一年を振り返る前半編(6月まで) at UC Berkeley(2022)
(誤字脱字スペルミスは触れないでください笑)
アメリカでの最後の期末試験が近づいてきた今日この頃、私のアメリカライフも終わろうとしている(メキシコより執筆スタート)。この一年はほとんどをアメリカで過ごした。というかめちゃ振り返ってみると公私ともに学びや成長があった一年だったと思う。ということで日本に帰りますが、次のステージはもう始まりつつあるので、すでにワクワクしております。
僕はこの2022年は一年間UC Berkeleyという日本では知名度が低い、最強のパブリックユニバーシティに留学していました。それについてまとめたtipsは下記のものが少しまとめたものになるのでもし気になる人は読んでみてください。
1月
初期
アメリカについたのが4日くらいで、本当に初めてのアメリカに感動していた気がする。全てのものがとても刺激的で、英語で話している自分にもなんか少し感動したりして。電動スクーターとかもたくさんあって、ホームレスもたくさんいて、何にもわかんなくて。そんな最初の頃。とりあえずついて思ったのはアメリカきたし超有名起業家プログラムであるY-combinatorに出そうかなってこと。Y-combinatorを目指すのって起業家のステータスだと思って。そうしたらなんだかワクワクしてきたことを覚えてます。Teslaは体感でも1%ほど走っており(多分カリフォルニアが多いのだとは思う、マウンテンビューとかだと10%くらいありそうだった)、やはりアメリカは違うなって感動した記憶も。
サンフランシスコで起業している方に突撃して話を少し聞いたりしました。本当に0からで迷惑をかけていましたが、恥はかき捨て、ですよね。ただアメリカはとてもムラ社会であると感じました。外から来た人であれば必ずコネクションを持っていなければ門前払い。それはアメリカの強い特徴な気がしました。そして話した人から下記のブログを教えていただいたのはとても入門的でよかったことを覚えています。
そんな感じでUnit 2という寮に入寮しました。ルームメイトはまじですごい2人で、特に1人は香港でナショナルレコードを持つキュービックめちゃうまい子でした。やはりバークレーにいる子はレベルが違うんだなって思いました。何かないとこういう大学には入れないのだなぁと。そうすると、やはり一年生のうちからこのコミュニティに所属することの意義があるのだなぁと改めて実感しました。そして同時に同世代のすごい子はアメリカを集結しているんだろうなって思いました。下記はStanfordの21歳(当時)です。
海外での苦悩や新しい挑戦について
何よりも大変だったのが時差。日本との協業をしていたのでめちゃ時差が辛かったです(というか今も辛い)。それだけなく、英語だけしたいという留学者としての思いみたいなものをあって辛かったです。なのでこんなコメントをSlackにしています。
大学が二週目あたりから始まり、ちょっと英語が早くてめちゃ焦った記憶があります。そんな授業との苦戦とは裏腹に、僕はWeb3の波に飲まれていくことになります。Web3とはブロックチェーン技術を用いた次世代のインターネットを表す言葉となります。そしてそのWeb3という次の時代に足を踏み入れていくのが、アメリカから日本に持ち帰ることなんだ、っていう風に思っていた気がします。DAOにNFTに、、、ファンシーな概念は自分の好奇心を刺激しました。ただ同時に、プラスしてプログラミングで何を作れるのかというデジタル世界の話でもあるということに気づいたので、こんな言葉を書いていました。
そんなこんなで色々と考えが発散していたのですが、こちらで出会った人の記事がスタートの時期の僕にぴったりでした。9勝6敗について書いた記事です。つまり何事も最終的にかつのは、負けを最小限にとどめて続け続けるということだっていう話です。僕もアメリカで勝つ必要があるというより、負けを抑えて、続けていこうと決心した瞬間でもありました。
ただ、一番の悩みはやっぱり0からのスタートっていうことでだいぶ精神的にきていたことを思い出します。さて2月が始まる。
2月
新たな目標
2月も引き続き悩みは対人関係で、こんなに初めての人に会う期間って新歓以来でとっても辛かった思い出があります。
別に悩んでいるだけではなくて、新しい目標を立てていてもいました。それはアメリカと日本の情報格差を利用して、英語を日本語にするとかアメリカの情報を発信するだけでいけるのでは?っていうノリでツイッターの運用を始めました。フォロワーを1000人することを目標(当時400人程度)にして、フォローするのは主に研究者やその卵のかた、VCなどスタートアップ関係者に絞り、投稿も彼らに合わせるようにしました。下記が記念すべき最初の投稿。
