ドンキーコング・池上通信機事件
02年5月20日up
2002/12/26ver1.5
Last updated: 12/13/2020 11:52:00
ネット上でドンキーコングを開発したのは池上通信機器であり、任天堂がそれを金で奪い取ったといったような記述を見かけた。この話はNiftyのフォーラム上でもあった。その書き込みによると「ゲームラボ」という雑誌に書かれていたという。実際はどうなのか。
1983年7月20日、池上通信は任天堂を相手取り、ドンキーコングの著作権侵害などを理由に580,000,000円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
訴えの内容は、池上通信は昭和56年1月、任天堂との間で
(1)任天堂の委託でゲーム用プログラムを開発する
(2)プログラムを組み込んだ基板を任天堂に供給する
(3)任天堂はプログラムを自らも第三者にもコピーしないし、させない
との契約(2021年12月25日追記:慣行として両社で合意していたという池上通信機の主張。上記内容の契約書は存在せず、任天堂は慣行もなかったと主張した。)を結び、同年末までに8,000台の基板を納入した。
ところが任天堂はこの基板の部品や回路を分析し、プログラムをコピーして同一の基板を大量に作り、これをゲーム機として1台70,000から80,000円で、日本国内や米国で少なくとも80,000台販売した、として売上代金の10%にあたる580,000,000円の債務不履行による損害賠償を求めるというものだった。
また任天堂はプログラムの一部を改変した「ドンキーコング・ジュニア」も販売しており、こちらも損害額が確定すれば改めて請求する、としている。
一方、任天堂側の対応は(*1)
両社の訴えは第一回の口頭弁論で併合され(*2)、私の手持ち資料によると、少なくとも昭和63年8月31日まで訴訟が係属している。(*3) TKC法律情報データベースで検索してみてもこの判決は出てこないため、判決が出ない形で決着したものと見られる。
ところで、池上通信の社員、駒野目裕久氏が1997年にドンキーコングの開発経緯を雑誌に寄稿している。(*4)
この記事によると、ドンキーコングの開発の発端は、それ以前に任天堂から依頼を受けて開発を行った「レーダースコープ」のゲームボードの在庫整理にあった。
1981年4月6日、岡昌世課長が、駒野目裕久氏、飯沼実氏、西田充裕氏、村田氏の4人に対し、開発を指示した。
今回のゲーム開発は大量に残っているゲームボードを有効利用し、ハード機能を生かした新しいゲームを作ることであることが説明され、任天堂からのゲーム案の資料がコピーされ渡された。
それは、A4版3枚でゲーム内容と登場キャラクターに関し簡単に説明された資料と、5枚ほどのゲーム画面スケッチ、そして1枚のラストアニメーションの図であった。
説明資料には、任天堂クリエイティブ課、宮本茂氏の[55.3.30]のゴム印が押されていた。この宮本氏のゲーム案がベースとなり、3ヵ月後には大ヒットすることになった。
また、開発の過程では仕様変更と追加仕様を山ほど行い、宮本氏からも様々なアイデアや改良点が連絡されてきたというから、宮本氏がイニシアチブをとって開発されたことは間違いないようだ。
以上、最終的にどうなったのかは不明だが、任天堂側はドンキーコングのプログラムを一部開発委託したことは当初から認めており、争点となったのは「(3)任天堂はプログラムを自らも第三者にもコピーしないし、させない」という契約が2年後にも及ぶのかといった点だったと思われる。(2023年1月30日追記:任天堂が和解金を払い解決した。詳しくは拙著アタリショックと任天堂を参照してください。)
結局、ドンキーコングのアイデア自体は任天堂のものであり、奪い取ったというような表現は妥当ではない。
参考文献
(*1)証券アナリストジャーナル1983年9月号61p
(*2)任天堂株式会社・第46期有価証券報告書32p
(*3)同上・第48期有価証券報告書40p
(*4)「bit」1997年4月号所収・駒野目裕久「アーケードゲームのテクノロジ ドンキーコング奮闘記」
日本経済新聞1983年7月21日付