「晩夏の惑星」

16時10分27秒「顔」

緑地公園の展望台の眼下にある自販機コーナーに来てみれば、長蛇の列であった。

みんな同じこと考えるモンだなあ。

そう思った。

そう思った。 というよりかは そう思っていますよ。 という表情を見せることにした。
というのが正しい。
列ができているだなんて予想だにしなかったから、一度は視界に認めた列を横目に通り過ぎ、まんまと先頭に赴いてしまったのだ。こういった場面において、表情コントロールのミスは命取りである。「何食わぬ顔」など絶対にできない。列の先頭に並ぶ奴らや、引き返して戻ってくる俺を見るこいつらは、俺のことを

この列がセブンティーンアイスの列だとは夢にも思わずに、最後尾を無視してずんずん突き進むと、その列の終着地が自分の目的であるセブンティーンアイスだということに気づき、 「これずっとセブンティーンアイスの列だったのかよ。」 となり、無念にも来た道を引き返す奴

だとわかっている。だからここで俺が「何食わぬ顔」をしたのなら、奴らはたちまち

はずw
何食わぬ顔をしてんだけどこいつw
ミスったと思われたくないの丸見えで草なんだが

と思うに違いない。そんなこと俺には到底耐えられない。
そして今俺は「みんな同じこと考えるモンだなあ。」という表情を、列へお並びの皆さまにわざとらしくお見せしながら最後尾へと向かっている。凸凹と不揃いに並べられた顔のその一つ一つを決して見ないようにと必死になりながら。
「必死」も「命取り」もこのあたりの言葉は全て冗談でしかない今日であるのに。

16時11分01秒「ボウシツクツク」

最後尾につくと、左手の欅の木にとまるツクツクボウシの声が両耳のイヤホンから流れる「はっぴいえんど」をつき破って鼓膜を揺らした。両耳が塞がれているのにはっきりとその所在が左手であるのがわかるほど大きな声で。叫んでいるのだ。

まあ、こいつらは何も知らねぇよな。
知らないのが一番幸せだな。

本日 2024年8月24日 17時05分42秒(日本標準時)
地球はモントレー彗星と衝突し、俺らは100パーセント終わりを迎える。

「ボウシ-ツクツク ボウシ-ツクツク ボウシ-ツクツク….。」

ツクツクボウシって海外進出を目論んでいるのだろうか。
思いついた。
ボウシツクツクって。ショウヘイオオタニみたいに。
そもそも鳴き方のクセがかなり強いし。目立ちたい寒いやつとは昔から思っていたけど。そうやって俺らを涼しくしてくれてるのだろうか。
アリガトウ。ツクツクサーン!
という所まで考えることができた。

実際こんなものである。

2年前からわかっていたというのは大きい。かなりみんな受け入れているようだった。
人間はとても強い生き物だと思う。わりと先月ごろまでみんな頑張っていた。
2年後にモントレー彗星がほぼ確実に地球と衝突することがわかった2022年春。世界中の国々は今までの争いや流れた血はなんだったんだという速度で連帯し、その持てる力の全てを宇宙開発事業に向けた。全ての雇用や全ての才能は、人類が生き残る唯一の手段である「地球からの脱出」のためのものとなった。割とこの2年間の人類はイキイキとしており、何か文化祭の準備期間のような雰囲気が地球を包んでいるように感じた。
かくいう俺もそのサイクルの中にいた。
ビフォーモントレー(NASAがモントレー彗星の衝突を発表する前のことをそう呼ぶ)の俺は主にクランクシャフトという自動車のエンジンの部品を作るための型版を作る工場で働いていた。クランクシャフトはピストン式のエンジンでピストンの行う往復運動を回転エネルギーに変換するパーツであるが、要は車を動かすのに要る部品である。その部品を大量に作るための型を主に作っていた。俺がのっている車はそのクランクシャフトがついたエンジンではなかったし、正直自分が何を作ってるかなんて考えないようにしていたように思う。人に聞かれても熱心には答えなかった。「ピストンの往復運動を高速回転にしてね。それで、、」なんて話は誰も興味がないし、何といたって気持ち悪い。
アフターモントレーの俺は、地球の代わりとなりうる惑星を発見するための超望遠な天体粒子望遠鏡に搭載される、レンズ位置を10000000分の1ミリまで調整しパーツ長微細なピント調節を可能にするヘクトンというパーツを作る工場へ配属された。この生活はまあまあ楽しかった。毎月24日に決まって行われる宇宙船の発射実験を世界中の人が中継で見守った。俺にとってその中継が明日も人類の未来のために仕事をしようという活力になっていた。こんな俺でも俺なりに前向きに仕事に取り組んでいた。それは事実だと思う。

