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【上海ブラバ】春の雪編 Short Story


このお話はヒロイン、松原小夜目線のお話となります。

1.

「ううう」

「小夜ちゃん、大丈夫か」

「大丈夫ではありません……」

大和くんからの問いかけに、弱々しく答える。
彼と市場に買い物に出た私は、襟巻に黒朱子マスクの重装備だった。

「まるで疫病が流行った時みたいだな」

「私には疫病です……っくしゅん!」

「……大変だな」

肩を縮める私の隣で、大和くんが心配そうな表情を浮かべる。
春のころ、町には<春の雪>と呼ばれる白い綿毛がふわふわと漂っている。
大和くんは手のひらを空にかざし、空から降りてくるものを受け止めた。

「これ、柳じょ(リュウジョ)って言うんだろ? タンポポの綿毛みたいなもん?」

「そうです。柳は種に綿毛をつけて風に乗せて遠くまで運ぶんですよ」

この町にはたくさんの柳が植えられており、その柳が春とともに一斉に綿毛を飛ばす。
見た目には確かに風流なのだけど、そのせいでくしゃみが止まらない人も少なくない。私のように。

「その様子じゃ、しばらく外出は控えたほうがいいかもなあ」

「そうしたいですけど、買い出しには行かないと……っくしゅん!」

「小夜ちゃん、俺の後ろを歩けば?」

「えっ?」

「綿毛が鼻や口に入らなければいいんだろう? だったら、俺が盾になる」

そう言って、大和くんは私の前に立った。

「いいんですか?」

「別にいいよ」

大和くんの声に笑いが混じる。

「では、お言葉に甘えて」

私は大和くんの後ろにピッタリくっついて歩き出すと、確かに綿毛に遭遇せずに済んだ。

(これは助かります。でも、大和くんとお出かけなのに、並んでおしゃべり出来ないのは残念……)

「おーい、いるか?」

目の前の広い背中の向こうから、大和くんの声が飛んでくる。

「います。綿毛が来なくてだいぶ楽です」

「それは良かった。でも、時々、あんたが本当に後ろにいるかどうか分からなくて心配になる」

「え?」

「あと話しにくいし。早く綿毛の季節が終わるといいな」

大和くんも同じことを考えていたのだと知って、少し嬉しくなる。

「うふふふ」

「どうした? なんだか不気味な笑い声が聞こえてきたけど」

「いえ、なんでもないです。うふふ」

「あかん、綿毛で頭までおかしくなってるやん」

大和くんから呆れられてしまっているのに、私は笑い声を止める事が出来なかった。

※ ※ ※

市場に来た私たちは、順調に二日分の食料を購入して回った。

「あとはお茶ッ葉だけ?」

「はい」

「どんなお茶を買うの?」

「お兄様と友さんがこの前飲んだ鉄観音茶を飲みたいと。確かここで買ったはずです」

大和さんと共に、前回、お茶の葉を買った店を訪れる。店内には香ばしい香りがあふれていた。

「はあ、いい香りです」

「そうかあ? なかにはかび臭いのもあるけどなあ」

「大和くんは相変わらず嗅覚が鋭敏ですね。お茶の目利きになれるかも」

「いや、お茶じゃ腹は膨らまないから遠慮します」

即物的な事を言う大和くんに、私は腕を組んで答えた。

「お茶は腹の足しになりませんけど、風邪の予防になったりするんですよ」

「その通り。あんた、もしかして柳じょ(リュウジョ)でくしゃみが止まらないのかい?」

店主が私に向って聞いてくるのを、大和くんが代わりに答える。

「そうだよ。よく分かったね」

「口を黒朱子で覆ってる。この時期、日本人がよくやってるからね」

大和くんは店内を見渡しつつ、店主に向かって尋ねた。

「なあ、くしゃみに利くお茶ってないの?」

「あるよ」

店主が茶葉が入った籠を引き寄せる。

「匂いをかいでごらん」

「よし、小夜ちゃん、まずは俺が調べてみる。変な匂いだったら、イヤだろ」

大和くんが顔を寄せて、匂いをかいだ。

「あれ? なんか甘い。小夜ちゃんもかいでみ」

「どれどれ……あ、ホントだ、甘い。これ、甘茶では」

「それは甜茶といって、お茶ではない葉っぱだよ」

店主からそう教えられて、私はなおもくんくんと鼻を動かす。

「ハーブティーみたいなものかしら」

「春のくしゃみによく効くよ」

店主の言葉に大和くんが身を乗り出した。

「ホント?」

「ホント、ホント」

「じゃ、買うよ」


大和くんはそう言って、お財布を出した。

2.

