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安心できる居場所がほしい。

関東には台風が近づいていて、低気圧の関係か、今日は傾眠がちで頭が働かず、1日の大半をベッド上で過ごし、全く使い物にならなかった。

私はありがたいことに友達が多いので、いろいろな人に「会おうよ」と言ってもらえてとても充足感を覚える一方で、毎日のように帰宅が日付が変わってからになっているため、家族からの評価は絶賛下降中である。

「何時に帰ってきたん?」と聞かれることはほぼ毎日で、「どうやって帰ってきたん?」と、下車駅を聞かれるのだが、最寄駅の路線は終電が早いため、その路線の終電が終わった時間であれば、別路線の駅から徒歩20分くらい歩くこともある。私は夜の散歩が好きなので、どちらかといえば積極的に音楽を聴きながら歩きたいし、現状として通勤定期券がないので、歩くと交通費も節約になってラッキーくらいに考えている。親としては「若い女の子が夜道をひとりで歩くなんて…!」という考えなんだろうけど、そんなこと知ったこっちゃないと思う。だから私は「〇〇駅から歩いてきた」と答えるのだが、そうすると必ず「そんなん普通じゃないよ。おかしいと思わないの?」とテンプレの反応が返ってくる。「いやいや、そもそも普通って何ですか?笑」と聞きたくなるのだが、ここで絶対それを聞くと爆発して収拾がつかなくなりそうなので、聞かない。まあ、「(普通じゃないくても)それでもいい」とは答えてしまうのだけど。「普通じゃない。おかしいよ」と言われることは私としては軽く人格否定だと思う。何より、私の好きな夜の散歩を私から取り上げないでほしい。

私が毎日夜な夜な出歩いているから、両親からすっかり「不良娘」として思われている部分はあるのだが、仮に、百歩譲って私が不良娘であるとするならそれでもいい。ただ、私が会っている友人知人のことを悪く思うことはやめてほしい。

私からすれば、もともと親子関係は微妙なので、家にずっといることが今一番しんどい。少し前に、ネットでパラサイトシングルのことを「子供部屋おじさん」と呼び、ディスる風潮があったが、今の私はまさにそれだと思う。

リビングにいると息苦しくなってしまうため、食事の時以外は長時間いることが難しい。それは、リビングに私ひとりの時でも、なぜかそうなってしまう。だから今日も、食事とトイレ以外は自室に引きこもり、さらにベッド上でほとんどの時間を音楽を聴いたり、本や映画を観たり、ラインをしたり、この文章を書いたりしている。それでも、何だかいづらくて、音楽も本も映画も集中できず、途中で別のことをして、なんとなく忙しかった。

実は、昨年の11月も今と同様に無職の時期が1ヶ月だけあったのだが、その時は所属がないという不安、無職という後ろめたさから、あんまり無職を楽しめなかった。今のところは、所属がない不安や無職の後ろめたさはあまり感じられず、自ら「積極的無職」と称し、無職を楽しんでいる。去年も今も、どちらにしても貯金は少ないのだが、去年よりは貯金があるので、そうした心の余裕はあるのかもしれない。

ただ、「家にいることが安心できなくて苦しい」と気づいてからは、所属云々よりも、「安心できる居場所」を強く求めていると思う。

念のために言っておくと、一応毎日可能な限り、求人サイトを隅から隅までチェックしているから、「完全に遊び歩いているわけではない」と言いたい。そして、私には私のタイミングでこれからどうしていくかを考えているつもりだ。見える化しづらいのが難点なのだが、やってますアピールはどんなことであっても、私はあまり好きじゃない。あ、でもこれも「求職してますよアピール」になるのか。

人に会うことが楽しいから、出かけていることもあるけれど、家に居たくないから出かけているところもある。だが、そのことによって、人に会うために出かけることを批判されたり、何かを奪われそうになるなら、別の方法で家にいない方法も見つけていくしかないと思った。とにかく、明日明後日で家族に批判されない外出の口実になるものとして日雇いバイトを思いつき、ネット検索をした。日雇いバイトの目的が、お金のためではなく、批判されずに家にいないようにするためのものなので、時給はどうでもいいし、仕事内容に興味ややる気を持つことができず、げんなりしてサイトを閉じた。「なんかこの感じ、どこかで読んだな…」と思い、本棚から永田カビの「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を取り出した。

レズや風俗はあまり興味はないのだけれど、作者に共感できる部分が多分にある。もう何度も何度も読み返しているのだけれど、今回は冒頭の10ページくらいでなぜか泣けてきてしまって、読み進めることができなかった。

「家にいたくないから仕事を急いで決める」というのは、なんとなく違う気がする。というか、それで前回失敗しているので、早とちりたくない。けれど、家にずっといるのはつらい。いるのはつらいよ。

20年近く暮らしているこの街が、緑が多くてきれいに整備されていてずっと好きだったが、その整備されすぎているがゆえの住民たちの本質の見えづらさと、仕事のこともあって、以前に比べて街の見え方や考え方が変わってきている。前ほど好きではなくなってきているんだと思う。

友人が今度、大きくてきれいな公園があるところの近くで新生活を始める。正直、羨ましい。もしも、私が新生活を始めるなら、先日行った公園のように、緑と安心があるような場所の近くで暮らしてみたい。

そんなことを思いながら、今は自室のベッド上で体育座りをして、この文章を書いている。できれば、ベッド上で綴られる記事たちが少なくて済むようになればいいなと思う。

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