おばあちゃん
1月24日夜。父親から立て続けにLINEが届きました。
"瀬戸のおばあちゃんが危篤です。意識がなくなった"
"今お父さんはしゃぶしゃぶ食べてる"
"今日はお父さんとママの結婚記念日だからね"
"お父さんは大丈夫だよ"
内容の振り幅があまりにも大きいことに混乱して
"そうか。おめでとう!"
と、ひとまとめで返信してしまいました。記念日はめでたいのですけど、こんな大切なこと、私の返事を待たずして一緒に送ってくるなよバカ!
おばあちゃん危篤……。いずれはやってくることだと覚悟はしていましたが、とうとう来たのか。と、冷静になった途端ちょっとだけ泣きました。
父方の祖母、通称「瀬戸のおばあちゃん」は、大正4年1月11生まれで先日100歳になったばかり。100歳超えている日本人って、何人いるのだろう? 気になったのでネットで調べてみたら、5万8000人いるのだそうです。1億2000万人のなかの5万8000人のなかの1人! よく「美味しいものも散々食べたし、いろんなとこ行ったし、もう死んでもいいわ」と言ってましたが、それはネガティブな気持ちからではなく、本当にもう満足しているような前向き……っていう言い方もなんだか妙ですが、人生やりきった感から発せられてる言葉のようでした。100歳の言葉はどれを取っても重みが違うものです。
まだ危篤状態ではあるものの、近いうちに執り行われるであろうお葬式には出たいと、実家に帰れそうな日を具体的に考えていたのですが、先ほど母親と電話したときに聞いた話では、おばあちゃんは兼ねてから「お葬式はしないでいいから。」と言っていたそうです。「棺桶にお花敷き詰めてお坊さん呼んだりしないで!」と。なんともおばあちゃんらしい。亡くなった時は家族だけで、静かにさよならをするのが決まっているので、遠方組は後日会いに行ってあげてね。との事でした。
おばあちゃんはすごく自然体で、飾らない人です。豪快におならをしながら普通に会話をする人でもありました。私が生まれるもっと前におじいさんが亡くなり、「チンなし会」とかいう未亡人集団のリーダーとして、水泳やらフォークダンス、海外旅行やら、ありとあらゆる事にチャレンジしていたようです。少年院で習字の先生をしていたということも少し前に発覚しました。「チンなし会」の活動が実際あったのかは知りませんが、なんて下品なネーミングなんでしょう。嫌いじゃない。いや好き。すごい好き。
大学を卒業し、東京に出てから、たまには顔出さなきゃなと思いながらも結局お正月にしか会えていませんでした。父親が時折おばあちゃんの家に顔を出す度、"なゆちゃん、なゆちゃん"と、私の話をたくさんしてきたそうです。おばあちゃんがなんでそんなに私の話をするのか。それは、新聞の折り込みチラシに私が度々登場していたからでしょう。あまり公表していませんでしたが、一時期色々なチラシにガンガン出ておりました。満面の笑みでポーズをとってるチラシを沢山引き出しに保管して、毎回父親に見せていたのだそう。私がおばあちゃんの家に行ったときも、何度も開け閉めしてボロボロになったチラシを見せてくれました。そういえば、母方のおじいちゃんが生きていた頃、チラシに出てる私が沢山部屋に貼られていたな……。こんなことが祖父母孝行(?)になっていたとは思いもしませんでした。ファッション誌とかのモデルに憧れて東京に出て、チャランポランでなにやってるのかよく分からない孫の近況を、こういった形で報告できていたことはすごくうれしかったです。
と、ここまで書いて放置していたのですが、今朝父親からLINEが届きました。
"おばあちゃん完全回復! 今朝はニッコリ笑って柿を食べたいって!"
まだ生きるんかい! 嬉しいけども!