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【大会レポ】初マラソンを思い出してみる(ホノルルマラソン)

秋から春先はマラソンシーズンで多くのハーフマラソンやフルマラソンが各地で開催されています。

これからフルマラソンを走ってみようなんて思っている人も多いんだろうなぁ。

ということで、自分の初マラソンを思い出してみました。

初マラソンは今から約16年前の第35回ホノルルマラソンでした。


フルマラソンを走るきっかけ

28歳の年に合コンで翌週から会社を辞めてバックパックで世界一周するという女性に出会います。色々と自分の価値観が変わる衝撃的な出来事でした。合コンの面子が気に入らなくて言い寄られないように嘘をついているのかとも思いましたが、悶々とした日々を過ごします。

就職してから平日は夜遅くまで仕事、休日は寝ているかギャンブルという毎日、何もせずに20代が終わってしまうと焦ります。 

そして、29歳を迎える年になり、とにかく若いときにやらなくて後悔している3つのことをやろうと上げたのが、「海外に行く」、「富士登山をする」、「フルマラソンを走る」でした。

当時、東京マラソンが開催されると盛り上がっていました。

東京の街を走るのがとても魅力的だったのですが、たまたま会社の労働組合でホノルルマラソンツアーがあり12月に「海外に行く」と「フルマラソンを走る」を同時に達成できるなと、参加を決めます。
そして8月に「富士登山をする」を達成すればフルマラソン完走する体力づくりは出来るかなという感じです。

計画が決まったのがちょうど初夏で、フルマラソンまで6ヶ月くらいとトレーニング期間的にはタイミングが良かったですね。

まずは形から入る

私は形から入るタイプです。

機能とデザインが良いものを使いたい。
登山用品もランニング用品も良いものを使うと気分が上がって3日坊主も少しは解消されます。

まず買うものは、腕時計とシューズですね。

腕時計は、当時はGPS機能など付いたスマートウォッチは存在していません。1km毎のラップとして43回以上記録できて軽くてソーラー充電のものを選びました。

シューズは「裸足感覚」というフレーズに惹かれてナイキのフリーだったと思います。
裸足の方が速い理論があったような。履き心地も童心に帰るような?
あとデザインですね。
ナイキですら当時はマラソン向けシューズは私の趣味に合うようなものは無かった気がします。
履き心地と見た目は重要です。

そして、iPod。
音楽を聴きながら走るのがかっこいいと思ってたし、ステレオも持っていなかったので音楽を聴く目的で走るというキッカケにもなりました。
アルバムを1周すれば40分走とかになって丁度良かったと思います。


トレーニング

日々の運動量を増やす

通勤で徒歩の時間を増やし、事務所がビルの5階くらいだったので通勤、昼食時、外出となるべく往復するようにしていました。

登山をする

富士登山はどうせなら最長区間を登ろうと御殿場口を登ることにしました。
そのため、富士登山に向けてのトレーニングは、檜洞丸と足柄から金時山と比較的長くてハードな登山をしました。

御殿場口を往復10時間でした。
登りのコースタイムで往復出来てるので、十分にフルマラソンを走れる体力は付いてました。

マラソンのトレーニングについて学ぶ

秋に会社に陸上部があったので労働組合の企画でオリンピックを目指す選手とコーチからマラソンを走る上でのトレーニングについて話を聞く機会がありました。

選手の半年くらいの練習メニューはかなりゆとりがあって「自分が楽しくない練習は意味がない」というのが印象的で今でも意識しています。

目的意識を持って腹落ちしたメニューを熟し、成果をポジティブに捉える。練習の為にしっかりコンディションを整える、ただし体調や気分で無理はせず練習メニューは変えても良い。
そんな感じでしょうか。