しかしながらあんまり続くことができませんでした、理由については単純に毎日するにはコンテンツ不足だったこと。記者とかニュースの人ってすごいなって本気で感心しました。ただ実は12月に無事に1000人を達成してます。
母国語とその意味について
また日本語の使用量もやはり変わらないことがあり、常に気になっていました。英語がうまくいかないことがあり、それについて少しフラストレーションも溜まっていたんだと思います。最終的にはこんなコメントを残しています。
ただこれは単純に英語圏に来て思うことですが、その言語の価値はその国の世界での立ち位置にとても依存します。まざまざと日本語の価値がないことをみると悲しくなりますし、翻って日本という国の価値を高めるために頑張りたいという気持ちにもなるきっかけになりました。それに関してちょうどその時期オリンピックだったので、自分がずっと応援している平野歩夢選手が金メダルだったことが本当に誇らしかったですし、嬉しかったです。自分が中学生の時から活躍しているので本当に続けることがすごいですし、ここまで夢を見せてくれて本当にありがとうございます。これからも応援しています。そして彼みたいに日本の価値を上げるようなことを積極的にしたいと思いました。
やっぱり日本との協業をすることはとても辛く、寝て起きると日本が朝なのでなんかテンションが合わず疲れてしまうことが増えました。そして疲れがきていたのか下記のような投稿がありました。
そうはいってもただ辛いだけでなく、日本にいるメンバーとは視座を常に高めることに貢献できたと思います。というのも本当にBerkeleyはいるだけでシリコンバレーや世界一の大学でのチャンスを享受することができます。それは本当に起業家・研究者を目指す自分に響くことがありました。もちろん日本でも世界のことを意識はしていましたが、本当の意味での”自覚”というものが生まれた気がしました。
この時も引き続き上記のWeb3については考えていて
本当にそう。
Don’t work. Avoid telling the truth. Be hated. Love someone.
僕は好きなスピーチはいくつかあるのですが、このくらいに出会った、僕にとってはとても秀逸でかつ訳もとても素敵だったスピーチを紹介します。特に人間関係が0からスタートした僕にとって下記の文章がとても刺さりました。ちなみに原文もexpect を軸に色々と言葉あそびがあったりして面白いですし、なんならサッカーで日本をいじると言う謎プレーもあったりしていいです。というか彼の言葉自身も言葉にとても気持ちがこもっていていいです。
友達から来た些細なスラックでのやりとりでしたが少し自分には刺さりました。日本にいたあの頃と比べて自分は今頑張れているのであろうか。そんな不安は続くのでした。
争いと海外に住むことについて
2月24日、突然ロシアがウクライナに侵攻しました。それは僕にとってはとても恐怖でした。それまではパレスチナで何が起こっても、シリアがどうなってもどこかテレビの向こう側の出来事と思っていました。だが留学に来てから、この世は本当に大きくてそしてつながっていることに気づきました。それは例え地球の裏側の出来事であっても、もしかしたら何か起こるかもしないって思うと自然と不安になるのです。自分や世界の脆さについてもどこか気づきを得た気がしました。(僕の政治的主張や政治的立場に関しては今回は触れないでください。)
でも結局二月はこんなコメントが印象的かもしれません。
そういえば2月に今のポートレートを取りました。ありがとう!彼のインスタも載せておきますね。
https://www.instagram.com/nagi_nh_photo/
3月
アカデミアと勉強
疲れた疲れたっていっていますが、実際勉強が一番忙しかったのが事実です。数学はそもそも微積に関してどのように英語で表現すればいいのかわからないことも多い中で授業に参加するなどしていたので、聞いた単語で調べたりすることが多かったことを思い出します。またわからないことも多いので、Khan Academyというまじで経済学部生徒はみんな使っているのではないかとおもう位の有名なyoutubeを見ていました。理系の学生はとてもおすすめです。
