはもう少し大きな子。
さて、名前は何にしよう? 私はその場ですぐさま「ピーコ」と名付けた。あまりにもありふれた名前だが、当時の私はなんて素敵な名前を思いついちゃったんだろう!と自信満々だった覚えがある。なんならかおちゃんが命名した「ピーチ」の方が可愛いしセンスがあるじゃないか。
図鑑や本を読んでセキセイインコの育て方を学ぶという発想がなぜかなかったので、とりあえずまずはクッキーの缶にティッシュや布などあたたかくなるようなものを敷いて、私の部屋で育てることになった。みっちゃんに基本的なことは聞いていたと思うけど、今思えばかなり無謀だったと思う。もっと良い環境で育てられたはずだ。ネットがない時代だったにせよ、綿密な下調べや尊い命を守ることにもっと責任を持つべきだった。今更すぎる反省。
そんな感じでピーコとの毎日が始まった。朝起きるとピーコが私の勉強部屋でピィピィ鳴いているので「おはよう」と挨拶をしに行く。そして、学校が終わったらピーコに会いたくて急いで帰る。餌はホームセンターで買った小さくて丸いインコ用の穀物をあげて、缶から出して部屋の中で自由にさせてあげたり、手に乗せて優しくよしよししてあげたりした。
そんな感じでピーコと楽しく過ごしていたある日、かおちゃんと我が家で遊んでいた時に、突然マイクで歌いたくなり、一方的な私の欲でカラオケ大会が始まった。私、かおちゃん、弟の順で好きな歌を歌う遊びだ。カラオケの機械があるわけではなく、大きなスピーカーのついたカセットデッキにマイクを繋げて音楽を流しながら歌うというスタイル。大音量で音源を流しながら当時のお気に入り『CHA-LA HEAD-CHA-LA』を歌った。相棒のピーコは私の手のひらにいる。
歌も終盤になった頃、かおちゃんがピーコの口元に手をやっているのが見えた。どうしたんだろうとよく見ると、ピーコは目を細め、なんと、嘔吐していた。人間の耳でさえ割と必要以上の音量だったから、小さなインコのピーコはなおさら辛かっただろう。私はピーコに悪いことをしたなあと反省した…と書きたいところだったが、私の歌が下手ってことなのか、ピーコよ勘弁してくれよ、の方が当時は僅差で勝っていたように思う。
さらに数日経ったある日、少し寝坊した私はピーコのおはようを端折って急いで準備をして学校へ行ったのだけど、帰宅したら母親から神妙な面持ちで
「ピーコ死んじゃった」
と伝えられた。嘘だ。今朝は「おはよう」って言えなかったけど、昨日は元気だったじゃん。
恐る恐る見に行くと、寝ている時とは明らかに違う状態で横たわっていた。一瞬で涙がいっぱい出た。見るのが辛くてリビングに戻り、もう一度見に行ってもやっぱり死んでいてもう一度泣いた。しばらくそれを繰り返して泣き続けた。朝おはようと言うためにピーコに会いに行っていたら、学校を遅刻するくらいに朝泣いていただろうな。
こうして、小さなピーコと小さなままお別れとなった。そういえば、性別も知らないままだったな。写真すらない。
母親と弟と三人でマンションの敷地内の土があるところに小さなお墓をつくった。ベッドの代わりにティッシュで優しく包んで土を被せたら、私だけでなく母親も泣いていた。
もともと弱い子だったのかもしれないけど、あの時私が大音量で『CHA-LA HEAD-CHA-LA』を歌ってなかったら、生活する環境をもっと良くしたら、もう少し一緒にいられたのだろうか。真相は定かではないが、30年以上経った今もピーコの鳴き声やふわふわの小さなからだを忘れていない。ピーコと暮らした日々は、幼い私にとって貴重な時間だったと思う。
ちなみにかおちゃんちのピーチはスクスク育って大きくなった。その後、ピーチも色々あったんだけどその辺は端折ります。