天城越え

漫画などの影響もあってか修行感が欲しいなと、思いついたのは天城越え。
静岡県東部出身なので実家から行きやすいし、某名曲からもの凄く大変な道な印象でした。

初めての旅ランでもありました。

途中の猪コロッケを目当てに旧天城トンネルから浄蓮の滝、修善寺駅まで24kmくらい。
猪のテーマパーク天城いのしし村は所持金やら時間やら怪しく寄らなかったのですが、翌年に閉園し残念なことになりました。

そして、お目当ての猪コロッケは売り切れ。
午前中には売り切れるとのこと…

猪つながりで猪最中を買って帰ったと思います。

猪コロッケしか調べず行き当たりばったりで、日が暮れてきて全力で下り坂を走ったりしたので結果的に追い込めました。

40km走

ホノルルマラソン1週間前に42.195kmを走った経験がないと体が拒否反応を示すかも知れないと焦って40km走をしました。

今ならランニングトレーナーとしてお勧めしないメニューですね。

家から海まで片道20km。当時はスマホも無いので道に迷いながらちょっとした行きは冒険で楽しかったのですが、帰りは登り基調だし走れない。

6時間くらい掛かったと思います。

これでは完走できない(ホノルルマラソンは制限時間が無いことは知らず)なとショックでしたが、超回復でなんとかなるだろうと、あとはマラソン当日まで走らずでした。

レース距離が未知である不安は無くなったので、多少は効果はあったのでしょうか。

今、思えば疲れもなくレースに臨めたので、40km走以前にしっかり走り込めていたんだと思います。

レース前

気分上々

飛行機はスポンサーのJALでアメリカン航空と共同運行便だったと思います。フライトアテンダントが好みの容姿のパツ金美女でホノルルマラソンのツアー用便だったのでしょうか応援メッセージとラバーバンドを貰いテンションが上がります。

現地で仲間が一眼でわかり易い色だとオレンジのチームTシャツを受け取ります。
全く知らない人同士の団体でしたがユニフォームは一体感が出て良いですね。

ランナーズルート(スポーツ店)でオレンジのTシャツに合う色合いのランニングパンツとホノルルマラソングッツとしてキャップを購入しました。キャップなんて子どもの頃の野球帽以来被ったことないのですが、テンションが上がっていたからでしょう。

レース目標

サブ4とかそういう用語は知りませんでした。
ペースについてはあまり記憶にありません。

「給水は歩いてしっかり取る。それ以外は歩かない。」

だったと思います。
ただ、子どもの頃に北海道マラソンに憧れていた時期もあったので当時の制限だった4時間は気にしていたかも知れません。

レース

スタート前

スタートは朝の5時。
朝3時くらいにホテルのロビー集合。
軽い朝食とスタート地点までのバスが待っています。初心者ではツアーでなければ何もわからなかったかも。

ハワイはスコールが多いということでしたが、スタート前にまさかのスコール。
びしょ濡れです。
早朝でも寒くないのが救い。

スタート前のトイレは混んでたんだと思います。
スタート後、とにかく空いている先のトイレに入ろうと結構飛ばした記憶です。

当時の大会についての記録がありました。
スコールによるシステムトラブルで大変だったようですね。

著名人ランナー、たむけん?w
長谷川理恵さんが毎年走ってるんだと思っていましたw


引用元: ホノルルマラソン50周年記念大会スペシャルサイト「ホノルルマラソンヒストリー」

スタート

真っ暗な早朝なのにホテルやらマンションの窓から多くの人が応援しています。
そして、花火の打ち上げ。
スタートからお祭り騒ぎです。

常夏なハワイですがクリスマスの時期で役所前にライトアップされたサンタの大きなモニュメント。不思議な夏のサンタです。
グループで走っている人が多く、記念撮影でごった返しています。デジカメを持って走る人が居るんだと驚きました。

いきなりの試練

5km走らないうちに足の裏の皮がごそっと剥けました。
あと40km近く走るんですが…
かなりショックだったのを覚えています。
後で濡れると皮がむけ易いと聞きました。
足濡れ対策は必要(この10年後に別のレースでも大失敗しましたw)です。