アカデミックに関しては、RAになるために大学の先生にCVをメールで送りつけるという行為もしていていました。そうしたら全員に断られたのですが、たまたまある先生になんとか他の案件につなげていただくことができました。(ただし返信が来たのはだいぶ先なので普通に諦めていたのは裏話です)行動し続けることの大切さに気づいた気がします。あとちなみにProf. Stefanoという行動経済学の大家にも連絡しましたが、URAP経由で申し込んでくれって断られちゃいました。URAPてのはおすすめなので下記に先ほども載せた記事を貼っておきます。
実際勉強がわからない時はOHに行くことに限ります。先生とも仲良くなれますし、わからないことがわかる楽しみに勝つ喜びはそうそうありませんしね。また並行して、日本の学生と経済学の勉強会もしていたのでそれも頑張っていました。その時に気づいたのが、数学の概念は英語の方がすっきりして分かりやすいということです。ただ僕はあまり翻訳して書類などを読むタイプではないので理解度が高いかどうかをきちんと測ったことはないですが。
3月の中旬に急に全ての時間が1時間早くなる謎現象が起こった瞬間の僕です。まじで体が慣れるまでめちゃ時間がかかるので本当に体にいいとは思いませんでした。でもなんか最近サマータイムについて議論があるみたいで、全部サマータイムに合わせるみたいな話を聞きました(なぜそっちやねん)。
視座について
もちろん自分のプロジェクト(Mitsubachi PJ、下記参照)はずっと続けていました。飲み会をしようと勉強をしようと、自分がしたいことをして死にたいと思っているので。そんな中でこんなことをふと思ったりしました。
つまり世界を見て考えようということですね、留学とはそんなふうに世界(アメリカ)の現実に自分達の理想を近づける過程なのかもしれないです。
自分のソサエティに流れてきた文章だったのですが、とても些細なことですが、感動をしました。人生で一度も学生起業でデビットカードを作ろうと思ったことはありませんでした。そういうふうにシリコンバレーは至る所にあると思うと、ここにいる価値は無限大だなって思いました。
誰もいないように見えるが、人が住んでいるそんな場所について
3月の一番大きな出来事はロードトリップでグレイトキャニオンなどに行ったことでした。この旅行はとても自分にとって気づきが多いもので、これだけでも文章が書ける内容だったのですが、それきちんと書くのはまた今度にしようと思います。ただ端的にいうと、”人が生きるのはなぜか”という問いにたどり着いたことです。下記の写真が僕らがロードトリップした道です。よくみると点々と家が見えます。自分があそこの住民だったとして本当に僕は移住をせずにすみ続けるのでしょうか?スクールバスがたまに通ると、現行の学校に通うという教育制度は彼らにとって最適なのでしょうか?
自分が普段、普通だと思っているようなことが当てはまらない環境にたどり着いた時、僕は自分がとても狭量で浅はかな人間だと思いました。便利さという簡単な言葉で人間が生きる意味を定義しすぎている気がしました。人が生きるのは便利に生きたいからではなくて、もっと違う点にあるんだな、と。生きる中で、人間の生きる可能性の広さについてそこはかとなく風景から感じたのでした。
4月
Co-founder 前川
4月の頭に、アメリカに来ていた自分のミツバチプロジェクトの前川さんと会いました。彼女は研究がまじで好きな人で、一緒に立ち上げをしているCo-fouderでもあります。彼女とは基本的にはSlackでしか話したことがなかったので、これが初めて会うことになりました。そして僕はZOOMの偉大さと共に、本当の人間性は会うことでしかわからないということを実感しました。彼女はZOOMでは正直何をしたいのかがきちんと僕には伝わっていなかった気がします。ただ、会ったことで、僕はその考えを改め、彼女の思慮の深さと想いの強さに心を動かされました。この人なら一生を共にできる、というような自信です。きっと彼女は僕にとってかけがえのない創業者になると確信しています。
海外で風邪をひくということ
とうとう疲れの皺寄せが来て体調をガチで崩しました。流石にやばくて親とかにも相談したりして、咳が止まらない痰がやばい喉やばいで本当に辛かったです。アメリカの大学は本当に課題の量がやばいので死ぬかと思いました。今思うとコロナだった気がするので、本当にごめんなさい。結局薬飲んだらなんとかなったので本当によかったです。みなさんも海外で風邪になっても焦らずにきちんと休んで薬を飲んでください。おすすめの薬を貼っておきます。
大麻について
