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LIFE再現ライブに行けなかった

今年の春先に死にたくなった。
50歳を過ぎて、「人生はもういいかな」と思ってしまったのだ。もうこれ以上良くなることはない。希望ももうあまりない。「初老うつ」なのかもしれないが、行き詰まっていた。
でも、心残りがあった。つまらないと思うかもしれないが、田島貴男と小山田圭吾と小沢健二を生で見るまでは死ねないという気持ちだった。こうやって書くと本当にしょうもないことだけど。でも3人とも自分の人生では大事な人だった。
 
ちなみに田島貴男は昨年に大阪の難波で見ていた。オリジナルラブで佐野康夫さんと小松秀行さんも見れてもう思い残すことはない。
後は小山田圭吾と小沢健二だ。そう思ってチケットを手配した。運良く、2024年の5月に大阪での小沢健二、7月に京都でのコーネリアスのチケットを手にすることが出来た。
 
5月のゴールデンウィークの大阪市北区。小沢健二を見た。見たのだが、結果として満足できるものではなかった。
顔が見えなかった。ステージが暗い。センターの小沢健二にスポットが当たっているのか?と疑うくらいの暗さだった。ホイッスルを吹くという参加型の試みもあったが、そういうことは正直どうでもよくて。とにかく顔が見えないことに固執してしまい、小沢健二を見たという気持ちが不完全に燃焼して終わった。
 
音楽は良かった。ボルテージが上がる瞬間もあった。けれど、PAに不満が残った。ベースは中村きたろーさんで、これまた見てみたかったベーシストだったんだけど、なんかもっとベースの音を上げてくれ、全体的に音をもっと上げてくれと、ライブ中はずっとそんなことばかりを思っていた。グランキューブ大阪のホールだったんだけど、ライブには向いていないホールなのかはわからないが、もっとゴリゴリとお腹に響く音を聴きたかった。音圧が足りなかった。そういうサウンド面においても満足出来ずに終わったライブだった。
 
それで。やっぱり小沢健二の顔が見たかった。老けていたとしても、老けた顔を見たかった。どうして顔が見たかったのか。それは、小沢健二と会ったことを実感したかっただけのことだけど、会場に行くまで自分でもよくわからなかったが、自分は小沢健二と本気で会いたがっていたみたいだった。「あぁ、僕は小沢健二に会ったんだ!」って思いたかったんだと。もちろん、会わずに死ねないと思っていたわけだから当たり前なんだけど。ライブだから一方通行で、会うというよりは「見る」というものだけど。それでも顔をよく見て「会った」と思いたかった。
あと、やっぱり1stとLIFEの曲をもっと聴きたいなと。そんな想いが残ったライブだった。
 
小沢健二は、自分が二十代の前半に「犬は吠えるがキャラバンは進む」という彼の1stをよく聞いていた。なぜこのアルバムを手にしたのかは覚えていない。どことなく地味だし飾らない感じで、どこに惹かれて手にしたのだろうと今でも思ったりする。でも友人とは絶賛していたアルバムだった。友人は「天使たちのシーン」が好きだった。僕が好きだったのは「カウボーイ疾走」という曲。途中で「新しい1日が、また始まるだろ」という歌詞があるのだけど、最初にバーンと鳴るピアノの音が、本当に新しい朝をもたらしてくれるんじゃないかってほど心に響くものだった。ベースも良かった。当時のチープなラジカセで聴くと、音が潰れるくらいベースが強調されているサウンドだった。多感な時期でとにかく行き詰まったときによくこの「カウボーイ疾走」を聞いていた。用事もないのに、夜にクルマで出かけてはこの曲を聴いていた。
 
フリッパーズはもちろん十代後半から二十代にかけても聴いていたが、その時はやはり渋谷系とか洗練された感じとか、曲の良さや耳触りの良さというものに惹かれていた。でも三十代を越えてからは歌詞に引っ張られるようになった。フェイバリットはやはり2ndの「Camera Talk」で、その中でも「偶然のナイフ・エッジ・カレス」という曲をとにかくよく聴いた。この曲の歌詞の中で「僕たちは/跳びはねる/空を仰ぐ/手を突き上げて/この気持ち/これ以上何が言える/どう言えるだろう」という箇所があるのだけれども、意味はよくわからないというか、全然ちゃんと理解出来ていないと思うが、とにかく胸が苦しくなった。今も胸が苦しくなる。心の柔らかい部分を掴まれるような?蹴り上げられるような?今でも落ち込んでどうしようもなくなるとこの歌を聴く。泣きたくなると聴く。空を仰ぎたくなると聴く。
 
5月の小沢健二のライブは最後の「じゃあ生活に戻ろう」という彼のひと言で終わった。この掛け声は彼のポリシーみたいで、8月31日のLIFE再現ライブの案内文にも同じような文言がある。夢のような時間を過ごすからこそまた日常に戻るのは苦しいけど、本来自分たちが居るのはその日常であり、でもそんな夢のような時間があるから毎日生きていける。そう諭してくれているようにも思う。つまり日常=生活って退屈なんだと。でも頑張って生活しようと。
 
