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死ぬまで一生愛されてると思ってていいですか/クリープハイプ15周年
尾崎世界観がステージの上で「死ぬまで一生愛されてると思ってていいですか」と言った時、死ぬまで一生愛してていいんですか、と思った。
今までずっと、彼らを実際に目にしたことがなくて、人となりも知らずに音楽だけをずっと聴いてきた。クリープハイプを高校生から聴き続けてきた自分はついに24歳になって、もうすっかり大人だった。
そんな大人になった私は、「クリープハイプが好きな人は××」みたいな批判じみた声に割と疲弊してきていて、もう大人だし、クリープハイプを「一番好きなアーティスト」に置くのはやめたほうがいいのかなと思っていた。好きなアーティストの話をする時に、「一応」とか「いやぁちょっと言いづらいんですけど」とかを枕詞につけるのも疲れてきた。好きなものの話で「一応」なんて言いたくなかった。(誇りをもてない私の側に問題があるのもわかっている)
今回幼なじみに15周年記念ライブに誘われて、初めて直接クリープハイプを見る機会を得た。
最初から「HE IS MINE」を歌ってくれて、心が昂った。もうこんなん国歌より聴いてますから、当たり前に楽しい気分になりました。二曲目は「火まつり」。二曲目に火まつりをもってくるセンスが大好きだ、あまりにも分かってる。尾崎世界観に、分かられている。九曲目の「左耳」は私の恋愛のすべてだし、十一曲目の「オレンジ」は私の青春のすべてだった。私の青春の感情と、甘い苦い酸っぱいの感覚が曲とともに次から次へとやってきた。15年来の幼なじみとここに並んで立っていることが奇跡みたいに思えた。
そんな調子で、本当に、本当に、あっという間に時間が過ぎて、終盤の「愛の標識」。私が初めて大好きになったクリープハイプの曲で、尾崎世界観は最後に、本来「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」と歌うところを、「死ぬまで一生愛されてると思ってていいですか?」と言った。その時にハッと、今日一度も「好きでいていいのかな」なんて思わなかったことに気がついた。ここに立つまでは、もっといろいろ考えちゃうかな、今日でクリープハイプとお別れとか決意しちゃうかな、それともやっぱり好きって気持ちでいっぱいになるかな、感極まって泣いちゃうかな、とか思ってたのに、私は何も考えなかった。ただずっと曲を聴いて、その曲の全てで沸き立って、ただずっと楽しかっただけだった。
実はライブに来ると大抵いつも、「あとどのくらいで終わるかな」「足疲れてきたな」「あのボーカルの人、彼女といるときはどんな顔するのかな」「帰りの電車だるいな」と途中で考えてしまうのに、そんなことも考えなかった。
そして、今日初めて聴いた「天の声」があんまりにも良くて、その前のMCもまるで自分に言われているかのように響いた。(こう思ってる人が意外に多くてびっくりした。やっぱりクリープハイプのファンって相当面倒くさい性格してるんだと思う)。尾崎世界観は、「今日、クリープハイプはもう自分のためのバンドじゃないなと感じた人もいるかも」「そう思う人がいるのもわかる、だって俺がそういうふうに思う人間だから」だから自分のファンにそういう人がいるのもわかる、という旨のことを話していて、グッズ整理券の話からの文脈だったから、私の状況とは違ったけれど、自分に言われているみたいだと思った。「クリープハイプはもう自分のためのバンドじゃない」と、まさに思っていた。捻くれてる嫌な自分も丸ごと許されたような気がして、それがすごく嬉しかった。「お前のために歌ってんだよ」と言われたから、私は自分のために歌ってもらえてるんだと思い込むことにして、それでこの歌をずっと忘れないで、心の奥にちゃんとしまっておこうと思った。
「天の声」。「君は一人じゃないからとかそんな嘘つくよりも 君は一人だけど俺も一人だよって」という歌詞が、とても優しい。一番優しい。自分と同じく、一人でいてくれることが、私を一人にしないでいてくれることよりもずっと優しいと思う。だからきっと、私はクリープハイプがずっと好きだったしずっと好きなんだろう。死ぬまで一生愛されていると思っていて