革命のモチベーションが下がり続ける3つの理由

2012年からずっと革命をしたいと願っていたはずなのに、そのために必要な準備を個人でできる範囲でやったのに。なんでいまさらやる気がなくなっているんだろうか。
まじめに考えてみよう。

理由1 倒すべき敵(安倍政権)がいなくなったから
わたしの革命のモチベーションが下がった最初のきっかけは、2020年8月、第二次安倍政権が終わった時である。そこから2022年7月8日に安倍晋三が死んだあとモチベーションの低下は決定的になった。さらに追い打ちをかけるように2024年10月の衆議院選挙で自公過半数割れしたのを見て、もう革命してもしなくてもいいや、という気持ちになってしまった。
そもそも、わたしが革命したかったのは革命がしたかったからだ。つまり、明確な理念や政策なんてものは最初はなくて、革命が必要だから革命をしようと思っていた。
革命の理論や大義が自分で納得できるものになったのは2021年~23年くらいになってから。このブログの初期の記事『共産主義革命論』のベースができたころだ。
わたしの革命は、理念が先行していたのではなく、後付けだった。
では、なんでわたしは革命をしたかったのか。それはヒロイズムを満足させるためだ。
わかりやすくいうと、わたしは安倍政権という悪を正義のヒーローとして倒す物語を自分で作り、それを演じようとしていたのだ。もちろん自覚的だった。
安倍政権という悪を足す正義の革命、この物語を実現することがわたしのモチベーションになっていた。だから第二次安倍政権が終わるとモチベーションが下がり、安倍晋三が死ぬとさらに下がったのは当然のことだった。
 

理由2 自民党を放置し続けた国民の考える悪とわたしの倒したい悪が違う
ここで奇妙な事実と認識のずれを指摘しておく必要があるだろう。
2024年に自民党の裏金問題、政治資金、物価高に対するまともな政策と意志の欠如、スタグフレーションにもかかわらず国民を苦しめる悪代官的な度重なる増税。政権批判する要素には欠かさない。
さらに、安倍政権を擁護してきたマスコミ(オールドメディア)も腐っていることがフジテレビの件で国民の共通認識になりつつある。
自民党や財務省、オールドメディアという悪はいまだに存在しており、それを倒す正義のヒーローを国民が潜在的に必要としている現状がある。(変化を望まないのなら石丸、斎藤現象の説明ができない。火のない所に煙は立たぬ)。いや、むしろ、アベノミクスがどうといっていた第二次安倍政権のころより、いまの自民党の方が国民からすれば悪に見えるはずだ。
「とりあえず自民党に任せておけばいい」という国民の思考停止がようやく終わり、国民民主をはじめとした新しい選択肢を試してみようという気になりつつある国民感情を踏まえるのであれば、これまで支持してきた自民が悪であることを国民がいい加減理解し始めているのだから、まさにいまこそ出ていくべきタイミングではないか、とふつうなら考えるはずだ。
だが、わたしはそれを理解したうえでやる気がない。わたしの革命のモチベーションはゼロに近いほど下がり続けている。
ここに国民とわたしの間に大きなずれがある。
その原因はなにか?
国民は増税、悪政をする自民党をなんとかしたいと思い始めている。国民からすれば増税メガネや石破のほうがろくでもなく見えるのだろう。
わたしにはそう見えないが。
このずれがなんなのか。それはわたしの考える悪と国民の考える悪が違うからだ。
私の考える悪とは安倍政権的なものであり、国民は単純に生活苦や悪政で苦しんでいるから現体制が悪だと考えているに過ぎない。
もちろん、どちらかが間違っているわけではない。おそらくどちらも正しいのだ。
わたしからすると、日本国民は生活が苦しくなったからいまになって、生活苦の原因を探し始めてそれを増税メガネ、石破、財務省などのせいにしているだけだ。
気持ちは痛いほどわかる。よくないことが起こったらその犯人探しをするのは人間の性だ。最近だと、コメの異常な値上げの原因についての熱心な犯人探しだろう。
農協が中抜きしているとか、農林中金の赤字の埋め合わせだとか、農水省の減反政策が悪い、卸が買い占めて値段を釣り上げているなどなど。
このような悪者探しをしないといけないほど国民が困窮して苦しんでいることはわたしもよくわかる。物価の値上げに賃上げが追いついておらず、3年連続で実質賃金の伸び率はマイナスなのだから苦しいのは当然の結果だ。
だが、それは私の考える悪とは違う。
国民は「ただ生活が苦しいから何とかしてほしい」程度の認識から、「生活が苦しいのは石破や財務省など政治のせいだ」考えるようになっている。それは正しい認識だ。否定するつもりはない。
だが、もし自民党の物価対策がうまくいったら? 国民は手のひらを返して自民党をほめ始めるのではないか? そういう疑念ではなく確信がわたしのなかにある。
要は誰でもいいから助けてくれる人に助けてほしい程度の認識にとどまっている。
わたしは別に物価高、社会保障費の値上げ、増税で苦しむ国民を救いたいわけではない(救うつもりがないといっているわけではない)。
優先順位は、わたしの考える悪、旧体制(旧安倍派および統一教会をはじめとした安倍派の壊滅など)であり、経済政策は3番目以降だ。
わたしが倒したかったのは安倍晋三的な悪であって、石破や財務省の悪政ではないのだ。
 