人類のうちほとんど全員が0.4パーセント(2年以内に地球脱出が可能な状態になる確率)のために奮闘していた時代だ。

だが、俺らはご存知の通り99.6パーセントの方の世界を選ぶこととなった。「今あなたは99.6パーセントの世界にいます。」という宣言(ケネディ諦念宣言)が2024年7月2日午前3時(日本標準時)になされた。

解放されたような、そんななんとも清々しい朝だったのを覚えている。

以来、仕事という概念はほぼなくなり、人類は下は0歳上は多分113歳の全学年が揃いぶみでの夏休みを迎えることとなる。

この二ヶ月間の人々の様子は見ていてあまりに美術であった。全ての人々がそれぞれの行動を「時間の尊さ」か「隣人の愛おしさ」というタイトルの作品として昇華しているようだった。

それはとても露骨で作為的に見えて俺は好きじゃなかった。

急に全員が日記をつけ出したりした。
本来クリスマスのためだけのカップルのような、所詮そんな程度のはずの愛をまるでシェイクスピアの戯曲のようなテンションで囁いたりした。
往年のジャズナンバー「THE LADY IS A TRAMP」の美しい旋律の上でヒラリー・クリントンとドナルド・トランプが熱い口づけを交わす様子を撮した動画がX(旧ツイッター)で拡散され、それを見て皆が涙したりした。

そんなこんなで人類はこの最後の日を迎えた。

そしてついに人類は皆それぞれ、ある議題の結論を出すのである。

樹液を吸っていればいい君には全く必要ない議題だ。ツクツクサン。


16時12分11秒「コーンと棒」


「最後の晩餐、何食べる?」
これの答え合わせをする機会がまさか本当に訪れるとは思いもしなかった。
日本の最後の晩餐は夏の夕方に決行となった。

俺はビフォーモントレーから日記をつける習慣にあった。
いつかの日記にこう記した。そう読み返さないからいつなのか、あるいはどのような文体で綴ったかなどは明確でないが、確かに書いたことというを覚えている。

最後の晩餐はセブンティーンアイスにしようと思う。
6歳の夏に母が連れて行ってくれた市民プールの帰り、決して欲しいものをなんでも買ってあげるというタイプではない母が買ってくれたセブンティーンアイスが、人生で最も美味しかったからだ。
アイスを食べるために腰掛けたベンチの感触と少し禿げた青色の塗装。プールバックのすぼめた口からほのかに香る塩素の匂い。「ちょっとだけちょうだい」と言った母の小さな一口分だけ欠けた円柱のその美しい造形。
どれひとつ忘れることはできない。

計画どおり俺はセブンティーンアイスの自販機にやってきた。
計画どおりでないのは列ができているということだ。
これにはかなり驚いたし、自分に対し失望もした。
俺は最後の晩餐がセブティーンアイスだということを自分のアイデンティティのひとつに数えていた。それほどに珍しくかつ誇らしい回答であると思っていたからだ。
それに、人類最後の日に公園で1人セブンティーンアイスを食べるという当初思い描いていたイメージの中に同じくセブンティーンアイスを食べる他者はいないし、並んで買うというシーンなんてもちろんない。
著しくがっかりした。

そんな失望をよそに、列はある程度ゆっくり進む。といっても列にしては割と早く進む。それはそうである。たかがアイスを自動販売機で買うだけの列だ。回転率は恐ろしくいい。そのための自動でもあったはずだ。だが、それにしては遅い。皆にとって人生で最後の自販機になるからだ。最後の注文になるからだ。最後の選択肢の中からいずれかを選択するという行為になるからだ。最後の味を決めるからだ。きっと先頭では時間がかかっている。コーンタイプか棒タイプかという選択さえもかけがえのない選択になる。きっとこんな話で盛り上がっているに違いない。

男「まずコーンの方が贅沢でいいでしょ」

女「いやでもこのソーダのやつ好きなんだけど棒なんだよねー。」

男「でも待って、よくよく考えたらさ、、

コーンにしたら人生最後の味がコーンになるってことじゃね」

女「それマジじゃん。人生最後の味コーンはやばw」

男「まあ最悪コーンの方から食べればいいのか。アイス部分持つことになるから、手ベタベタのまま死ぬことになるけど」

女「ウケるwもーハンカチあるから貸してあげるよー。ハイ!」

男「ありがとう。、愛してるよ」

女「 え。なに急にー、、泣いちゃうんだけど、、、」

男「はい。ハンカチ。」

女「もーw。私も愛してるよ。。今までありがとう。」

(強い抱擁を交わす2人)