「大和くん、飲みたいんですか?」

「俺じゃないよ。小夜ちゃんのだよ。くしゃみを止めたいだろ?」

「そうですけど」

「小夜ちゃんは鉄観音茶を買って、俺たちに飲ませる。俺は甜茶を買って小夜ちゃんに飲ませる。それでちょうどええやん?」

「なるほど。うふふ、じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「お茶で治るなら安いもんだ」

そう言って、大和くんは甜茶を買い求めた。

「まいどあり」

「店主さん。ところでこれ、どうやって飲むの?」

「弱火で加熱しながら煮だす。沸騰してからもしばらく煮だす。何も入れずに飲む」

「ふーん、要するに弱火で煮だせばいいんだ」

「簡単そうですね」

こうして私たちはお茶の葉を買い終わり、市場をあとにした。
街を歩きながら、大和くんが大きく伸びをする。

「よし、これで仕事も終わったし、アレだな」

「アレ?」

「買い食いに決まってる。今日は焼き小籠包でどう?」

「いいですけど、お兄様にはナイショですよ? 寄り道が過ぎるってお小言を言われます」

「分かってるって。ふたりの秘密ってことで」

大和くんが私に向って小指を出す。

「はい、約束です」

私も小指を出すと、大和くんは笑顔で指を絡ませた。

「指切りげんまん、ウソついたらハリセンボンのーます」

他愛のない秘密だけど、なんだか少しドキドキする。

「ところで、ハリセンボンって、針を千本? それとも、魚のハリセンボン? どっちにしろ、罰がひどすぎるよな」

「確かに。どっちも痛そう」

「さて。そうと決まれば、さっそく行こう」

地の文
私たちは、美味しいと評判の小籠包のお店の屋台が出ている公園へ向かった。
いつ見かけても行列が出来ていたが、今日ももちろん行列ができている。

「この屋台、前から気になっていたんですよ~!!」

「ふっふふふ、おぬしもスキモノよのお。わしも配達で通りかかるたび、腹の虫が鳴っておったのじゃ」

「悪代官になるの、やめてください」

そんな軽口をたたきながら、列の後ろに並ぶ。大和くんが空を見上げて、嬉しそうに呟いた。

「今日はぽかぽか陽気だから、並ぶのも辛くないな」

「でも、寒い中で食べる湯円はたまらないものがあります」

「確かにそうですな」

「大和くんは上海に来てから食べたもので、一番美味しかったものは何ですか?」

「湯円、小籠包、麻婆豆腐、紅焼肉、東坡肉……いっぱいあるよ。とてもひとつには決められない」

「そうですよね。私もたくさんあります」

「けど、一番美味しいのは小夜ちゃんの料理」

「えっ、ホントですか!?」

その回答は意外で、私は思わず驚いてしまう。

「なんで驚くん?」

「だって、神戸は美味しいものがたくさんあるから、大和くんは美味しいものをたくさん知っているし、友さんが作る料理のほうがいつも豪華だし」

「友さんの料理も美味しいけど、小夜ちゃんが作るほうが味が優しい。毎日食べるなら、絶対小夜ちゃんの料理」

「そう言ってもらえると嬉しいな……」

面映ゆいけど、褒められるとやっぱり嬉しい。

「しかも、友さんの料理は予算度外視になりがちだから、あんまり続くとなー。あと、謎の香辛料を使うことがあるから、危険もあるんだよな」

「確かに」

昨日、謎の香辛料を入れた結果、辛すぎて全員が悶絶した料理が出たばかりだ。なんとか白ご飯でごまかしながら食べきったけれど……。

(私の料理が無難だから選んでくれたのかもだけど、それでもやっぱり嬉しい)

また、自然と頬がにやついてしまう。

「うふふふふ」

「小夜ちゃん、大丈夫? また不気味な笑い方してる。綿毛が本当に頭にまで回ってしまったん?」

「もー、そんなことはありません!」

3.

