足元に宝物はある…
今回のnoteは、自分がどういう状況なのかを書きます。
僕は現在、不安障害という病気と闘っています。
17歳の時に突然吐き気に襲われて、変だとは思いながらも、ただ体調が悪いだけだと思っていました。
なので、時間が経てば直ぐに治るはずだと。
しかし、そこから地獄の様な生活が始まりました。
僕の場合吐き気だったので、食事を摂ろうとすると気持ち悪くなったり、緊張する場面になると吐き気に襲われたり。
最後は血を吐いてしまうほど酷い状態でした。
僕は「もしかしたらこのまま死ぬんじゃないか」と思うほど辛かった。
むしろ「そっちの方が楽になれるのかな」って思ってしまうほど精神はボロボロに。
幼い頃からの夢が「ボートレーサー」になる事だったけれど、この状態では夢を追うどころか、まともに生きることすら難しくなっていました。(ここが挫折のポイントだった)
成人式にも出れなかった。
同級生が楽しそうにしてる姿がとても辛かったし「なぜこんな思いをしなくちゃいけないんだ」と思うばかりで、なにも変わらなかった。
今になってわかる事がある。
この病気になったのは、多分母親の「うつ病」が原因じゃないかと思います。
僕が小学2年の時に発病してから、生活がガラッと変わってしまった。
自殺未遂は数えきれないほどされたし、突然怒り出して僕を殴る蹴るをしてくるから、不安定な精神状態を小さい身体ながらに感じていた。
だから、今でも不安が大嫌いです。
それでも、なんとか生きてきたのは父の存在があったからだと思います。
でも僕は、むかし本気でこんな事を考えていました。
親が亡くなるまでは、適当にコンビニでバイト生活して、親がこの世界から居なくなった時に、僕も「自分の命の火を消してしまおう」と思った。
多分、そのくらいこの世界に絶望していたんです。
でも、「矢沢永吉」に出逢い「西野亮廣」に出逢い「本田美奈子.」に出逢った。
(通称E.A.M、僕の人生における大事な御三方)
そのおかげで、僕は紆余曲折しながらも、26歳まで来れた。
そんな父と一緒に創っているのが「SUPERQUEEN」や「Vivien」というブランド。
これを始めたキッカケは「父の生きた証を残す」だった。
肉体の死は避けられないが、忘却による死を避けるために作ろうと思いました。
元々、趣味で服にアイロンプリントをしてオリジナルの物を着ていたところから、ファッションビジネスは始まりました。
しかし、意外なところにアイディアは落ちているなと思います。
だから、みんな一度自分の足元を見てみて。
そこには「宝物」があるかもしれない…
鈴木悠斗 .
鈴木悠斗.がプロデュースをしているブランドSUPERQUEENのインスタグラムはこちらです↓
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最後にお知らせをさせてください。
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