カリフォルニアは大麻で有名だと思います。いわゆるWeedですね。実は4月某日にはうちの大学の広場を使ってWeedの煙で雲を作ろうという謎イベントがありました。その日は実は大麻解禁の日なのでそれをお祝いする、みたいな感じだって聞きました。アメリカというのは基本的に移民の国だからこそ、どれか一つの良い悪いがあるってよりかは、それぞれの集団の中で価値観が違うことを受け入れるということが求められる国な気がします。
Weedに対しては、正直合法だからこそ良くないとはいえないものの、臭いなっていう感想が何よりも来ます。ただ辛いことがそれで忘れられたりそれでがんばれている人を知っているからこそ、知識がなさすぎて僕はなんとも自分の意見が言い難いです。ただ僕はしないつもりですし、誰かが日本で吸っていたら絶対わかる自信があります。法律は守りましょう。
Asian, not Asian 〜出世感から見る西欧思想と中華思想について
中華文化と西欧文化、それ以外の人の価値観はわからないけれど、その二つを対比した出来事がありました。つまり何を重きにするか、西欧は”所属”、中華は”資格”に力点があるということ。
自分のキャリアについて
授業をとっている先生がめちゃすごい先生で、強くアカデミア興味が出てきていました。ただ、自分のアカデミックなこととしては研究分野が決まらずに悩んでいる時期でもありました。いろいろな先生とお話しする機会があったものの、それを決めるには自分の中で決定的なことが起きないでいました。そんな中でも、少なくとも取るべきリスクはわかっているようでした。
確かに、日本人として日本を盛り上げたいのなら、世界に出て戦うべきだということは自明である気がします。そんな悩みを抱えながらもがんばれたのは尊敬する先輩の存在でした。彼は同じ学部大学で、僕と同じようにBerkeleyに留学し、そしてシカゴ大学のRAをして、現在シカゴ大学のPh.Dに進学した人です。彼がいたからこそ、僕は彼のように頑張りたいと思えたのでした。やはり何かロールモデルがなあると、自分の中での能力発揮へとつながる必要条件になっているんだなって感じました。
5月
別れの季節
テストも終わり、寮を退寮しなければならず、下記のような感じになっていました。
本当に寂しくて、まだバークレーに残っている子たちと大谷選手を見に行ったらたまたま日米通算100号を打ったので嬉しかったです。これがなかったら本当に寂しかった。やっぱり海外で日本にルーツを持っている人が活躍しているのはとても嬉しいですし、自分も大谷選手や歩夢くんみたいになりたいと心底思いました。
今思うと人生とは思った以上に6ヶ月以内の刹那的なつながりが多い気がします。そこで会う人たちとの出会いを大切にして、相手との関係を素敵にできるようにしたいと心から思いました。
日本のジェンダーについて思うこと
ある日、たまたまオンラインで日本のイベントに参加して思ったことがありました。
元々自分は、日本にいた時からジェンダーについて少し疑問に思うことが日本にいて多かった方でした。そしてアメリカに来てから一層敏感になった気がしました。
自分の視座とDeSciについて
ある時たまたまWeb3の中の一つであるDeSciという面白い概念を知ってからというものの、僕はその概念の面白さと現状への希求感を強く感じました。簡単にいうと自立分散型科学という、今ままでの科学の問題点(論文雑誌や研究資金の問題)をブロックチェーンでどうやって解決しようというムーブメントです。この出会いが自分の中でWeb3に関して自分のしたいことが固まるきっかけとなり、嬉しかったです。具体的には後編、8月の”世界になにで戦う?”をご覧ください。
物価について
そんなこと言ってながらも、腹は減ってしまうので食を作るのですが、ベイエリアは狂乱物価なので寮を出て自炊している僕には重くのしかかりました。
もらったプロテインで生きれることがわかったのでプロテイン生活を始めました。ですがそれでも食費は高かったので、いくみなさんには覚悟してほしいです。
経済学と僕、そして世界情勢とアカデミアについて
そんな金欠の中でシカゴに上記の経済学部の先輩に会いに行きました。(4月"自分のキャリアについて"参照)彼は本当に僕が東北大学の知っている先輩として尊敬している人の1人で、おそらく経済学の知識は東北大学の卒業生1ではないかと思っています。
ノリでVlogを撮っていたのでぜひ見てください。結論から言うと、僕は二つのことを思いました。
泊まらせてくれた先輩やその友人の方々、特にAlinaとYixinはありがとう!
