【認知メイキング】愛とは何か?イメージ利用を超えて本質を考える
愛という言葉は、スピリチュアル界ではよく聞かれるものの、その多くは表面的なイメージ利用に留まっているように感じます。
たとえば、『愛に包まれるイメージをしましょう』というアファメーションをした事がありますが、リーダーからは特に愛の本質に触れる説明はなく、単なるイメージによる一時的な気分の満たしに過ぎないと感じました。
私がスピリチュアル界に違和感を覚えるのは、これらの「愛」が単なる抽象的な概念や感覚として扱われているということ。そして、その本質や行動としての愛について、イマイチ的を得ないところです。
この記事では、愛という言葉を単なるイメージや感覚から、現実的かつ構造的にとらえ直し、その本質について深く考察していきます。
1.私が考える愛の定義
まずは、私が導き出した愛の定義についてお話ししたいと思います。
これは私自身の体験から導き出した、非常に現実的な愛です。
哲学的な愛においても、人間の多様性や複雑性を全面的に受け入れることは重要な要素になっていますが、多様性の全受容なんてあくまでも理想です。
愛を美化しないことは重要なポイントになると思っています。憎しみや恨み、全否定などの不完全さの中にも、その価値があると感じています。
2.愛の多様性と需要の視点
以上の私が考察した愛の定義をChat GPT4に聞いてもらおうと、思い切り話し合ってみました。愛の核心はどこにあるのか?どうしても知りたいと思いました。
▼愛には正解があるのか?
まず、愛には正解があるのかを聞いてみました。
Chat GPT4曰く、愛には正解がないということでした。愛は時代や文化、個人の価値観に大きく影響を受けるらしく、普遍的な答えを見つけるのは難しいようです。
▼相性という考え方
それでも現状、私は自身の愛の定義にはしっくりきていまして、「多様性を認める愛」というものが、精神的なラストエンドなんじゃないかと思っていました。悟りの最終地点というんでしょうか。これについてどう思うかを聞いてみました。
現代の「多様性を重視する価値観」と非常に相性が良いとのことですが、私はこの「相性」という点が引っ掛かり、更に突っ込んで質問してみました。
▼「需要」としての愛
相性と聞いた時、私は愛はどこまで行っても欠けた部分を補う需要的な考え方でしかないのかも知れないと思いました。
この考え方は一見生々しく感じられますが、不足を満たし調和をもたらすことって、ある意味「需要」であると思いました。
愛とは欠けている部分を補う精神や行動なのか?と聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
確かに自分が求めていることが満たされれば、それに愛を感じますよね。
愛を需要として捉えてみると、それはそれで現実的で実践的な解釈でもあると納得しました。
3.私の経験から導き出した自己愛という愛
Chat GPT4と話してたら、おや、そう言えば自分に向ける愛もあるじゃないかと思いました。ここで少し私のマイノリティの話をしたいと思います。
私はASDでHSPという特性を持ち、社会に適応することに苦しんできました。一般的な人と感覚が違い、自分を受け入れる事ができず、他者からの評価に振り回されてきました。
マジョリティに認めてもらえない苦しさは、頑張っても頑張っても埋められず、あるときポキッと心が折れてしまったんですね。しかし、自己愛を育むことで、自分の価値を認めることができ、穏やかな心を取り戻すことができました。
この経験から学んだことは、愛が「他者への行動」だけではなく、まずは自分自身を満たすことが重要だということでしたね。
4.愛の構造と優先順位
色々と愛というものを巡らせられたので、だんだん頭が柔軟になり、愛には決定的な正解がないということも理解できてきたように思います。ただ、思い返してみると、やはり愛にはいろんな形があると思うので、私が思う愛を洗い出してみたいと思います。
ただ、愛の構造を洗い出してみるだけではイメージが付きにくいと思ったので、自分なりに優先順位をつけてみました。
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