noteを書くにあたって(少し真面目)
私がnoteを書くにあたり少し決めたことがある。(いつか破るかもしれないガバガバ約束ではあるが)
・Twitterで共有するものは面白いもの。軽く読めるもの
・真面目なものを書いてもいいが、Twitterには共有しない
いつか破るかもしれないガバガバ約束と言ったが、これを守れないなら私はなんなのだろうか…超ガバガバ小林…
まぁ、それは置いておいて。もし、Twitterでnoteを共有した時に「見てみよう!」と感じていただけた方がいたとして、その時にはきっと面白く軽い文章がいい。それがその方が求めている私の姿というものだと考える。
私が目指すは面白い文章。
ただそれだけ。されどそれだけ。
そこに情熱を燃やしたいと感じる。
こう言うと
「俺はぁ?面白い文章を書きたくないけどぉ?みんなが待ってるぅ?小林のイメージっつーうのはぁ?こういうもんだからぁ?仕方なくっつぅかぁ?」
というような、口をへの字にして話す、大変燗にさわる小林の姿が見えてきそうなものだが、違う。
私は単純に文章というものに憧れている。
だって文章だけで人を笑わせたり、考えさせたりというのは実にすごい。本当にすごい!
どんな表現でも当てはまるが、文章は私の苦手とする分野であるから尚更そう思う。
そんな憧れの気持ちと、ある理由で今回の約束をつけた。
インターネットの社会で最近よく見るのは、
自由に生きていこう!否定しないで生きよう!
自分の個性を大切にしよう!
というものである。
絶賛、正解中だ。
しかし、周りが持っている自らへのイメージになるというのも一つの手ではないだろうか。
私は「銀の匙 Silver spoon」という漫画で好きな言葉がある。
「自分に合った仕事に就くってのはもちろん格好いいけどさ、自分を仕事に合わせるってのもありだと思うんだ」by馬術部 大川進英
自分の好きなこと、したいことにしか目が向いていなかった私はついこの前までわがまま放題であった。
世界が自分に合っていないと考えるのではなく
世界に自分を合わせていく。
それはただ流されるというわけではない。自分がある信念を持って流れに乗っていく。
今回の私の場合では皆が私に持っているイメージというのが流れと言えるだろう。決して悪いイメージではないはずだ。うん、そうであって欲しい。お願いします、そうであってください。
もし、わたしの書いた文章でその流れを何倍も大きくすることができたのなら、この文章にも価値というものは出てくるのではないだろうか。
流れうんぬんかんぬんで偉そうに言ってきたが自分のキャラってのが今のところ一番居心地がいいだけであり、結論わがままのままなのでご安心を。
長くなってしまったが、最後に結論。
「誰も何も私に求めてはいない」
それを忘れてはいけない。
3つ目の約束としよう。