6月
いい文章だったのでぜひPh.Dや研究者を将来のプランとして考えている人はぜひ読んでください。
天才との付き合い方について
実はこの月に私が22歳になりました。そんなわけで頑張ろうと思いましたが普通に萎えるエピソードが起こりました。
バークレーでお話しさせていただいた鎌田先生の話です。普通に自分の才能のなさにキレそうになりました。ほんと自分は人の倍頑張らないといけないなって思いました。これは先生だけでなくて、バークレーの授業でも感じることは多かったです。なので、天才に出会った時の向き合い方についても考えが生まれました。
実際一つなのはご愛嬌ということで。まさに自分の視座と深さが自分の活躍に影響するのがわかりました。だからこそ自分のしたいことを注力し、なるべく大きな視点を持って頑張ることが大切だと確信しました。
Co-founder 永田くんと自分自身への解像度について
アカデミックな進路の不安を考えていることもありましたが、自分の起業家としての進路に対しても不安を感じていました。自分を振り返るとこのような洞察が出てきました。
よく自分が起業家としてのモチベーションとして経済学部だからという推測をされることが多いですが、アカデミアとしての経済学への興味はまたく社会システムへの変革の志向と異なることがあることを理解してもらえずよくイライラしているのですが、これはこの時期にもあったみたいです。
僕はそういうふうに自分の哲学をめちゃ大切にしているのでそれに関してもう1人のCo-founde永田くんと意見をぶつけることもありました。始まりは僕のこんな言葉。
そうすると永田くんは
彼のいうことは一理あるとは思います。ただ個人的には自分が取り組んでいる課題が日本規模でやることが横展開の可能性について議論が必要だと思っていて、研究の産業構造を考えても日本でやるということは言語の壁を閉じることになり僕としては今でも疑問ではあります。ただこれからもそれは議論していく予定です。彼とはこういう風に議論ができるからこそ一緒にやってこれたのだと思います。だからこそ永田くんにはいつも通り感謝を申し上げたいです。今回は、ちなみにもっと長く議論があったのですが、結局下記の結論に結局落ち着いた気がします。
僕のアメリカに行くことの意義は下記です。
視座の話だとは思うけど、その視座にいるべきなのかって言われたらそれは好みよなとは思っています。そして単純に日本という市場に対しても下記のような疑念がありました。
そして僕が好きなフレーズと自分なりに考えたフレーズを書き記していました。
永田くんのツイッター
ただ少し色々考えすぎてYoutubeを見て泣いてしまいました。単純に心が追い込まれていたんだと思います。みたのは下記のものです。
Consensus
この時期、私はConsensusという世界最大級のWeb3のエキスポに参加しました。
https://www.coindesk.com/consensus2022/speakers/
このイベントは実は学生でなければ20万近くするものだったのでとりあえず学生だし行ってみようという形で行ってみました。
Web3のテクノロジーやプロダクトもさることながら、彼らのエナジーに気圧されてしまいました。ここで勝負するのは夢があるし、僕らもバスに乗り遅れてはならないと確信しました。いかないとわからない景色を見せてくれる、これがアメリカの良いところの一部な気がしました。(まもちろんいろんな議論がありますけど下記みたいな)
また上場企業の社長兼創業者の方と話す機会があり、その方の話もとても参考になりました。というのも彼はWeb2創世記に検索エンジンを作っていた方で、Web3創世記である今を昔に準え、絶対にチャンスだと教えてくれました。正直僕にも真実は何にもわかりませんが、これをやらないのは絶対にダメだと確信しました。具体的には後編で直近で何をするのかお伝えする予定なのでぜひご覧ください。
このような中で、DeSciに関しては知れば知るほど自分のポジションはとても強いのではないかという気がしていたので下記のようなことを書き込んでいました。(若輩者の戯言ではあると思いますが、彼の考えを聞いていただけると幸いです)
周りについて
そんな中僕は自分を奮い立たせる動画に会いました。
これはラランドという芸人さんの片方のクズキャラ(よく言われてらっしゃるとは思います。)として有名ニシダさんがただただ更生するために作られた動画なのですが、下記のような感想を思いました。
動画ではニシダさんがクズすぎて周りに迷惑をかけていることを本人に伝えつつ、最後にニシダさんが尊敬する南海キャンディーズの山里さんが出てきて彼への期待と激励を行うというような流れでした。正直ニシダさんってマジでしょうもないっすよね。それでこんなに周りの人が支えてくれているのに、自分ってどんだけ人に大切にされていて応援されているのかと考えるとすごく自分にとって心震わされる瞬間にはなりました。今日から頑張りたいと思います。
また同年代で頑張っている人ともあったので同じようにぜひ頑張りたいと思ったこともありました。頑張る同年代はいつも自分をやる気にしてくれます。
前半の終わりにかえて
ということで、僕のうっすい人生の2022年の前半が終わりました。本当は例年通り一つの記事に終わらせる予定だったのですが、ちょっと多くなりました。それでは続いて後編をお読みいただけますと幸いです。
僕プロジェクトであるミツバチに関するURLは下記になります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
根本
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