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ジブン磨き。必要なのは音楽と映画と洋服。それとちょっとのお酒っていう話。

・ムチは慣れるし、アメも慣れる。

慣れは怖いよねって話。本当の怖さは自分が慣れていることを感じる隙間すら与えないところ。慣れていることを考える余白さえ存在しなくなる。いや、確かに存在するのだが、見えなくなる。意識すれば見えるのかもしれないが、よっぽどのことがない限り見えなくなる。人間世界で生きている以上、見えないものは存在しないことになる。確かに、最初は些細な環境の変化に気づく。それは居心地が悪いから。しかし、最初だけ。その変化後の世界はすぐにいわゆる普通になる。そして、慣れてきていることに気が付く。そして、慣れていることにすら気づかなくなる。寂しいけど、幾分生きやすくはなる。半年ぶりに食べる二郎が美味いのはきっと慣れていない俺にとってのアメだから。(ほんとは二郎はいつ食べても美味いし、スープにコカ○ンが入っていることにはここでは触れない)。逆にムチにも慣れる。高校時代はなぜかSNS禁止だった。TwitterにInstagramあたりを使えないということは充実した高校生活を送れるはずはない。「かわ」の「せそ」の「びち」にDM飛ばすことができない。だが、慣れた。むしろ清々しくもあった。個人的にはムチとアメは同義だと思っている。が、その話は今度する。今田美桜から顔面をぶん殴られるのは、アメかムチか。その話も今度しよう。そいうえば、今日、地元の街でとんでもない人に会った。けど、今度話そう。実家のカレーの隠し味はミシュラン2つ星のシェフと同じある食材らしいが、またの機会に話そう。そういえば、この前、渋谷のあるクラブで馬場ふみかを見た。これは今話そう。

・浅っ。

音楽は流行りを聞かない。なぜならカルチャーを感じない。ミニシアターには脚繁く通う。なぜならカルチャーがそこにはあるから。古着は好きだ。なぜなら前の所有者のカルチャーを感じるから。タワマンとかどうでもいい。なぜならカルチャーを感じない。レコードは当時の音って感じがする。なぜならカルチャーがあるから。今朝、15分寝坊した。なぜならカルチャーを感じないから。次の交差点を右折する。なぜならカルチャーだから。
今こんな奴らが溢れている。今の街には溢れている。こいつらからカルチャーを感じない。なぜならカルチャーを感じないから。

・ごめんmm

小学生のころ、悪気なんて全くなかったが、女の子の股間を蹴り上げてしまったことがある。本当にごめん。本当にごめんなさい。たまたま、足を上げた位置に女の子がいたのだ。謝っても許されることじゃないけど、すまない。ごめんなさいでした。もし、いつか会ったら、いつか会えたら、その時は、俺の股間を下から本気で蹴り上げてください。お願いです。

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