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日記 2024.9.13(金) 頭で考え過ぎていることを可視化する。

やや涼しい朝。5時ごろ目覚めて7時すぎに起き上がる。エアコンも扇風機もつけずに朝を過ごせj嬉しい。洗濯もする。デニムなどパンツを一気に洗濯してすっきり。

昨日、産直市場で二袋でたしか148円の椎茸を買った。一袋は丸のまま干して、もう一袋はスライスして干した。椎茸が安い時にたくさん買って干し椎茸を作っておきたい。昨日の麻婆豆腐に入れた椎茸も実家で干したもの。本当に美味しかったなぁ。お肉よりも肉らしい椎茸がわたしは大好きだ。

お肉をほとんど食べなくなってからもうずいぶん経つけれどもうまったく問題なく過ごせている。元住人と住んでいる時は彼が好きなお肉をいつもストックしていたけれど当時もわたしひとりの食事の時にはあんまり使わなかった。ひとりになって、自然とお肉を買う機会も減り、ついに買わなくなってしまった。
わたしがお肉を買わなくなった理由について、一番は調理の面倒くささにある。骨付き肉、特に手羽先は大好きだし、蒸した豚肉も好きなのだけれど、生肉を扱う時にまな板や包丁を丁寧に洗ったりしなければいけない工程がわたしにはどうにもわずらわしいと感じてしまう。一応調理師の免許を持っているわたしとしては、生肉の取り扱いについて気をつけなければいけないということは理解しているし、真面目なところがあるので生肉を扱う時はきっちり処理しようとする。しかし、きちんとしなければと思うえば思うほど窮屈さを感じ疲れてしまう。楽しくない、これがわたしがお肉をほとんど扱わなくなった理由かもしれない。そういう点で野菜や果物はおおらかだな、といつも思う。野菜を見ているといつもほっと安心する。

朝ごはんにライ麦パンを食べて豆乳を飲み、番茶を淹れたら図書館へ。今日は開館時間に合わせて行ってみる。朝早い方が外を歩くには気持ちがいい。神社の前を通り、一番気持ちのいい道を歩いていく。

朝一番の図書館はゆっくりと頭の中を整理することができる。やっぱり朝は考え事に向いている。少しもやもやしていたことをしっかりと考えてことばにしたらすっきりして元気が出た。具体的に、ゆっくりと自分の考えをまとめてみる時間が必要だったんだとわかった。

鉄火味噌。材料が揃っているうちにもう一度作ってみたいと思っている。冷凍保存もできるらしいのでたくさんあっても大丈夫そうだ。一度作ってみて見えてきたこと、いくつかのレシピをみて感じたことをふまえてまた作ってみよう。

お昼ごろ図書館を出て家に帰る。近ごろ野草についての本を読んでいる。図書館の近くの歩道にスベリヒユが生えていることを最近確認した。コンクリートのわずかな隙間から地面に広がるスベリヒユを見つけて嬉しかった。おひたしにしたりして食べることができるそうだ。都会でもたくさんの野草が生きている。地面を見ながら歩くのが楽しみになった。

駅前のスーパーへ寄ってバナナなど買って帰る。お昼ごはんは安心のお味噌汁とご飯でいこう。今日のお味噌汁は大根、小松菜、お豆腐とお揚げ、干しカボチャを入れた。干したかぼちやはねっとりとしていてお味噌汁に入れてもあんまりに崩れたりしないがあんまり好みの味ではなかった。皮の部分にちょっといやな苦味がある。カボチャばかり探して先に食べようとする自分がいる。

ご飯とお味噌汁のほっとするお昼。

ご飯にはらっきょうとごま塩、鉄火味噌、梅干しをのせていただきます。ご飯とお味噌汁が本当に落ち着く。質素なご飯がわたしの腸も整えてくれる。

近ごろ、コンビニの菓子パンや小麦粉のお菓子を食べると喉が腫れるようになった。ちょっと呼吸もしづらくなる。ご飯を作ったりするのが面倒だなと思ったり、簡単にお腹を満たすことができると感じて頼っていたこれらの食べ物たちだけれど、ちょっと過剰に頼りすぎたようだ。小麦粉をなるべく避けようとすると大変だけれど、小麦粉を使った食べ物を意識してみるのはちょっと面白くもある。こんなものにも小麦粉は使われているんだ、とか発見も多い。パンはパン屋さんへ行ってふすま入りのものを買う。小麦粉以外のものでお腹を満たそうとするとちゃんと手間がかかる。小麦粉はすごいな、改めて思うことも多い。けれど、小麦粉の手軽さに頼り過ぎずに料理にわずかでも手間をかけたりすれば、その分わたしはしっかりと満足してくれる。おかげで気持ちもおだやか、朗らかになる。

今日はお昼ごはんの後少し横になるだけで満足した。起き上がり、なんだか手を動かしたくなって作業机に向かう。久しぶりにパステルを取り、ポストカードサイズの紙に色をのせていった。両手を使って色のついた指先を紙に滑らせている。指先の感覚を紙に写しとるような作業。何にも見ないで思うままに指を動かす。好きな色をのせる。ああ、楽しい。久しぶりに自分の中から湧き上がる喜びを感じた。しあわせだ、心から思うことができた。わたしは絵を、描きたかったんだな。そんな気がした。

わたしの場合絵を描くということは指先から感情を吐き出すような作業に近いと思う。頭の中を空っぽにするための作業、そんな感じもある。頭で考え過ぎていることを可視化し、整えていく。そんなふうに描いてみたいと思った。

また自分のために絵を描いてあげよう。

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