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これは第2の人生と呼んでも良いと思う。社会人て難しいなって話。
社会という漠然とした世界に飛び込んで早2ヶ月。
ゆるふわな世界にいたせいなのか、なかなか馴染めず、体調を崩したり、精神を病むことが多くなった。
でも食欲と睡眠だけは健全につづいている。それだけだけど、それが保たれているだけ健康の証なのだと思いこんで生きるしかない。
何だろうこの違和感は。2ヶ月じゃ拭えないだけ?
うまくなじんで笑顔で仕事に専念できる時が来るよう、今は頑張るしかない。
きっとまだ私の脳内は大学生
「社会人と学生の違いは?」とよく聞かれる。
正直そんなことを聞かれるとは思わなかったから聞かれるたびに頭がいたい。
面接では、学生時代に頑張ったことを話した。その活動から自分が何を得たのか聞かれた。合格した。
そうやって繋がっているはずだと思っていた社会と大学生は会社に入った瞬間「大学生と、社会人は違う。」と切り離されてしまった。
すごく悲しかった。「ああ、私はこれからロボットになるんだな。」と感じてしまった。
いつもどこかで私は楽しかった大学生時代を思い出しては求めている。
私の脳内はまだ社会人にはなりきれていない。大学生のままなのだ。
もうあと死ぬのを待つのみ
4月に入って、今後のことについて考えていた。どうやっていきていこうかなあとか悶々と。
ふと、「もうあとは死ぬだけなんじゃないか?」とおもった。平日働いて、金曜日に深酒して、土曜日に遊び、日曜日は仕事に備える。
それの繰り返しで1ヶ月などすぐに終わってしまう。カレンダーを眺めて次いつ連休があるか確認していたら1年がページが終わってしまった。
このままで過ごしていたらもう気づいたらおばあちゃんになって、気づいたらもう棺桶の中だと、焦りが一気に湧いてきた。
私は一体どこにいるのか
最近めっきり笑わなくなってしまった。「いつもニコニコしている。」それが私だったはずなのに、作った笑顔も死んでいる。
休日は、平日同じ時間に起きて洗濯をして、晴れていれば家に近くを散歩して、行ってみたいお店を探す。
地区の小さなお祭りに行って、お好み焼きを食べたり、地域の人と一緒に活動したりした。
「とろろ、休日の生きてるって感じが半端ないね。」
と、シェアハウスの住人言われて、感じた。確かに「生きている。」
私は平日死んでいるのだろう。
私は確かに、毎日生きている。足を動かし歩いて、電車にのって会社に向かい、頭を使っている。
そのギャップに疲れてしまうときもある。
身体は生きているが、私のなかの何かはもうすでに死に向かっているのだと思う。
おわりに
大学時代のあの頃が輝いてやまない。思い出すと秋始めの暑い日のようなジリジリとした焼けるような感覚を感じる。1番好きな時期だ。
こんなにも過去を懐かしむのはないことで、それほど私はあの4年間を燃やして「生きていた」のだろう。
私が、毎日「生きる」ではなく、自然と「生きている」と思えるように、自分の今の世界を住みやすく作り上げることが、今自分にできるあがきだ。
新しい環境になって焦る気持ちもわかる。今は、目の前のことに集中しなさい。と言われるが、死に始めている私をどうにかできるのは私だけだ。
そのためにも、きっかけの種まきをする。
学生時代という今までの人生と切り離された社会で今日も死体は生きることを演じている。
「第2の人生」は始まったばかりだ。