父と子の面会交流
2021年7月30日
父子の面会交流をおこなった。
家庭生活で母親が衰弱していく姿を見ていた子どもたち。
昼逃げをした後、父子をすぐに会わせるのは怖かった。
上の子の希望で、ワタシの親きょうだいその他親戚たくさんで会うことにした。このコロナ禍に大人数で会うのはどうかなと少し悩んだが、他にも用事があり集まることがあったので、ちょうどよかった。
周りが配慮してくれて、ワタシは相手の顔が見えない場所に座らせてもらった。
子どもたちは「いつもどおり」に父親と接していたように見えた。
上の子は自分の席とワタシの席を行ったり来たりしながら、下の子はワタシの弟の膝に座りつつ過ごしていた。いとこも叔父たちも祖母もいるから、楽しい雰囲気で進められた。
帰りに父手作りのカヌレと上の子は誕生日プレゼントをもらい、帰ってきた。帰りも名残惜しさなどなく、さっぱりしていて、じゃあねーと帰ってきた。
2021年8月12日
夕方から花火をもって、父親と海岸で合流。
(住んでいるところから海岸までがとても近い。)
あちらは花火を一袋持っていくと言っていたが、念のため、こちらでも一袋買って行った。
案の定、父親が持ってきた花火は手持ち花火が20本ちょっと。
「600円だった」とのこと。
活発な小学生がするには少なすぎる花火の量だということに、購入の時点で気づかないらしい。こちらは2000円近く、打ち上げ花火なども入ったものを買って行った。自分自身にお金を使うことはするが、子どもに使うお金をケチるのはなぜなのだろうか。
あぁ、こういう人だから一緒に暮らせないんだと思ったんだったな、と思い出した。
花火や空の様子、子どもたちの姿をカメラで写真に収める父親。
生まれた時から商用写真として使われる写真に写ってきた子どもたちは自然と「こどもらしい」雰囲気を作る。そして、「こどもらしい」の写真ができあがるように父親を仕向けてくれる。
あくまで「こどもらしい」のであって「本人たちらしい」とは少し違う。この違和感はなかなか言葉では表せない。
この日もカヌレを焼いて持ってきた。カヌレ教室なるものに行ったらしい。
翌日、「昨日はありがとうございました。また次回を楽しみに生きていきます。」とLINEと写真が届く。
あいかわらず大げさだ。「生きていきます」って。
そんなセリフを吐いて、被害者ぶる、悲劇の主人公ぶるのはいつもの常套句だったな。こういうのは聞いていても、読んでいても辟易する。
あぁ、こういう人だから一緒に暮らせないんだと思ったんだったな、と思い出した。
2021年8月16日
数日前、カヌレに味を占めた上の子は父親に電話をし、また作ってほしいとおねだりをしていた。
夕方に焼きあがるからと17:00少し前に父親の家へ取りに向かった。
18:00すぎにカヌレと頂き物のメロンのおすそ分けを持って帰宅。
夕飯前のお腹がすいたところに、スイーツの甘い匂い。上の子も下の子も2つずつカヌレを食べた。お母さんも食べて!と言われたが、暑いし食欲もないので断った。
夕ご飯直前に父親から電話が来て
「中が生焼けっぽいから、電子レンジしてから食べてほしい」とのこと。
子どもたちはすでに食べた後。とりあえず残ったものを電子レンジで改めて加熱。600Wで2分。
この日の夕食はそばと鶏肉のガーリック焼き、オクラとモロヘイヤのおひたし。下の子の好きなものばかりなのに、そばもあまり食べないし、鶏肉も残した。
就寝前、胃腸が弱めの下の子がお腹を下した。
生焼けのカヌレが原因だ。
人に渡す前に味見をしないのか、子ども相手なのに洋酒を飛ばさないのか。
あぁ、こういう人だから一緒に暮らせないんだと思ったんだったな、と思い出した。
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ワタシの腹の中ではどす黒い思いでいっぱいになった。
このコロナ禍に手作りのものをもらってしまった自分の甘さを、あちらが相手を慮って行動することはない人だということを忘れていた自分の甘さを思い知らされた。
カヌレは元々ワタシの大好物だ。
20年前くらいからお気に入りの洋菓子店にあって、家とは少し離れたところにあったので用事のついでがあると必ず店に立ち寄り購入していた。
なのにこの一件で、カヌレが嫌いになりそうだ。
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悲劇を自ら招くのに悲劇の主人公を演じ、被害者ぶる。
相手を慮り、準備をしたり、対応したりすることができない。
人に対し、手をかけ目をかけ丁寧に接することができない。
もし、これを注意しても「悪気はなかった」と謝罪をすることなく、まるで自分が被害者のようにふるまうことは目に見えている。
あぁ、こういう人だから一緒に暮らせないんだと思ったんだったな、と思い出した。
きっといつか、子どもたちに言わなくてはいけない。お父さんがワタシをどんなふうに追い詰めたか。経済的に、性的に、言葉で、行動で。
まだ、子どもたちの父親の存在は怖い。
でも、子どもたちを守るために健康を害したことを伝えなくてはいけない。
子どもたちを守るという意思と恐怖が戦っている。