ノスタルジーと負けヒロインにまつわる個人的悲劇についてー『五等分の花嫁∬~夏の思い出も五等分~』感想文

※ゲーム『五等分の花嫁∬~夏の思い出も五等分~』のネタバレを含みます。

 高校生の頃、その幸せを心から望んだ女性がいた。丸顔にメガネの似合う、おっとりして周囲の人間に安心感を与える存在だった。喩えるなら「実家」。もちろん、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の幼なじみキャラである田村麻奈実だ。教養豊かな諸氏には明らかなことだと思うが、アニメ化もされたこのライトノベル作品において田村氏の扱いは不遇と言うほかなく、「兄と妹の恋愛関係を邪魔する酷い常識人」という面が強くクロースアップされてしまったアニメ版においてはほぼ敵キャラと言ってよいくらいだった(11巻をアニメ化しなかったのには未だ激怒している)。しかし、捨てる原作者あれば拾う版元ありとも言うように、麻奈実ファンにも一縷の希望が遺されていた。それすなわち、『俺の妹がこんなに可愛いわけがないポータブル』だ。メインヒロインである桐乃は言うまでもなく、黒猫やあやせ、麻奈実でさえも主人公の京介との恋愛を成就させることができるこのゲームはまさに天国から仏が垂らした糸にほかならなかった。私はソフトだけを中古で購入し、友人にPSPを借りて貪るようにプレイした。京介と麻奈実が過ごす甘美な時間、約束された将来、そしてなぜかちょっと京介に怒っている桐乃、どこをとっても私が求めていたものだった。勝者がただひとりに限定され、それ故に原作者の創造が絶対的権力を持つ恋愛バトルロワイアルものにおいて、「絶対負けるヒロイン」のifルートを公式に提供されるという至福に私は取り憑かれた。この甘やかな思い出が、日ごとに私のなかで美化されていったのだ。

 時はながれ、私は数多のオタク・コンテンツを享受した。いくつもの恋愛バトル、幾人もの敗者、そしてifすら阻むことを許さない覇者をみてきた。そしていつしか、私は負けヒロインが好みになっていった。欲が盛りすぎてやらかす負けヒロイン、我を秘めすぎて破れる負けヒロイン、負けヒロインだと思ったら救済があったヒロイン(凪あすの要)・・・・・・。彼女らは総て、私の同情心と美的感動をくすぐっては私の前から去って行った。アニメのサイクルは早いのである。
 
 そんなある日、負けヒロインの決定版みたいな女性が負けヒロGPに突如エントリーしてきた。期待の超黒星、中野一花である。彼女は五つ子恋愛バトルロワイアルの金字塔、『五等分の花嫁』で五つ子の長女として登場し、花澤香菜の声で主人公・風太郎に囁きながらありとあらゆる負けヒロインムーブを決め散らかしていった。最終的に勝つヒロインが最後の最後まで本当に分からず、あらゆる考察を呼んだり門前払いしたりしたこの作品においては珍しいほど敗色濃厚キャラであり、それは一種の形式美と言えるほどであった。しかしまさにそれ故に私は中野一花に惚れ込んだのであり、普通に好きな中野三玖とどっちを応援したらいいものかと頭を抱えることになった。
 
 そんな負け長女にも、同じく救済の光が差し込んだ。作画がめちゃくちゃ改善されたアニメ二期に続く時系列のゲームである、『五等分の花嫁∬~夏の思い出も五等分~』である。嵐に閉ざされた無人島で、五つ子たちとサバイバル生活を営みながら、彼女らの学業成績を向上させ、ついでに恋愛も楽しむというゲームが発売されるという触れ込みは、私を高揚させた。麻奈実と過ごした時間の熱狂が、際限なくリフレインする。「一花と幸せになれる」という確信が、俺妹ポータブルの思い出に一輪の花を添える。一花だけに。気付けば私は、『五等分の花嫁』を通して、「俺妹ポータブル」の残像をのぞき込んでいた。
 
