「まちづくりの基本計画」城に侵入する〜住民の意見を集める手法として〜
まくらの話
「一年の計は元旦にあり」と申します。既に元旦が過ぎて1週間が経ちますが、皆さん、いかがお過ごしですか?
“計画”といえば、「人類補完計画」ですね!…おや、ご存知ない?アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の中で語られる重要な計画で、「出来損ないの群体として既に行き詰まった人類を完全なる単体としての生命に人工進化させる補完計画」(Wikipedia「新世紀エヴァンゲリオンの用語一覧」より抜粋)です。
人類は単体としては「不完全な存在」であるという根底となる考え方は、なるほどそうだろうなと思います。
“補完”といえば、私たち行政職員にとっては「補完性の原理」という言葉が思い浮かびます。
行政が仕事をするうえで忘れてはいけないのは、あくまで主権者は住民であり、私たち行政職員は住民が自治だけではできないことを住民に代わって行うこと。住民自治を補完するのが地方自治体であり、地方自治体を補完するのが国、という考え方は、地方分権議論の中でよく使われていました。
そのような考え方のもと、自治体職員が行政運営するにあたり「まちづくりの方向性は、こういうことですよね?」と住民と共に確認し合うものが、「基本計画」です。
109回/2,500人のワールド・カフェ
私の住むF市では、基本計画のさらに上位計画である「基本構想」(概ね25年後のビジョン)を2011年に改訂する際、「ビジョン・カフェ」と銘打ち、「25年後のF市」を語り合う場として、ファシリテーション(中でもワールド・カフェ)の手法を活用したワークショップを、市内各地で住民91回、市職員18回、合わせて109回、総勢2,500人以上が参加して開催されました。
(詳しくは、上記リンクページの中で、[みんなが描いた福岡市の未来]の第3部「5.ワークショップ(ビジョン・カフェ)」/[別冊Ⅲ 市民意見集]の「第1部 ワークショップ(ビジョン・カフェ)」をご参照ください。)
参加者が一堂に集まり、席替えしながら多くの参加者と意見交換し、最後に、参加した一人ひとりが自分の意見を1枚の紙に書き出します。
このように多くの人と対話したうえで出された意見は、住民1人の意見として出される際に陥りがちな「独断的な意見」になりにくいばかりか、他者との違いも自覚した「自分の意見」として、出されます。この場で複数人の意見をまとめて1つの意見に集約する、ということすら行わないことは、ワールド・カフェの特徴でもあり、「参加した一人ひとりの意見を尊重する」ことの最たるものです。
ちなみにこのようにして出された2,500人の意見「ビジョンのフレーズ」は、後日、カード・インテグレーションという手法で集約されました。
私はこのプロジェクトの中では、市職員を参加者とした「職員版ビジョン・カフェ」の統括を担当する(この話はまたいずれ)と共に、市民ファシリテーターのひとりとして小学生を対象とした「ビジョン・カフェ」を行いました(「市民ビジョン・カフェの開催一覧」中、「42 かもめカフェ」)。大人が行うものとまったく同じ手法、同じ「問い」で、小学生に対しても十分に意見を引き出すことができるということを実践できたことは、私にとっては貴重な経験でしたね。
行政運営を行う中で、「住民の意見を集める」「住民の意見を聞く」という場面が幾度もありますが、一人ひとりの意見をバラバラに聞くよりも、このようにワールド・カフェなどの手法で語り合う場を設ける方が、有意義な意見を収集することができ、かつ、住民の満足感(十分に意見を言えた、受け止めてもらえたという感覚)も高いのではないでしょうか。
基本計画は住民のもの
子どもから年配の方まで、住民が描く理想のまちの将来像を集約し、それを行政職員が「計画」として体裁を整え、住民の代表である議会に諮り、住民と行政とが合意した「仕様書」として、計画に基づいた行政運営を行う。それがまちづくりの「基本計画」なのだと思います。
さらにいえば、その「基本計画」は、行政職員だけが目指すわけではなく、住民みんなが目指すまちづくりの目標であり、行政職員は住民の代わりに、住民だけでは手が届かないことを「補完」するものだと思います。長期的なまちづくりの基本計画は、行政が作り実行するものではなく、住民が作り住民が実行する、というのが基本であり、行政はその手助けをする、というくらいの姿勢で受け止めたいものです。
この私たち人類が作り上げてきた、住民と行政(そして議会)の関係性、“装置”がうまく機能すれば、エヴァンゲリオンの世界のように「使徒」に頼った「人類補完計画」などなくても、私たちは明るい未来を創造していけるのではないでしょうか。