私の帰りたい「故郷」には10代の頃の記憶が付随している

時々、無性に故郷に帰りたくなる。

あの、田舎と都会が程よく混ざり合った故郷に帰りたいと思う。ただ、私の帰りたい「故郷」というのは、もう記憶の中にしかない。春になると桜が咲く河川敷の景色。暑い夏に自転車で行った市民プール。暇な休みの日に時間を潰したブックオフ。同級生がこぞってデートしていた地元の祭り(私はできなかった)。高校の屋上で友人と見た花火。友達に誘われてよくライブを観に行ったライブハウス。あまりにも寒い冬。全部愛おしくて戻りたくなるけれど、あんなに景色が輝いて色を持っていたのは、あの頃私が10代だったからなのだろう。今故郷に帰ってみれば、10代を過ごした時の故郷の姿とは様相が変わっている。同級生はみんなすっかり大人になっていて、地元にいる子たちは地元にいる子たちで仲良くしている。私の帰りたい「故郷」には10代の頃の記憶が付随しているのだと思う。
それに、最近は実家に帰るとまず最初に妙な寂しさを覚えるようになった。一人暮らしを始めて最初の頃は、そんなことはなかった気がする。近頃は、私が半年かそこら帰らぬ間に、家族は私の知らない近況を持っていて、私以外の家族はみんなそれを共有しているようだった。一緒に住んでいたあの頃は確かに私たちは「家族」だったような気がするのに、今はなんとなく、私以外のみんなが家族で、私だけが親戚のような感覚。ただ、実家の匂いや場所の記憶だけは変わらなくて、1人部屋で布団に包まっている時や亡くなった祖父の仏壇に手を合わせている時に、私は今実家にいるのだなと実感する。滞在がしばらくすると少しずつ馴染んできて、家族といるのだなあという安らぎを覚え始めるけれど、安らぎ始めた頃に私は自分が元いた場所に戻らなければいけなくなる。

故郷や実家に帰ることは毎回多少の寂寥感をもたらす。一人暮らしを経験した後だと、田舎特有の狭さや近さがひどく羨ましくなるし、同時に少しだけ息苦しくもなる。その息苦しさは、「田舎が息苦しい」というよりも、田舎の狭さや近さに慣れて馴染んでいる友人や家族に対して感じる後ろめたさにも近い。自分はその狭さや近さがもはや遠い過去になってしまっていて、今この瞬間、同じ温度感で故郷での滞在を過ごすことはできないのだと思う。それでもやはり、帰ってきた時に「ただいま」という気持ちが湧くのはやっぱり故郷だけだ。

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