3DS
3DSが生産終了となった。3DSは私の青春そのものであり、数々の思い出が詰まっている。
今回は感謝の意を持ってその思い出をこのnoteに描こうと思う。
3DSとなるといつも思い出すのが「いつの間に交換日記」だ。
簡単にこのアプリを説明すると、1~4枚のページにイラストやメッセージ、写真、音声を貼ることができ、送信するフレンドも決めることができる。なので一人だけにメッセージを送ることもできるし、多くの友人に一斉に送ることもできる。スマホを持っていない当時小学5年生の私たちにとっては宝のような機能だった。
絵の得意な子は面白い4コマ漫画を書いてみせたり、突然「私、ピータンよ。アッハッハっハ」という謎の音声がきたこともあった。
メッセージのやりとりは小学校の友人だけだったが、だからこそ許される身内ネタやそこから醸し出される安心感というのは、今思うと格別なものに感じる。
特別で安心できる環境だったからこそ私たちはミスをしてしまったのかも知れない。
あの子の少し微笑んだ顔。寂しそうでいて清々しい瞳。あの後ろ姿。忘れることはできないだろう。
ことの発端は思春期男子の愉快な発想である。
3DSはインターネットを使うことができ、インターネットの画像を保存して「いつの間に交換日記」に貼ることができた。
みなさん想像してほしい。小学5年生の思春期真っ只中の男子がインターネットを使えるとするならば何を調べるか。
そう、"エッチぃもの"である。
検索フィルターをつけていたが、wifiだとなぜか抜けられたのだ。そこで私はエッチぃ画像を見つけ保存し、友人に送っていた。私だけではない、皆やっていた。ここが重要だ。「みなやっていた」
そして事件は起きる。
休み時間、みんなと校庭で遊んでいると、ある子が口を開いた。
ジャングルジムの中腹で青い空の向こうに虚しさを見つめながら。
「…俺、見つかったわ」
突然の発言に我々は理解ができない
「ほらあの〇〇の画像。親に見つかったわ。」
一瞬にして我々の頭には"あの〇〇の画像"が浮かぶ
私たちが言葉を失っていると
「俺もう3DS使えないから、そこんところよろしくな」
そう優しく彼は残し、去っていった。
一人歩いていく彼
その後ろ姿には、さながら死地へ赴く戦士のような威厳と覚悟が備わっていた。
私たちは敬礼をした。いや敬礼をせざるを得なかったのだ。
彼への謝罪と無事を祈り。いつまでもその後ろ姿を見送った。
今でもあの時のことを思い出すと彼の強さに感動をする。もうほとんどアルマゲドンである。
そしてあの交換日記の楽しさに感動する。今ではサービスも終わり見ることも使うこともできないが、私にとってあれは青春だった。
もちろん「いつの間に交換日記」だけでない。戦国無双やファンタジーライフ、モンハンやどうぶつの森。その全てが現実の生活と密接にくっついていて、世界を何倍にも広げてくれていた。
少し下品な話をしてしまったが3DSは私の青春である。ありがとう3DS