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君に届く?(#君に届かない)

 あの日、君は飛び降りた。
 僕の留守中。二人で暮らした古いマンションの一室。その最上階の一個上。屋上の片隅に綺麗に揃えられた靴。争った形跡は皆無。簡単な現場検証の結果、警察はそれを自殺と断定した。
 自殺。
 形だけだから、と受けた取り調べ。午前3時を過ぎた辺り、担当の刑事さんがくれた一本の煙草。久しぶりだから噎せるかな、と思ったけれど、勝手に溢れ出す涙が気管支の拒絶反応を上回ったらしい。吐き出した煙が僕の視界に白く、靄をかけた。



 君は所謂、心の弱い子だった。
 僕が守ってあげなければ、と安っぽい正義感で始まった恋だった。だが共に生活し、何度も衝突し、その破滅的な衝動をボロボロになりながら受け止め、そうこうしているうちに、これは守る守らないではないな、一緒にずっと付き合っていくのだな、一緒にずっと生きていくのだな、次第にそう心は固まっていった。
 一緒に、前向きに生きていこう、そんなことを話し合っていた矢先だった。
 その声が好きだった。楽しそうに笑うところも、泣くときだけ幼児みたいな目になるところも、生意気なところも。嫌いなところ、というよりは直してほしいところも、沢山あったけど。
 何でだろう。
 何でかな。
 君は一人で行ってしまった。僕に一言の相談もなしに。
 前向きに生きようっていうのが負担だったかな。いつものように喧嘩にならなかったのは、それだけ心を壊しちゃったということかな。それとも別のことかな。積もり積もって、というやつかな。
 答えは返ってこない。分かっていても僕は問いかけ続ける。
 他に何も、なくなったから。


 僕は時々、屋上に出る。
 あんなことがあった後だから、勿論施錠されるようになっていた。だがネットで探してみると、案外普通に合い鍵は売っているもので。



 風が気持ちいいな、とは思う。
 僕はあの日からまた煙草を吸い始めた。
 刑事さんが独り言のように教えてくれた、君の靴が揃えてあった場所に、自分のを揃えてみる。靴下ごしに感じる冷気。フェンスの向こうに見下ろす街並み。

 君はここで、何を考えていたのだろう。何度もここで逡巡しただろうか。それとも、君のことだからもしかして、爆発するように一気にやってしまったのだろうか。

 落ちていく間、人は走馬燈を見るという。
 後悔、しただろうか。
 死にたくないと、思ってくれただろうか。
 僕のことを少しでも、思い出してくれただろうか。
 視界がぼやけるのは、強まってきた風か、白煙か、涙か。全部だな。




 それから暫くして、ふと僕は思い立った。
 そうだ。君に会いにいかないといけない。君を追いかけないと。きっと今頃、一人で泣いている。僕と出会う前のように、喧嘩した後のように。
 そう考えると、それは当たり前のことのように思えた。ごく自然だ。これは一種、愛なのだろう。僕は君が死んでようやく、愛というものに気付いたらしい。滑稽なことだ。
 うん、そうだ。そうしよう。何で今まで思いつかなかったのだろう。

 それからの日々は、色を取り戻したかのようだった。
 早く会わねば。でもその前に色々と、区切りをつけなければいけない。先ず、銀行からお金を引き出しておいて、荷物も廃棄しやすいようにある程度処分して部屋を片付けないといけない。親にはどうしようか。止めに来られたらまずいし、何日か後に自動送信になるようにメールを設定しようか。そうだな、そうそう、PCは初期化しておいた方が良いな。見つかったら恥ずかしいものな。
 日取りはどうだろう。あの日と同じ日が良いな。おぉ、そう言えば近いな。天気も悪くないらしい。
 なら、決まりだな。


 そして、その日が来た。

 屋上で一人、君が好きだったお酒を飲む。そして煙草を吸う。晴れやかな、だが少し高揚した気分で街を眺める。 僕はここで、何も為し得なかったな。何者かになりたいと思ってこの街にやってきたけど、結局は好きな女一人幸せに出来なかったな。
 そうして今、僕は流れ流れて、ここに立っているんだな。
 でもこれも全部、必然だったように思う。生まれて、生きて、辛いことも嬉しいこともあって、両親にも友達にも恵まれた。少なくとも悪い関係ではなかった。僕の生きてきた軌跡が、君と僕を引き合わせてくれて、君が死んで初めて愛を知って。その愛をもって、君に会いに行こうとしている。


 さぁ、行こう。

 靴を揃えた。

 フェンスをよじ登る。結構怖いなこれ。

 縁の縁。この世の端っこ。コンクリートの堅さを足裏に感じながら、両手を広げる。

 世界を見下ろす。この小さな、僕の世界。




 ふと、頭をよぎる。




 本当に君に会えるのかな。

 本当に?

 えっと、どうだろう。

 会えなかったら、意味ないよな。

 えっと、どうしよう。

 今更会えないとか、イヤだな。

 地獄ってそもそも魂を焼き尽くすような苦痛を与えられる場所であってそれならば自殺しちゃった恋人を後追いしたところで一緒に苦痛を与えてくれるような優しいことしてくれるのかなってかそもそも会わせてくれるのかなちょっと考えなさすぎたかなもしかしたら君もこんな感じでやっちゃったのかな結局似た者同士だったのかなってそんなことよりあれこれ本当もうどうしようイヤでもワンチャンもしかしたらってまぁ、もう


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