毒親育ちが消えたくなる瞬間。
今まで生きてきた中で消えていなくなりたい瞬間は数え切れないほどにある。
自分の存在がなかったように消えてしまえばいいのに。
そう最初に思ったのは本当に小さな頃だったと思う。
自分のせいで母は怒り狂い
自分のせいで父はいなくなり
自分のせいで祖母は母を腫れ物のように扱う
母の理不尽に従えない自分は悪い子なのだ
全て自分のせいだから誰も守ってくれない
自分のせいで家族は壊れてしまった
自分は誰かを不幸せにする存在
ずっとそう思っていた
母から逃げるためにトイレに鍵をかけて閉じ籠り、このまま消えて無くなりたいと思った。
自分には存在する価値なんてない。
誰の記憶からも何もかもが消えて、産まれてこなかったことにしたい。
このまま透明になって誰にも見えなくなってしまいたい。
産まれてきたことも、存在していることも、なにもかも消し去ってしまいたかった。
しにたい、ではなく、消えたい
もし自分と出会っていなかったら、この人はこんな感情になることもなかったはずだ。
嫌な思いをすることもなく、のほほんと暮らしていたかもしれない。
全ては自分が存在してしまっているがために起こったことなのだ。
自分はこの世に生きていていい人間じゃない。
生まれなければ良かった存在なんだ。
そう、ずっと思っていた。
この感覚は大人になった今でも時々やってくる。
特に、自分のせいで相手に不快な思いをさせてしまった時。
イライラさせてしまったり、落胆させてしまったりして、投げやりな態度を取られた時
相手が自分に負の感情を向けてる時
ああ、私なんていなければいいのに
消えちゃえばイイのにな
と思わずにはいられない。
小さな頃、毎日トイレの中で唱えていたのだから。
思考の癖というのはそう簡単に消えはしない。
私がほぼ毎日トイレに立てこもり、それを無理やり外に出そうと躍起になって鍵を開けようとする母との攻防によりドアノブは壊れてしまった。
逃げる場所を失った私は、心に高い壁を築き、母に反撃をするようになった。
結局あの頃から、何も変わっていないのだ。
私もあの人も。
ただ大人になっても思うことは
誰もこんな悲しい感情を持って生きる必要なんてないということ。
子どもにこんな事を思わせるような、酷なことをしていいはずがないということ。
毒親関連の勉強をしていると、最終的には執着を手放せと言う人がいる。
一体どうやったら手放せるのだろうか。
忘れたと思える日もあるけれど
ふとした瞬間顔を出す。
縁を切ってもいなくならない。
毒親という呪い。
誰かの人生を食い潰して生きるって
どんな気持ちなんだろうか。
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