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日記 2024.9.6(金) 残暑の中、ほっとできる時間がある。

だらだらとしながらも毎日何かしら手を動かすことができている。すべてが止まり小さく小さくなって寝込むということはない。体は元気だけれど、心がだるいと言っているような感じなのだろうか。よく分からないけれど今日も何かしら手を動かす。

3時ごろに目が覚めてそれから何度かうとうとして8時過ぎに起き上がった。暑い。毛布を干して出したけれど全然必要ない感じで足元にくるくる巻きになっていた。
顔を洗って適当にお化粧をしておく。髪が伸びてどうセットしていいかわからないのですぐに結んでしまう。
朝ごはんはバナナ。お腹は空いているけれどお昼ご飯をしっかり食べたいから軽めにしておこう。扇風機を背中に当てながらあつあつの梅生番茶を飲む。じわじわと汗が出て気持ちがいい。
汗には二種類ある、というのはこの間お気に入りの八百屋さんでもらった手書きのチラシで読んだ。運動による汗は汗腺から、じわっと出る汗は皮脂腺から出てくるらしい。皮脂腺から出る汗は体内の毒素排出がなされるらしく、梅生番茶を飲んで出る汗がまさにそれではないかと思った。汗をかくことを気持ちいいと感じるようになったのは梅生番茶のおかげかもしれない。体内の水分がとどまることなく常に流れていると感じると気持ちがよくて、しっかり汗をかきたくなる。
シャツから蒸発する気化熱により体を涼しくする天然のクーラーのような役割を果たす汗。汗をかいて湿った服と体の間を風が通り抜けていくのは確かに気持ちがいいのだ。これから毎年、夏場にもあつあつの梅生番茶を飲んで汗をかきながら過ごしていたらクーラー要らずの夏を過ごせるようになるかもしれない、と楽しい想像を膨らませている。

昨日もらってきて生けた植物たちについつい目がいく。かわいいな、きれいだな、こんにちは。あいさつしたくなる。

フリマサイトへの出品のための写真を撮り、図書館へ向かう。途中でデカフェのアイスコーヒーを買った。ひえひえの図書館、窓側の席に座るとすぐに集中できた。いろんなところに気が散ったりしなくなっている。長袖のシャツを着て、靴下を履いて、黙々と作業を進められた。

お昼過ぎに外へ。図書館のセミたちもだんだん元気がなくなってきた。ツクツクボウシが一匹、声を出している。ひとりきり、なんだかさみしげに聞こえてくる。

こだわりの八百屋さんへ寄る。特に買いたいものはなかったけれど、どこかへ寄って帰りたかった。お店の中を一周して特にピンとくるものはなく店を出た。
出かけた帰りには家の近くのパン屋さんの前をあえて通るようにしている。時々あるライ麦のパンがあったら買いたいからだ。いつものようにパンの並べられた棚を見て通り過ぎようとしたら茶色いどっしりとしたあのパンがあったので思わず店に入っていた。いつもはハーフで買うそのパンを、今日は思い切って一個買った。冷凍しておけるからひとりでちょびちょび食べよう。全粒粉、ライ麦、きなこ、オートミール、ハチミツ、かぼちゃの種も入った豪華で素朴なパン。

大好きなライ麦のパン。

駅前の店で袋麺のラーメンを買ったのでお昼ご飯に食べる。ご飯も少し食べたのでお腹がいっぱいになった。
お昼寝のあと、みりんをソーダで割って飲みながら消しゴムハンコを掘った。夕方、日が陰りはじめている。今日も暑かったなぁ。昼寝のあとのしゅわしゅわが気持ちがいい。
消しゴムハンコは一日ひとつ掘っていけば3日後には完成だ。細かい線を掘るのは難しいけれどすごく楽しい。わたしはとにかく細かい作業が好きでそこはお母さんに似たようだ。
エアコンも付けず、みりんのソーダ割りの氷の音で涼をとりながら消しゴムを掘り続けたら汗だくになった。汗をかきたかったのかもしれない。集中していたら足から汗が垂れるのがよく分かった。暑さが少し緩んできた最近は、少々の暑さではエアコンを使わなくなっている。気持ちがいいなと感じている間に消しゴムハンコがひとつ完成した。

夕飯を食べる。今日はお昼ご飯をたっぷり食べたからお味噌汁の残りとぬか漬け、お昼に蒸したカレースパイスをまぶしたじゃがいもなど食べるにとどめた。

お風呂から出て、扇風機で涼もうとしていたらお母さんから電話がかかってきた。最近メッセージを送っても既読になるだけで返事がないなと思っていたら、携帯の中身がお父さんの指示によりアップデートされ、使い方が分からなくなってしまったということだった。なるほど。
お母さんは最近、白猫と黒猫が寄り添って歩く姿を目撃し、車から降りて写真を撮ったらしい。わたしに見せたくて写真を送ろうとするけれど何かよく分からないメッセージが出てきて「いいえ」を押してしまったらしい。それから写真は送れないことになっているという。ということで写真ではなく猫に出会った時のエピソードを言葉にして伝えようと電話してくれたのだった。お母さんの話っぷりから出会った喜びが伝わってきた。道端や庭先で、単独の猫を見かけることはあっても寄り添って歩く猫を見ることはあまりないのでお母さんは珍しくて嬉しかったらしい。写真一枚ぽんっと送られてくるよりも話を聞く方がよっぽど楽しい。「いいえ」を押してくれてよかったのではないかなと思った。
お父さんからお風呂から上がったよ声がした。今日はわたしはお母さんの話を聞く役目に回った。ひとしきりしゃべりたいことをしゃべって満足したお母さんは、夕飯を作るからわたしはマイクを置きます、と言って電話を切った。笑った。
お母さんが機械を扱うことがあんまり得意じゃないからこうしていつも電話で話をすることができているんだよなと思う。不便さもぜんぜんわるくない。

電話でお母さんに、豊作だったあの日の松茸狩りの話をした。お母さんもおんなじようにあの日のことを鮮明に覚えていた。写真も撮ったこと覚えていた。わたしは半分夢だったのかもしれないと思いかけていたので、やっぱり夢じゃなかったのかと思えると嬉しくなった。あの山へ入ってみたい。もう山の中の実家は涼しいのだろうか。扇風機の風を体にあてながら思う、残暑の夜。

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