 浮かれた私は当然のように限定版を購入し、真っ先に一花ルートに入るようにイベント選択肢を調整した。ごめん三玖。五つ子の成績システムに最初は戸惑ったものの、個別ルートに入るための成績を確保することができ(ひとりでも成績が低いとゲーム失敗である。浜学園ADVか?)、一花ルートが始まった。五つ子と過ごす非日常と、そのなかで秘やかに浮かび上がる一花と風太郎だけの時間。一花が風太郎だけに見せる表情、風太郎には見せない悩みと五つ子の温かなドタバタ・・・・・・。すべてが美しく、世界には光だけがあった。筈だった。しかしこれら総てはまやかしであり、哀れな負けヒロイン厨を嵌める罠だったのだ。つまるところ・・・・・・
 
 このゲームは、i f で は あ る が i f を 許 容 し な か っ た 。
 
 つまり、ゲーム自体がでっちあげられたifであるのにもかかわらず、その結末において、原作のその後の展開に支障を来すようなことは何もしなかったのだ。そう、この時点で一花と風太郎が結ばれるなどという傲慢な妄想は結実しなかったのだ。
 
 ルートの途中から違和感は感じていた。一花からの好意は骨の髄まで伝わってくるのに、二人の距離が決定的に縮まる気配がない。風太郎にそういう素振りがないのだ。一花にしても、時系列的に直前にあたる「修学旅行篇」でのあれこれや、ゲームに続く原作の展開で言い出すあれこれをを未だに/既に気に掛けているようであり、あと一歩の距離が詰まらない。どうした、一花!何してる、風太郎!私はすっかりノスタル爺に成り果てた!
 
 一花ルート・グッドエンドの最後、ウェディングフォトのモデルのバイトで一花と風太郎は新郎新婦の擬態をする。これがパッケージや各種ムービーで先行して開陳されていた五つ子の花嫁姿の伏線回収となるわけだが、まあこれは許容範囲だ。問題はここから。いくつかの微笑ましいやりとりのあと、当該ルートは一花の言葉でその幕を下ろす。曰く・・・
 
 
 
 
 
 「今は幸せな花嫁でいいんだ。今だけは・・・・・・。」


 
 
 
 
え???????????????????????????????
 



グッドエンドかこれ????????????????????????



 ある種の諦念さえ感じさせる儚いつぶやき(cv.花澤香菜)は、私の期待とノスタルジーに冷や水をぶっかけた。私がこのゲームを買ったのは4人もいる負けヒロインに、あり得た筈の未来を与えることであり、緩やかな失望を提供することではなかった。そもそもこういう恋愛バトロワをADVにするのはそのためなのではないか?一回きりの人生をキャラクターに与える原作に対し、何度でもやり直しうる複数の可能世界を拓くのがこういったゲームの使命なのではないか?あまりにも、あまりにもフロンティア・スピリットが欠乏しすぎている。オタクのフィールドですらこうなのだから、地上にあがれば男子の草食化が進行しまくり、合計特殊出生率がマイナスまで割れ込んでいても不思議ではない。私はゲームを振り返りながら日本の将来を案じた。

 同時に、反省もあった。私は完全に、「ごとなつ」を通して「俺妹ポータブル」を眺めていたのであり、甘やかな歴史の再現を期待していた。私が向き合うべきだったのは、今ここにある『五等分の花嫁』というコンテンツ群だったのであり、その物語の特性や、アニメが未完結であるという状況を踏まえれば、一花と風太郎の結ばれるグッドエンディングなど、期待してはならなかったのではないか。栄えある過去に目を奪われ、曇り眼で現在を見通そうとすることほど、愚かなことはない。そう、栄えある過去に目を奪われ、曇り眼で現在を見通そうとすることほど、愚かなことはないのだ!

 一花のおかげで目が覚めた。こうして私は「俺妹ポータブル」を過去とし、「ごとなつ」に真摯に向き合うときめたのだ。待ってろよ、二乃!!


                               終劇

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