その後、15分ほど並んで、ようやく私たちは焼き小籠包を手に入れることが出来た。大和くんが手に持っている小籠包を数える。

「えーっと、6つあるから、4つと2つ」

「私が4つでいいですか? ……くっしゅん」

「冗談です。3つずつでお願いします。あと、鼻水ふきや」

「鼻水は出てません」

ベンチに並んで、ふたりでさっそく食べることにする。

「小夜ちゃん、ちょっと待って。まずは俺が調べる。ヘンな味だったらイヤだろ?」

「もー、これはお茶とは違いますよ。先に食べたいだけでしょ」

「そうでーす。いただきまーす」

大和くんはパクリと焼き小籠包を口の中にまるごと放り込んだ。すると、次の瞬間――

「あっつーーーーー!!」

大和くんの叫び声が、公園にこだまする。

「だ、大丈夫ですか?」

「小夜ちゃん、これはフーフーしてから食べろ。やっぱり俺が先に調査しておいてよかったな」

「はいはい」

忠告通り、私はよく冷ましてから小籠包を頬張る。
公園で焼き小籠包を堪能した私たちは、満足感と共に家路についた。

※ ※ ※

そして、その日の夜。お風呂から上がったあと、私はくしゃみを連発していた。

「くしゅん! くしゅん!」

@近衛季重通「おい、大丈夫か?」

お兄様が私を心配そうに見つめている。彼は近衛季重お兄様。親戚であり、幼い頃に両親を亡くした私と兄弟同然に育った人だ。私は口元を押さえて首を傾げる。

「うーん、家の中にいてもくしゃみが出るなんて」

「髪についていた綿毛が風呂で落ちてきたんだろう……くしゅん!」

「あれ? お兄様も?」

「そうだ。お前のがうつった」

「まあ、うつるような病気じゃないわ」

「だが、俺も数日前からおかしい。外出すると、くしゃみが止まらない」

「シゲさんも綿毛病だな。間違いない」

慌てる私たちを尻目に、友さんは座敷でのんびり寝そべったままで言う。
そんな友さんの様子を、お兄様はじっと睨んだ。

「友、お前は平気なのか?」

「俺は平気。まあ、綿毛が目に入ってくるのはイライラするけど」

「大和も海も平気そうだし、この家じゃ俺と小夜だけか」

「血縁が近いから、体質が似てるんだろう。たぶん、ふたりとも綿毛に過敏に反応するんだな」

「ところで、海くんと大和くんは?」

私がきょろきょろしていると、友さんが教えてくれた。

「海はまだ仕事から帰ってない。大和は台所へ行ったぞ」

「台所に? ちょっと見てきます」

地の文
友さんの言葉通り台所へ行くと、大和くんは火を使って薬缶を沸かしていた。当たりには、かすかに甘い匂いが漂っている。

「大和くん、何してるんです?」

「ん? さっそく甜茶を煮だしてる。ちょうど出来たところ」

地の文
大和くんは火を切り、御湯呑みにお茶を注いだ。

「飲んでみて」

「ふふふ、今回は大和くんが先に調べないんですか?」

「あ、そうだった。忘れてた」

「冗談ですよ。いただきます」

「フーフーするのを忘れずに」

言われた通り、フーフーしてから一口飲むと……

「美味しい! ほのかに甘い!」

「へー、俺にも一口飲ませて」

地の文
横からスッと手が出てきて、私の御湯呑みをとる。そして、一口飲んで軽く微笑んだ。

「ホントだ。ほのかに甘い。砂糖も何も入れてないのに」

「……」

「小夜ちゃん? どうしたの? 顔赤くない?」

(言えない……間接接吻では? と思ったなんて言えない……)

「綿毛病って熱も出たっけ?」

心配そうな大和くんの手が額に触れる。

「ひえっ」

「? 何、どうしたの」

「な、なんでもないです。薬草茶なのに甜茶美味しいです。こんなに美味しいものを飲んで、綿毛病にきくなら、言うことなしです」

そう言って、ごくごくと飲んでいると、横から違う手が伸びてきた。

@近衛季重通「お、これ、綿毛病の薬か? どれどれ」

地の文
お兄様が私の御湯呑みを取り上げ、最後まで飲み干してしまう。

「なかなか美味い」

「えー……」

「大和、俺と小夜のためにこんな美味しい薬草茶を作ってくれるなんてありがとう。これからもよろしく頼むぞ。俺と! 小夜のために」

そう言って、お兄様はぐっと大和くんの肩をつかむ。

「え、あ、はい……」

大和くんは心なしか顔をひきつらせながら、頷いたのだった──


END

登場人物紹介

画像1

マイペース×御曹司 藤原大和

近衛季重が経営している書店を小夜と共に手伝っている。神戸の大店の息子で、上海には社会勉強のために来ている。

画像2

兄替わり×幼馴染 近衛季重

日本の名家、近衛家の出身だが上海で「近衛書店」を経営している。両親を早くに亡くした小夜の兄替わりであり、彼女に対しては若干過保護気味。

画像3

料理上手な俺様×軍人 北大路友綱

上海に駐在している軍人で、近衛書店に下宿している。多少強引な部分もあるが面倒見がよく、小夜を気に入っていてよくちょっかいをかける。


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