とまあこんな感じだろう。
今の人類は隣人愛にひどく侵されている。きっとその後ろで待っている人たちも目を潤ませながら見守っているか、もしくはその作品の誕生に拍手を送っているかに違いないのである。妄想の中で鳴り響く彼らへの拍手喝采の音が激しさを増しズキンズキンと内側から脳みそを叩く。それはまるで、これに厭わしさを抱いているのなんてこの世界で最も醜いお前だけだと言っているようで、僕は思わず「花いちもんめ」の音量をあげた。

※花いちもんめ・・・はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」に収録された楽曲。


16時13分40秒「革命」

列はある程度ゆっくりに進む。
別にこの速度に対しての不満はない。死を受け入れた人間である。列が進まないことに対して苛立ちを覚えるレベルにはどうやらもうない。ただ、落ちつけないことが一つだけある。俺の番までアイスは売り切れないだろうかということである。その不安はこの列がテンポ良く進ほどに増していくものであるから、俺は心を落ち着かせるためにこの速度を「ある程度速く」ではなく、「ある程度遅く」と言っているのかもしれない。
俺の後ろにも3組ほど、人数にして7,8人が並んでいるが、その後ろにはもう並んでいない。それはこのポジション付近に売り切れるかアイスを手にできるかのボーダーラインがあるということを表しているようにも感じた。きっと俺が今ここにやってきたとしたら、もうこの最後尾には並ばないかもしれない。俺は地球に住んでもう24年がたつから、大概の摂理のようなものは理解してきたつもりである。その経験則が直感的にこの位置の絶妙さを俺に伝えるのだ。

俺はビフォーモントレーからずっと「最後の晩餐セブンティーンアイス」を高らかに宣言している。
よくよく考えてみれば、他の列の人たちはもとより最後の晩餐はセブンティーンアイスだと決めていたわけではなく、セブンティーンアイスに行き着いてしまった人たちなのではないだろうか。ここへ行き着く要因は簡単に考えることができた。まず人類最後の日に営業している飲食店は少なかった。もちろん人に料理を食べてもらうことが生きがいの街の料理人たちの店は開けていることも少なくないらしいが、そこはいつものお客が占領しているようだった。そんななか最後の日も関係なく営業していそうなものが自動販売機だった。これにさらに夏という季節、そして16時代という飲食というものにおいてなんとも微妙な時刻が重なりこのセブンティーンアイスの自販機にこれだけの人を集結させるに至ったのだ。それに俺ほど輪郭を持った思い出がないにしても、日本人の誰しもがアイスにはノスタルジアを抱くものだと思う。きっと成り行きであろうと最後の晩餐がセブンティーンアイスになったことに対して決して悲観的ではないはずだ。だから、アイスを片手に歩いている奴らは満足げな表情をしている。むしろこの成り行きというものの美しさを讃美しているような、そんな表情を俺に向けるのである。
俺は成り行きなんかじゃない。確実に必然で前もって計画された最後の晩餐がセブンティーンアイスだ。

そこで革命をおこしませんか。

アフターモントレーのこの時代に、整列の順番が早くきた順というのはあまりにアップデートが足りなくはないだろうか。最後の晩餐がセブンティーンアイスがよかった順になれば確実に俺が一番前だ。きっとみんなは10位にも入っていまい。いようはずがない。『帰れま10っ』だったら紫の怖いフォントで順位が表示されるはずである。そんな奴らがアイスにありつけて俺がありつけないなんて、そんなことがあっても良いのだろうか。誰か勇敢な戦士よ。ここらで声を上げて「みなさん!最後の晩餐がセブンティーンアイスがよかった順に並びかえしませんか?」と言わないか。今こそ革命の時である。立ち上がれ。
他にもこの順番なら構わない。

「みなさん!履いている靴が一番新しい順に並び替えませんか?」

俺は緑地公園に来る前、商店街の小さな呉服屋に雪駄を買いに行った。
昨日、長らく愛用していた雪駄の鼻緒が切れてしまったからである。わざわざ人類最後の日に雪駄を買いに行く必要性については考えたが、そのわざわざが愛おしく思えて俺は呉服屋へ向かった。今思えば、その呉服屋が通常通り営業していることを信じて疑わなかったのはなぜかわからないが、全く普通に、モントレーのモの字もなくその店は営業していた。
この雪駄を勧めてくれた婆さんは「うちは休んでもやることないからねえ」と首の腱をまるでピストンのように上下に動かしながら言っていた。