しかし、足の皮が捲れてくれれば10kmくらい走ると痛みに慣れますね。

TVの収録

夜が明け、ダイヤモンドヘッド手前の登り。細い道で渋滞し自分のペースで走れません。
ホノルルマラソンは日本のTV局の撮影が入っています。
TVの撮影のジープが人の群れの真ん中を走っていて、とても邪魔だと思ったんですが、同時にTVに映りたくもある:-)
実際に映ったかどうかは確認していませんが。

30km手前だったか、高橋克典さんが沿道で中継していました。中継の邪魔はできないなと声掛けたりハイタッチも求めず、心の中では特命係長だ!っとニンマリしたのを覚えています。

35kmの壁

20km付近で苦しくなるも25km手前で靴紐を結ぶために立ち止まったら回復し元気になってペースが上がりましたが…35kmの壁を体験。

5kmおきくらいにある写真撮影ポイントでアロハポーズと笑顔でなんとか元気を出します。

30kmすぎから止まっている速そうなランナーたち。そして肉離れで倒れている女性。
マラソンの恐ろしさを知しりました。

感動のゴール

ゴールのある公園に入って長い直線。入り口に最後の給水があってスポーツドリンクを一口飲んでゴールへ辿り着く元気を貰います。
ゴールがどんどん近づくにつれて自然と涙が溢れてきます。
そして右腕を突き上げてゴールでした。

人生で初めて自分を褒めてあげたいと思った気がします。
達成感と二度とフルマラソンは走らないとそんな感情が湧き上がります。

完走証は手元になく、レース2日後辺りで買えるリザルトの新聞を改めて確認してみましたが4時間16分43秒でした。
もう少し速かった記憶なんですが手元の時計はネットタイムだったかも知れません。

レース後

夜まで続くゴール

ホテルに帰ってシャワーを浴び昼寝。
起きると遠くからまだ歓声が上がっています。
いつまでレースは続くんでしょう。
(まだ制限時間がないことを知りません:-p)
ゴール地点を眺めつつワイキキビーチに。足の裏が捲れて痛いのに。

ゴールではちょうどウェディングドレスと白いタキシードの男女がゴールしていました。ウェディングランだったようで、ゴール後にスタッフがドレスの裾を持って汚れないようにしていましたが…スコールで時すでに遅しだったと思います。

しかし、海外のレースなのにランナーは日本人だらけでみんなはっちゃけてて不思議な感じでした。

夢のあと

翌日、ダイヤモンドヘッドに観光で歩きました。
マラソンコースを辿ることになりますが補給食のゴミだらけです。

補給食を持っているランナーはスタート地点で目にしていましたが、ランナーはスペシャルドリンクかオフィシャルドリンクしか補給できないと思っていました。エイドでバナナとかあったのかもしれないけど記憶にない。

ルール違反した挙句にゴミを捨てるとは日本人としてどうなんだ?とか思っていました。
(ゴミ箱の設置は記憶にないですし、あとでボランティアの方々が掃除するんだと思います。)

ただ、ランナーの足跡のようで昨日の感動が蘇ってくる光景でもありました。

残念な現実

日本に帰って、労働組合からツアーの写真データを貰いました。
私がツアー初参加の初マラソンで思っていたより速く事務局の方の前を通り過ぎたせいで私のレース中の写真が撮れてなかったということでした。

別に記念だと50ドルくらいでオフィシャルビデオを購入しました。
動画で感動のゴールが蘇るかと思ったら、めちゃくちゃカッコ悪いフォームで走っていてショック。そして、ヘロヘロな自分の前に2人の女性がゴール前で記念撮影…

自分にはセンスが無いなと、やはり二度とマラソンはしないと心に決めました。
(2度と走らないと言って気がついたら走っているのがマラソンでもあります:-p)

おわり

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