loderun氏の拙著への反論について(1)(2)(3)

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ウェブリブログ「任天堂雑学blog」にて投稿した記事の転載です。投稿日時が近接しているので3つの記事をまとめています。

以下転載開始

2021年04月11日 (1)

書籍『アタリショックと任天堂』批判――「アタリショック捏造論」という妄想
https://loderun.blog.ss-blog.jp/2021-04-10

まず、本書はネット上でみかける「アタリショックなかった論」全般に対するもので、hally氏の主張のみに対する反論ではありません。なので具体名は出さなかったのですが、全体的に推敲不足で申し訳ありませんでした。

それはそれとして、

hally氏の元々の主張を要約すると、次の通りになる。「任天堂がアタリ社との裁判において提出した数値的資料が、市場崩壊の全責任はアタリ社にありとする一面的な市場崩壊観の醸成に影響を及ぼしたのではないか」と。hally氏の主張は断定的ではなく、あくまで可能性を述べたに過ぎない。

はたしてそんなに穏当な主張でしょうか。

hally氏の主張は
(1)アタリ周辺だけに責任を押しつけるような「アタリショック」史観がいつ生まれたのかを解くカギは「アタリショック」という言葉そのものにあるが、誰が言い出したのかはわからない。
(2)そもそも「ファミコンが上陸するまで、北米市場全体が壊滅状態にあった」という歴史認識そのものが定着していなかった。
(3)「アタリショック」という言葉の誕生と同じ頃に、何者かがヴィデオゲーム市場の過去を、歴史観が覆るほど綿密に洗い直した。それがアタリ叩きを目的としたものだったのか、それとも結果的にそうなったのかはわからないが、この時期に、アタリと敵対し、その過去を糾弾しようとしていた企業が任天堂だった。
「アタリショック」と「ヴィデオゲーム・クラッシュ」
https://hally.hatenadiary.com/entry/20040514/p2

といったものです。

(1)についてはhally氏が参考文献として使用している「日経エレクトロニクス」1990年9月3日号にトイザらス役員の証言として「アタリショック」というワードが明記されているうえに、同役員が述べているアタリショック史観も「偏狭なアタリショック史観」そのまま。これは真っ先に紹介すべき事実ですが、私が本ブログで指摘するまでhally氏もloderun氏も全く触れませんでした。なぜでしょうかね?

https://loderun.blog.ss-blog.jp/2011-10-29


(2)(3)も極めて断定的に間違った事実を述べていますよ。

高橋健二氏の「スーパーファミコン任天堂の陰謀」に対する評に関しては私のミスですので以下のように訂正させていただきます。

日経エレクトロニクス90年9月3日号(no.508)に、トイザらス副社長の言葉として、おそらく初めて「アタリ・ショック」という言葉が登場してから、半年も経たないうちに、任天堂が「アタリショックを繰り返すな」と昔から言っており、米国市場崩壊から任天堂が得た「アタリの教訓」は任天堂の市場支配のための創作に過ぎないのでは、との記述があらわれる。
初版が91年1月30日付発行で、筆者が所有しているのが93年3月5日付初版第6刷と、ちょっとしたロング・セラーになっている。数多くのゲーム関連書籍や論文から引用・参考にされるデビット・シェフ「ゲーム・オーバー」にも参考資料として挙げられており、高橋のこの本が「アタリ・ショック」という言葉と、任天堂のライセンス制度が「アタリの教訓」という同社の創作によって成り立つものであるという言説を広く拡散していったものと思われる。

2021年04月14日 (2)


書籍『アタリショックと任天堂』批判(2)――ただしソースは2ch
https://loderun.blog.ss-blog.jp/2021-04-12#more

loderun氏はすでに米国市場崩壊の真の原因を解明する事には興味を失っておられるのでしょうか?
loderun氏のアタリショック論も肝心の82年末の出来事に触れる前に停止したままですし。
自称研究者に過ぎない私如きのアタリショック周辺議論の言葉尻に噛みついてこられるので正直ひいています(笑)

hally氏についてはアタリショックという言葉の初出が米トイザらス役員の証言として出てくることや、同役員の市場崩壊観も従来の説とほとんど変わらないという論の根幹に関わる事実を知っていながら、それには一切触れずに論を展開するという不可解な態度をとっており、真意をくみ取ることが難しく、様々な推測をもって言われても仕方がないだろうということです。そもそもダイジェスト版のみで完成版が呈示される見込みもないわけで。

なお、高橋氏の書籍への評は次のようにしようかと考えています。

日経エレクトロニクス90年9月3日号(no.508)に、トイザらス副社長の言葉として、おそらく初めて「アタリ・ショック」という言葉が登場してから、半年も経たないうちに、任天堂が「アタリショックを繰り返すな」と昔から言っており、米国市場崩壊から任天堂が得た「「アタリの教訓」は独占支配のための創作だった?」との記述があらわれる。
初版が91年1月30日付発行で、筆者が所有しているのが93年3月5日付初版第6刷と、ちょっとしたロング・セラーになっている。数多くのゲーム関連書籍や論文から引用・参考にされるデビット・シェフ「ゲーム・オーバー」にも参考資料として挙げられている。ライトなビジネス読み物であり、多くの読者は厳密には読まず見出しに引きずられるものであるから、「「アタリの教訓」は独占支配のための創作だった?」という記述と書籍タイトルに掲げる「任天堂の陰謀」という刺激的なワードが相まって、高橋の真意はともかく、この本が「アタリ・ショック」という言葉と、任天堂のライセンス制度が「アタリの教訓」という同社の創作によって成り立つものであるのではないとという印象を広く拡散していったものと思われる。

私としてはhally氏本人から回答をもらっておらず、hally氏の真意の解りかねる未完成の怪文章に関して、なぜloderun氏に対して回答しなければならないのか疑問ですので、この件に関しては、これ以上の返答は控えさせて頂きます。loderun様におかれましてはトイザらス役員証言も取り入れ、アタリショック論を完成なさることを願っております。

8:36追記
私としてはhally氏のブログをいまさら取り上げることは迷惑だろうと思って、良かれと思って名前は出さなかったんですけどね・・・
まさかloderun氏が代弁者の如き振舞をしてくるとは思わなかった(笑)

2021年04月18日 (3)


書籍『アタリショックと任天堂』批判(3)――人はそれを「捏造」と呼ぶ
https://loderun.blog.ss-blog.jp/2021-04-18

loderun氏はご自分で市場崩壊の経緯を書くことをあきらめたようですね。
他説批判よりもご自分で市場崩壊の経緯を書き、どちらが妥当かを比較した方が有意義だと思うのですが。

正直、煽り文体に反応したくないのですが、一点だけ

「市場規模は正確なのか」
については
拙著ではメルリンチとNOA(任天堂アメリカ)のどちらが妥当かなどとは述べていません。
グラフからは出荷ベースの市場規模なのか小売りベースなのかがわからない。
そもそもNOAは資料提供しただけであり、記事を書いたのは日経エレクトロニクスの記者ですし。
よくわからないことだらけなので、NOAのグラフは日経産業新聞のように出荷数量に推定小売単価(日経産業新聞の場合は定価)を掛けたものなんじゃないのか?
いずれにせよ返品自由で、実売ベースの統計がないから、市場規模についてはこだわってもあまり意味がないよね。
これだけです。

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