売り場の奥にある居間では、仰向けになった爺さんが微かな呼吸をしていた。
首を振る扇風機の風は、爺さんにかけられた毛布から縮れた毛糸を一定のタイミングで揺らしていた。

「みなさん!死ぬのが怖い順に並び替えませんか?」

「みなさん!孤独順に並び替えませんか?」


16時15分20秒「カップル」

どうやらもうコーンのしか残っていないらしい。
曲間のわずかな隙間にそんな情報が差し込まれた。
それに合わせて先ほどよりは少し早く、
列はある程度ゆっくり進む。

俺の前にいるカップルはとても楽しそうに話したり、黙っていたりしている。
イヤホンをしているから内容を聞いているわけではないが、この2人が不幸でないことは十分に理解できた。
カップルの惚気に嫌気が刺すようなタイプでは本来ない。俺はどちらかと言えば微笑ましく思いながらいつもこの光景を対処してきた。ただ人類最後の日において、この光景は一層の輝きを増す。

彼らの目配せを、俺は見ていた。

彼らが同じタイミングで肩を揺らすのを、俺は見ていた。

その時彼らの肩が擦れるのを、俺は見ていた。

彼女の一歩に対し、毎度0.5秒ほど遅れる彼の一歩を、俺は見ていた。

彼のために伸ばしたであろう中途半端に長い彼女の髪が風がなでるのを、俺は見ていた。

彼らの隙間を通り抜ける夕方の日差しを、俺は見ていた。

それがゆっくり形を変えたり、時々なくなったりするのを、俺は見ていた。

彼らの中を進む時間の正しさを、俺は見ていた。


もうツクツクボウシがいる欅の木からはだいぶ離れた。
ここで先ほどのツクツクボウシについての俺の最後の「発見」について思い出した。このもうすぐ死ぬという状況下でこれを思いついた自分は少々誇らしげに思える。

しかし、その余計な発見は、
その発見を伝える人がいない。
そのことを克明にするばかりである。

そんな俺には、彼らの隙間を通り抜ける夕方の日差しを正面から受け止めることはできず、それを避けるように左にずれた。慎重に振り返ると、日差しは後ろに並ぶ6歳の少年に当たっていた。彼の両手には彼を愛する2人の手があったように見えたが、はっきりとは見れていない。

もう一度前を向くと、先頭が目前に見えている。
俺は最後の晩餐がセブンティーンアイスを達成し人生を終える。
もうそれだけでいいのだ。


16時17分01秒「アイス」

ついに俺の前のカップルが先頭にたどりついた。
どうやらもう選べるアイスは抹茶の一択になったらしい。
抹茶以外のマスに売り切れの赤いランプが煌々と灯っている。

彼、彼女の順に幾つかのコインを入れ、ボタンを押し、排出口からアイスを取り出す。


その彼女がボタンを押した時だった。

抹茶のマスに赤いランプが灯った。


はっぴいえんどは耳元で続ける。

「旧いフイルムのようなざあざあ雨に♪
戦車のような黒雲びゅうびゅう♪
人攫いの夢に怯えた少女は♪
一張羅の涙を♪
ぽつり♪〜」


彼女は状況を全て察したあと、に彼と目を合わせニコッと笑った。

そして俺の方にそっと歩みより、

わざと口をはっきりと動かしながら

「これどうぞ。」

と彼女は言った。


絶望した。



「明日天気になあれ♪

明日天気になあれ♪〜」


俺は受け取った抹茶アイスを、まだきっと自分の置かれた世界の状況を全ては理解していないであろう6歳の少年に「これどうぞ」と言って手渡した。

そして俺は展望台の階段を全速力で駆け上がる。



「さっきまで駆逐艦の浮かんでた通りに♪
のっぴきならぬ虹がかかった♪
その虹で千羽鶴折った少女は♪
ふけもしない口笛♪
ひゅうひゅう♪

明日天気になあれ♪
明日天気にな



「列」

天国行きと地獄行きの審判を閻魔大王が下すブースへ来てみれば、長蛇の列であった。

少し早めに来たと思っていたが。

みんな同じこと考えるモンだなあ。


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