「LIFE再現ライブ」のことを知ったのは、1次抽選が終わってからだったと思う。ローソンチケットはチェックしていなかった。だからこんな惹かれるライブがあるとは知らなかった。だから参加はもう諦めていた。でも最後の抽選の機会を知人から教えられて、とりあえず応募はしたが、まずハズレるだろうと思っていた。で、結果はやはりハズレだった。だが、知人が最後の抽選に当選した。立見席だったが、それでもチケットを譲ってくれることになった。夢のような話だった。問題は大阪からの武道館までどう行くか。進路予測がことごとく外れていた台風10号がまだ九州あたりに居た頃、2024年8月29日の夕方のことだ。

台風10号が九州の方をウロウロしていた


最初は夜行バスで行こうと考えた。東海道新幹線が運休していたからだ。しかし夜行バスに空きがない。深夜まで粘ってバスの空席検索を続けるものの空きは見つからなかった。東海道新幹線が運休しているのでみんな夜行バスにシフトしていたようだった。それで考えたのが青春18切符でとにかく静岡あたりまで在来線で行って、一泊してから東京に行こうというもの。立見席だし、交通費も抑えたいという気持ちがあった(セコい)。それに、青春18切符の旅も「夏旅」という感じで楽しいかなと。それで静岡駅近くのビジネスホテルの予約まで済ませて、この日は寝た。
 
東海地域の在来線も運休していることを知ったのは、翌日30日の朝だった。新幹線は止まっていたが、まさか在来線もストップしているとは思っていなかったのだ。これは本当に甘かった。在来線が止まっているのか・・・新鮮な驚きだった。どうしたものかと悩みながらも夜行バスの空きを検索していると、幸運なことに1台のバスの予約を取ることができた。23時半京都発の夜行バス。バスに乗車さえすれば東京には着くだろう。これで道は開けたように思えた。夕方の17時くらいになっても運休の連絡は入らずで、バスはちゃんと運行されると確信していた。旅の用意も済ませて、後は風呂に入って、夕食を済ませてから出発しようと思っていた。
 
夜行バス運休の連絡が来たのは18時半頃だった。こんな遅いタイミングで連絡が来るとは思わなかった。絶句した。後は31日当日の東海道新幹線の運転再開を祈るばかりだった。しかし、このバス運休で心は折れてしまった。北陸経由で行くことも出来たし、中央本線で長野経由で東京に行くことも出来たが、ライブが終わった後に関西に戻ることが出来るのかと心配になったのだ。
 
31日当日は、やはり朝から東海道新幹線は運休だった。万事休すだった。飛行機という手もあった、北陸新幹線という手もあった。でも選択できなかったのは、前述したとおり帰りのことを危惧してのことだった。幸いなことに家の周囲にそれほどの影響はなかった。雨もそれほど降ってはいなかったし、風も台風らしいようなものは吹いてはいなかった。自分の周囲はそれほど被害が出ていないのに、新幹線は止まる、夜行バスは軒並み運休となる、マスコミの報道も過熱している・・・つまり、自分が想像出来ないほど被害は拡がっているのではないかと怖くなったのだ。自分が思っている以上に被害は大きく、これからもその被害は大きくなるのではないか、そう考えてしまったのだ。そして心が折れてしまった。「どうしても行こう」という気持ちを自ら葬ってしまった。
 
SNSには、無事に新宿バスタに到着したという喜びの声や、島根から子どもと行こうとしていたが安全のことを考えて諦めたという声、飛行機が飛ばなくなったが夫がクルマで800キロを送ってくれることになったという声・・・などの悲喜こもごもの声で溢れていた。その中に「私は武道館できっと泣く。制服姿の私と一緒に。」という文章があった。そういう文章で心は揺れまくる。でも、もう間に合わない。
 
そして今は8月31日14時30分。LIFE再現ライブの開演3時間前である。今もこれで良かったのか?という声が耳に聞こえてくる。それでいたたまれなくなって、こうやって文章を書いている。
後悔するのであれば、その後悔をしっかり味わえばいいとは思う。でも後悔だけで終わりたくないとも思う。この気持ちを残しておきたくてパソコンに向かっている。
 
たかがライブではある。理解出来ないという人も多いと思う。それでも複雑な想いが心に拡がる。どうしようもない気持ちに息が詰まる。なんと言うか、見たかったとか、聴きたかったとか・・・という類のものではないのである。その場に居ることこそが重要な機会だったと思う。30年前に戻れるという気持ちすらしていた。
 
50歳を過ぎてもう苦しくなるほど人を好きになることもないと思う。子どもも大きくなった。今までの生き方で後悔していないといえば嘘になる。どちらかと言えば後悔していることの方がよっぽど多い。でも時は戻せない。今日のことも明日になれば過去のことになる。今回のこの選択ももう取り戻せない。よほど忘れられない選択をしてしまったと思う。
たぶんSNSには「良かった」という声が溢れるだろう。「ありがとう」とか。そういうSNSを見て後悔する。悔しい気持ちになる。セトリを見て、その場に居たかったと思う。
 
でも、それではいけない。その想いを持ったままでは苦しくて生きてはいけないのだ。だからこの後悔の気持ちをこうやって綴っている。この後悔を時々思い出して、過去に戻れない現実をよく心に刻みつけて生きていかねばと思う。
 
そう書いていて、自分は死にたくなって小沢健二に会いに行こうとしたことを思い出した。心残りだから小沢健二に会いに行こうとしたんだった。
だから、自分は小沢健二と、小沢健二の音楽に救われたのかもしれないと思うことにした。

「新しい1日が、また始まるだろ」
30年経っても何も変わっていない、今の自分にそう言いたい。
生活はそれでも続くけど。




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