人生で影響を受けた人 - 兼高かおるさん
人生で一番影響を受けた人は、『兼高かおる』さん。
50年程前、私が幼稚園、小学生だった頃に、テレビで『兼高かおる世界の旅』というテレビ番組があり、それを一緒に暮らしていたおばさんと毎週楽しみに見ていた。(おばさんと住んでた理由はこちら)
海外旅行が珍しかった当時に、それも世界各国を飛び回っていたのが女性であったということも希少なテレビ番組で、兼高かおるさんが世界各国の文化、習慣、歴史、食べ物、人などを紹介するものだった。
アフリカのサバンナでは環境保護のために働く人と一緒にチーターの近くまで行って話をしていたり、エジプトのピラミッドやメキシコのマヤの遺跡を訪ねたり。
おばさんが、本好き、歴史好きということもあって、私も本好き、歴史好きとなったけど、エジプト、マヤ、インカ、ギリシャ文明などが好き、考古学者になりたいと思ったのも、この『兼高かおる世界の旅』の影響がとても大きい。
そして、女性が働くということにおいては、まだまだの時代に、世界中を飛び回り、30年も続く長寿番組を作った功績はとても大きい。更に、なんともカッコ良いな...と子ども心に見ていたのが、兼高かおるさんが各国の大使や、その国の著名人に会いに行っている姿を見て、女性もここまでできるんだ、私も兼高かおるさんのようになりたいなと思った。(サルバドール・ダリと兼高かおるさん)
そのせいなのか、大学生になり、10代最後の想い出として、アルバイトを掛け持ちでお金を貯めて、夏休みにスペイン短期留学をした。そして、3年生の春には1週間シベリア鉄道でソ連を横断。ハバロフスクからモスクワまで。その後、東欧をバックパッカー旅行して日本に戻るということをした。ゴルバチョフやペレストロイカの話がでてくる以前のことだ。そうなると、もう日本にはいられなくなって、大学を卒業して、ワーキングホリデーでカナダへ。カナダ滞在が終わったら、1年程中南米へのバックパッカー旅行。その後日本へ帰ったけれど、日本で仕事が見つからず、香港で就職。そして、オーストラリアやシンガポールと暮らしてきた。(ソ連の話はこちら)
ソ連に行ったのも、その時、それなりの理由があってシベリア鉄道でソ連横断をした。カナダにいった時もちょっとした理由があった。しかし、よくよく考えると、その理由の根底には、兼高かおるさんの存在が大きくあったのではないかな、と考えるこの頃。
兼高かおるさんは、第二次世界大戦終了後の1951年に希望が叶って、ロサンゼルス市立大学へ留学。念願の留学ができて、寝ないで勉強して身体を壊し、2年で日本へ帰国を余儀なくされたそうです。ただ、そこから、また『何ができるか』ということで、当時話題となっていた早回りでの世界一周を、プロペラ機による世界一周・73時間9分35秒の世界記録を樹立。その後も旅行記を書いたり、『兼高かおる世界の旅』を開始したり。このテレビ番組も最初は兼高かおるさんやカメラマン含め3名でビデオ収録、編修などを行っていたとか。「これしかない、と考えない」という兼高さんの言葉通り、ほんと素晴らしい。
下記は、兼高かおるさんが雑誌のインタビューでの言葉です。
「たとえば撮影中に雨が降ったら、その街が雨に濡れても美しいことを伝えるようにする。必ず他のルートはあると思うんです。その時々にそう考えてベストを尽くしていれば、トラブルやアクシデントも新しいことへの挑戦のチャンスになってくるんです」
これからも、私の人生の時々に、兼高かおるさんから影響をもらっていきそうです。
(クロアッサン くらし:兼高かおるさんインタビュー記事)
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