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別の公文に移った話と母の心の安全

4歳長男が公文に行きだして半年が経過しましたが、とうとう教室を変わることにしました。
理由を整理してみたいと思います。

①先生がめちゃ怒る


静かでこじんまりとした公文教室で、勉強に集中できそうだと感じていました・・・が、とにかく60歳ほどの先生の怒る声が響きわたっているのです。

ある日、公文にお迎えにいったところ、また先生の怒鳴り声が聞こえてきました。小学校高学年の女の子がふてくされた顔でうつむいています。教室はやはり静かで、鉛筆の音がするくらい。その異様な状況のなか、淡々と片づけをして教室をでる息子の背中に不安を覚えました。

またある日、教室から泣き叫びながらでていく息子と同じ年齢の男の子に遭遇しました。車に乗り込みながら「もうぜったいくもんにいかない」と叫んでいました。何があったんだろう・・・長男とその場にしばらく立ち尽くしました。

そして、決定的な日。長男は夕方17時半ころに公文にいきます。めいいっぱい保育園で遊び、遅い母のお迎えを待って、ふーっと公文に到着するため「眠い」問題が発生します。公文にお迎えに行ったところ、「寝るので立たせてやらせました、すいませんね」と言われました。
そして、やはり怒られている女の子。至近距離で大声でこんこんと。「折檻」という言葉が頭をよぎりました。

息子は、先生が怒っていたのは女の子が勉強をしなかったからだと説明してくれました。淡々とした口調に空恐ろしいものを感じました。

心理臨床の世界では、無意識を重要視しています。
夢や絵や言い間違いなどに無意識がひょっこり顔をだしてくれる。
それをカウンセリングの中で取り扱ったり、理解の資料としたり・・・。

すぐには表面化しない、無意識への影響が恐い。どのくらいで「それ」の影響がでてくるのかわからない。4歳という年齢で受ける影響は、その後の修正が難しいほどに大きい可能性がある・・・
どうしようもなく不安で、もんもんとしつつ別の教室に見学に行きつつ、1か月も様子をみたのでした!

②母が、先生を恐がっている


なぜやめると決意しているのに、1か月も様子をみたのか。そう、私が先生が恐くてしょうがないからなのでした。

でもそのことは、やめる理由の1つでもあります。

どういう点が恐いのか。先生が「評価者」であることのプレッシャーだと思います。

入塾して、お迎えに行くタイミングで巧みに?というか率直に私の出身大学や仕事などを聞かれました。なぜ?と思いつつ聞かれるままに答えてしまう私。

仕事は「臨床心理士」というと、教育関係の人の中には大げさに考える人がいる懸念があり(プレッシャー)、「障がい者施設の相談員」と言うことにしていました。

が、「ということは児童相談所ですか」「資格あるんでしょ」などと攻勢をかけられあっさり言わされてしまう。

ほかの家庭の子どものこと、理解がない親のことなど「お母さんだから言う」などと言って、ネガティブ話を聞いていくうちに、自分自身が評価されていることのプレッシャーを感じていきました。

もともと自分自身の課題として「評価されなければならない」「期待にこたえなければならない」思考が強く、そのことに苦しみがちな私。心理的な安全が確保できないまま週2回公文にいく・・・。心のストレスコップに少しずつ水が溜まっていきました。心が重く体を引きずりながら行く感じでした
。息子はそんな私をどう見ていたでしょうか。

でも、家から近いし息子も嫌がらないしという気持ちも。先生が恐いので言い出せないというのが8割でしたが。

③新しい教室の雰囲気がいい


今までの公文が歩いて30秒のところにあるのに対して新しい公文は車で10分ほど行ったところです。校区をでることもあり、保育園の人とも一緒にならないし、たぶん小学校も一緒にならない人と勉強することになります。

先生は冷静そうな40代くらいの女性の方。話しやすく、論理的で好印象でした。何よりも、「ここの教室で気になる点があるときは言ってほしい、フィードバックをもらうことでよい方向に改善ができる」と言ってもらったことが決定的でした。「信用できる・・・」

そして、新しい公文は、教室が4倍ほど広く通っている人数も4倍以上。スタッフも倍以上ととにかく大規模。教室長以上の年齢の方も含め多数スタッフがいるため、これまでの教室よりも教室長をチェックする機能が働きやすいように感じました。(前の公文は教室長と学生アルバイト2人)

出たり入ったりする保護者もいることを思うと、騒がしいけど、総合的に良き、と感じました。

息子にとって良い刺激になればと思ったりしています。


やめると伝えたとき


個人面談で伝えました。
正確に言うと、教育方針が先生と異なるようなので、息子を通わせるかどうか夫婦で話し合っているというようなことを言いました。

できるだけあたまごなしに怒らず、環境調整や工夫をしつつ淡々と必要なことを伝えていく、そんなやり方をとっていることを説明してみました。

しかし、「気に食わないんなら別の教室に行って」ということでした。

先生の気持ちを害してしまったことへの罪悪感、言い方が悪かったかもしれないというそわそわした後悔と不安、先生の言葉を残念に思う気持ちがぐちゃぐちゃになってしばらく落ち込みました。落ち込む自分がまた情けなかったですが、いつもの思考癖きたー!と思えたのは進歩かもしれません。

仕事で先生の言葉に傷ついてひきこもりになり数年自室からでられなくなったり、ときどき先生の怒鳴り声がフラッシュバックして、激しく自分を傷つける子どもたちに出会うことがあります。

たぶん、怒られていたその場では淡々としていたのではないかと思います。
表情にもだせない、言葉にもだせない人たち。

それが数か月後、数年後、数十年後のいつ影響がでるのか。
年齢が低ければ低いほどその影響は計りしれないと思います。

児童精神科医の佐々木正美先生は、乳幼児期の子育ては人間の基礎をつくる大事な時期、やり直しがきかない時期だと言われています。

乳幼児期の育児にあたる、みなさんのやっていることは、どれほど意義の大きいことか。ひとりの人間の人格の基礎を決定するのですから。どれくらい価値の大きいことか、あるいはどれだけ責任の重いことかわかっていただきたいと思います。

子どもへのまなざし

基礎工事を請け負うときの工事責任というのは、とても大きくて重いものなのです。本当に責任感のしっかりとした人がやってくれないと、大変なことになってしまいます。

子どもへのまなざし


もめたくない、人の気持ちを害するくらいなら我慢するという対処方法で生きてきてしまった私ですが、息子のためなら主張しなければと勇気をふりしぼる毎日です。

新しい公文に淡々と通う息子氏が頼もしい。ごめんねー・・・

できるかぎりのことをやっていく決意です。


最後までお読みいただきありがとうございます☺




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