理由3 一人でやるのが無理になった。革命の優先順位が1番ではなくなった
わたしは国民がもっと苦しめばいいと思っている。安倍政権を7年8か月支持しておいて、岸田や石破になってから自民党が悪いと今更気づく鈍感さに腹が立つ。
第二次安倍政権のころから悪政はずっと続いていた。菅、岸田は安倍のやっていることを一部路線変更してほかはほとんど同じだ。
「安倍政権のころと何も変わらないよ。あの時は自民党支持していたよね?」
これがわたしの率直な感覚で、首都直下地震で死者が出ようが俺はもう知らん。天罰だとでも考えるとしよう(石原慎太郎は正しかった?)。
いまさら国民がわたしに泣きついたとして(いや彼らは泣きつく以前にわたしのことすら知らないだろう)、彼らのために革命をしてあげようという気にならないのは当然のことだ。
昔は違った。
ほかの誰に理解されなくても、わたしの考える革命を実現したい、そういう気持ちが強かった。どれだけの逆境であろうとそれを推進力にして進んできた。
でも、もう無理だ。革命は、わたしがなんとしても実現したい理想から、現実的な目標になってしまった。革命を実現しようとするあの美しい理念は見えなくなり、代わりに現実的な政策だけが見える。
国民を豊かにする政策、そんなものがあるとしてどうしてわたしがそれをやってやらないといけないのだろう? 労力をかけて自民党を倒してやらないといけない?
安倍晋三がいるときはよかった。わたしはあいつが大嫌いで、やつをつぶすために革命がやりたくてやりたくて仕方なかった。
でも、いまはそんな悪はいない。小物ばかりだ。石破や財務省なんか自分たちで何とかしろと言いたい。
革命はわたしが目指す理想ではなく、革命によって国民に与える恩恵に変わってしまったのだ。
ああ、なんてことだろう。
わたしは慈善活動ではないのだ。ビルゲイツくらい金に余裕があればしてやってもいいのだが。
なんでわたしが上から目線なのかって? それは自分がやらないとほかの誰も革命をやらない、できないことだと知っているからだ。
わたしがやるかやらないか、それだけのことで世界が変わってしまう。なら、主導権はわたしにある。わたしは革命をしてくださいとお願いされる、あるいは一緒にやらせてほしいと頼まれる立場であって、その逆ではない。
わたしはわざわざ仲間を募集しない。そのための労力を使いたくない。そんな暇があるなら小説を書きたい。
 
作家>革命家
 
優先順位がついにひっくり返った。2012年から12年間、革命が最優先だった。ベストセラー作家になりたいというわたしの願いは革命のために常に後回しにされてきた。
わたしはすでに革命家だが、わたしのほかに革命家はいない。どうしてわたしが無料で育ててやらないといけないのだろう? 自分で候補者を探さないといけないのだ?
まずは報酬が入る仕事と相応の社会的発言力を要求する。
革命の崇高な理念のために頑張ろう、などとただ働きで我慢できる段階はとうに過ぎてしまった。
わたしを踏みにじり、安倍政権を無神経に支持してきたバカのためにわたしが奉仕しろだって、冗談じゃない!
不毛な日常が続いていく。どちらかが譲歩しなければ前に進まないというのに。その交渉すらもはやめんどくさい!
安売りしてはならない。王というのはそういうものだ。
世界はわたしに慰謝料を支払わなければならない。立場も実弾もなしに戦えだと? 前線を伸ばしすぎて兵站が追いつかず餓死者を出す日本軍みたいな連中だよ。だから負けるんだ。
誠意のみがわたしのやる気を戻す方法だ。
 
なにか間違ってる、こうしたらいいんじゃないかという意見があればご指摘よろしくお願いします。

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