牛腸茂雄さんのまなざし。
はじめての、牛腸茂雄。
まず、お名前の苗字が読めませんでしたが牛腸「ごちょう」と読むそうです。
ちょっと前にこの双子の写真を見て、何かに似てるなあと思い惹かれて行った写真展。(その話は後ほど)
PARCOのギャラリーはたまに行きますが、今回初めて訪れたPARCOの「ほぼ日曜日」と言うギャラリーです。
これまで素晴らしい写真を数多く撮りながら、あまり知られていなかったと言う牛腸さん。今回前知識ゼロの状態で展覧会に足を運んで、度肝を抜かれたと言うか、かなり衝撃的でした。
牛腸さんの略歴によれば、幼い頃に胸椎カリエスという病気を患ったせいで、背骨が曲がってしまっているハンディキャップを幼いころから持っていたようで、医者からは20歳まで生きるのは無理だと言われたそうです。
そんな牛腸さんが新潟から上京したのが19歳の時、1965年、どんな思いで上京したのか計り知れないですね。
ほぼ日刊イトイ新聞で、写真家の三浦和人さんが語った牛腸さんのことが書かれてありました。今回の写真展も、三浦さんが保管されていた牛腸さんの私物なのだとか。
牛腸さんは自分の身体のハンディが、他人にどう見られているかと意識しながら人物を撮っていたと。牛腸さんのセルフポートレートも見ましたが、完全に背中が曲がっているようで身長も150cmくらいしかなかったようです。
「撮っている自分」が被写体に「どう思われているか」をわかって撮っている。
写真の向こう側の被写体が少し、緊張しているような強張っているように見えるのもそのせいかもしれません。
写真がこちらを見ていると感じたわけ。
ロラン・バルトが『明るい部屋』(1980)のなかで提示した、
「プンクトゥム/Punctum」と言う概念がありました。
何か写真をパラパラとめくっていって、目にふと止まる写真とそうでない写真がある、「そうでない写真」の方は「ストゥディウム/Studium」と言って、見ているこちら側も何も感じない、一般的な写真。
それに対して「プンクトゥム/Punctum」は対象となるものが「こちらを突き刺してくるような、それによって、目に留まるのだ」と言う概念。
牛腸さんの写真は、日常の、穏やかで優しい風景や、ちょっとお茶目な写真ばかりなのに、なぜか写真の方から観ている私を突き刺してくるような、そんな思いにかられる距離感が感じられるのは、撮られている被写体が独特の緊張感を持って「牛腸さんを観ている」からかもしれないなあと思いました。
ダイアン・アーバスとの比較
私が牛腸さんの写真を見てすぐ思い出したのは、
こちらのダイアン・アーバスの写真。
ダイアン・アーバス(1923-1971)はアメリカの写真家、作家。
牛腸さんより少し前の世代ですが、没年は牛腸さんの方が早いです。
小人、巨人、両性具有者、身体障害者、双子、見世物小屋芸人など、アウトサイダーな人々や隔離的な場所に押し込められる人々をシュルレアリスティックに撮影した写真表現で知られています。
ダイアン・アーバスが、フリークス的な人々を被写体に選んだのとは異なり、牛腸さんは双子でも、日常に溶け込んだ暮らしの中にある双子として冒頭のチラシにある写真を撮りました。
牛腸さんに撮られる被写体が、牛腸さんを見る目は決して優しくはないし、少しおびえたような表情もしています。少しだけ普通の大人よりは低い目線で撮った当時の社会の中で、おそらくはもっと有名になりたかった牛腸さんの悩ましくも冷静な視点と、牛腸さんを見つめる被写体が作り出す牛腸さんそのものである作品が、感じ取れる写真展でありました。
実はまだ、私が足を運んだ時には、写真展のカタログおよび写真集が完成していなく、ゲラのようなものを見ることができました。
もうすぐ完成するとのことで、完成を楽しみに待ちたいと思います。
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