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【バトンリレー企画】#心に残るエピソードをあなたへ
美しいイラストと画力がピカイチの漫画家kazeさんから、このバトンリレーのお誘いを受けました。
私は素人でマンガを描いていますが、kazeさんのようなプロの漫画家さんとnoteを通してお知り合いなれました。おまけに同郷、北海道出身の方だったなんて!
では 私の ”心に残るあのエピソード” を紹介します。
私の言葉の壁体験
ニュージーランドに移住して23年経ちました。
海外に暮らす場合、誰にとっても多かれ少なかれ言葉の問題は避けて通れないでしょう。正直私の英語の能力は、多分中学レベルでしたから、普段の何気ない生活の中でも不自由を感じることが多くありました。
移住の前に 英会話のレッスンを受けたり、自分で勉強したりしていましたが、そんな付け焼刃でスムーズな英語の対応ができるようになるはずもありません。
そんなレベルの英語力でしたから、
たとえば子どもの欠席を連絡するために、電話ではなくFAXを使ってていました。
電話で話すよりは 書いた方が正確に伝わるからです。
いかにも日本人的な英語力の偏りといえるかもしれませんね。
今ならメール一本? ちゃちゃっとテキスト一本で済むこと。
それにいろんな翻訳機能アプリもありますし。
当時はまだパソコンも一部の人たちのものでしたし、
私の持っていた携帯は最安値一万円くらいの トランシーバーのような
いかつい形のもので、テキスト機能はありませんでした。
その程度の英語力しかないにもかかわらず、息子達のことに関しては ほとんど私が対処しなければなりません。夫は仕事がありますし。
私の子どもたちが通っていたのはオークランドのシュタイナー学校。
そこはいつでも資金繰りが大変な私立学校でした。
子どもたちに必要な物は手作りしたり、親が資金を集めるためにバザーを頻繁に行ったりしていました。
学校行事も多く、小学生の時は遠足のようなことが毎週行われたりして、そのたびに親は車を出すのです。
そんな状況の中で、わたしの実践的英語力が鍛えられた、と言いたいところですが。
実のところ、私の英語力は その要求を全く満たしていませんでした。
言いたいこと、言わなければいけないことを思い通りに言えない。そんなストレスに絶えずさらされていました。
もちろん先生方やほとんどの父兄は、温かく親切に対応してくださいましたから、当時を思い出すと本当に感謝です。
しかし、中には厳しい言葉をかける人もいました。
あるドイツ人の母親は、私にこう言いました。
”なぜ、韓国人や日本人は英語の上達が遅いのか? 努力が足りないのではないか。”
彼女は彼女なりに英語の習得に努力していたからこそ、こう言ったのでしょう。彼女にとっても英語は第二言語ですから。
だが、しかし、、
ドイツ人が英語を習得するのと、アジア人が英語を学ぶのはかなり違うんじゃない? 日本人も韓国人もアルファベットを使わないし、語順も違うし。
と、反論できるだけの英語力もなく、
”そうね~” とごまかし笑いをする情けなさと悔しさ。
そして、よく聞かれたのは
”わかりましたか?”
私の言ってること、理解できた? この英語わかる?という意味で。
そう聞かれて、わからない時は
”もう一度言ってくれる?” と聞き返さなければならないし、
ある程度理解している時は、これこれこういう風に私は理解したのだと、
これまた面倒くさい説明をしなければならない。
そういうやり取りに辟易しながらも、必要に迫られて父兄とのやり取りをしていました。
そんなある日、息子達が同級生の家に遊びに行った時のこと。
たまたまそのお友達のおばあちゃんが子供たちの世話をしていました。
私が息子達を迎えに行った時に、そのおばあちゃんと簡単な会話をしました。いつもほかの友達の家で母親と話しをするように。
そして、これもまたいつものように 私は全ての会話を正確に理解することができず、多分それが私の表情に出たのでしょう。
彼女が何か言った時、私はとっさに
”わかりましたか?” と聞かれたのだと思いました。
”いいえ、違うのよ” と彼女は真顔で言いました。
”私はあなたの言うことを理解しているかしら?”
私は耳を疑いました。
彼女は私の英語力が拙いことを全く問題にしていなかったのです。
自分の言っている事が相手に伝わったかどうかではなくて、
ただ、自分が相手を理解しているかどうか。
つまり、自分が相手に理解してもらおうというのではなく、
自分はあなたを理解したいのだという意志。
こんな優しい言葉があるのかと。
この一言で、英語が通じなくて悔しい思いをした出来事が洗い流されるような気がしました。
心に残るエピソードとして、すぐに浮かんだのが
この彼女の言葉でした。
”私、あなたのことを理解しているかしら?”
という 謙虚で真摯な言葉、
相手の存在を尊重する気持ち。
自分が出会う人に対して
さりげない、優しい言葉をかけられる。
そんな人になれたらと、二十年以上たった今でも そう思います。
この企画をされたチェンナーさん、ありがとうございます。
いいチャンスを与えてくれて。
この企画の期限があと二日。
このバトンは、チェーンナーさんにお返しします。