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100日後にワニが死ななくても僕たちはいつも死を意識している

僕は作品自体は全く見ていなかったが、ふと見たインタビューで、100日後に死ぬワニの作者のきくちゆうきさんが、その作品で死生観に触れ、『どんな人間にもいつ訪れるかわからない終わり』を語っていた。本当に1ミリも見ることがなかったなあとしみじみ思ったりもする。
興味がないというのも働く業界的にはよろしくないなとは思ってます…

歳を重ねると、それが自分のものにしろ、親にしろ、他人にしろ、死というものを意識する時が必ずくると思う。より身近なものになるのもまた揺るぎない事実だった。
僕には今のところ2回、ソレを強く意識した時がある。

これを文字にして書いてみようと思ったのは、たぶん毎日のように流れる新型コロナによる死亡者についてのメディアの報道に少し心が疲れ、ずっとテレビで見てきた志村けんさんの死に少し気持ちが揺れ、そして一年に一回、毎年必ず届くSNSからのある通知を目にしたからだと思う。
在宅ワークによって家の中でじっとしていることに磨耗し、何か、自分の内に溜まってしまったモノを吐き出したくなってしまったのかもしれない。

僕は大学時代ずっとカラオケ屋の深夜アルバイトをしていた。
週4日深夜アルバイトをし、週2日サークルの活動に行き、週1日は何もしなかった。
バイト明けにはそのまま大学に行き睡眠時間を大学の授業で補い。暇があれば友人と遊ぶ。親に学費を出してもらって僕が学んだのは、お酒の飲み方と、お金がない時の時間の使い方と、同棲している彼女と別れて住む家がなくなっても雨風を凌いで一晩過ごせる場所はどこかということだった。
リアルホームレスだったのはあの時だけだと思う(また今度そのあたりは書きたいと思う)

そんなアルバイト生活で、もちろん仲の良かった友人もでき、大学以外にも交友を広げ、時間があれば遊んだりお酒を酌み交わしたりすることも増えた。
その中で一人、大学は違うが偶然家も近く、よくつるんでいた友人がいた。
友人なんて言うとイジられキャラで調子乗りの彼は『え?俺友達?友達でいいん?』なんて言いそうで、考えると少し笑ってしまう。ビンタしてしまいそうだ。
アルバイトの休みがかぶると家でゲームをしたりカラオケに行ったり、数人で日帰り温泉旅行に行ったこともあった。

そんな友人とも、時が経ち、アルバイトを辞め、大学を卒業すると自然と距離ができ、以前書いた通り多分に漏れず疎遠になったし、彼に関しては少し音信不通のような状態になった。
噂で地元の熊本に帰ったんだということだけはなんとなく伝え聞いていた。

彼のことも頭のどこか片隅にはあるが、ほとんど思い出さなくなった6年前、SNSのDMで突然、彼から連絡がきた。

『元気しとる?』

僕は何も考えずに彼だと知っていながら『いや元気だけど、誰?』と返した。
それにツッコミがはいり、空いた時間なんてないかのような、以前のようなふざけたやりとりが始まり、その中で、お互いの近況やふざけた話を交わした。
そして、そのふざけた話の延長みたいな、あまりにも自然な流れで彼は僕に癌で入院していることを告げた。その時彼は確か29歳だったと思う。

あまりにも明るく言うので、僕は深く考えることなく、どんな病状なのか、どんな治療をしているのか、色々と尋ねた。
彼も質問に全て答え『ずっと腹痛が続きおかしいと思って病院に行ったら発覚した』こと、『小腸にできた癌で薬で治るらしい』こと、『健康診断の重要性』を僕に語り、『お見舞いにでもきてよ、友達なら』『いや熊本行けるかよ、あと友達じゃないけど』『いや友達やろ!』という会話が続いた。
しばらくして、僕の送った『その後調子どう?』というDMを最後に彼からの返信はなくなった。

彼は一つだけ大きな嘘を僕についていた。

それから半年後、僕のSNSに知らない人からのDMが届いた。
僕は仕事中で、そのDMを開いて少し読んでからトイレに行き個室に入った。

そのDMは彼の地元の友人を名乗る人からのもので、『2ヵ月前に彼が亡くなっていたこと』『お通夜、お葬式がしめやかにおこなわれたこと』『近々彼の形見分けがあること』『東京にいた頃の彼のことがわからず、親しくしていた人間もわからないためSNS上でやり取りの多かった僕にDMをくれたこと』が丁寧に綴られていた。
僕はその後その人に返事をし、その日の残りの仕事をいつも通りこなしたが、その日のことはあまり思い出せなくなってしまった。

彼の地元の友人とDMをやりとりしていてわかったのは、彼が僕に久しぶりに連絡してきた頃にはすでに病院で末期の膵臓癌で先が短いと診断されていたことだった。
彼の地元の友人は『気丈に振舞っていたんだと思います』と言った。丁寧な返信を心掛けながら僕は『気丈?あのバカが?そんなわけあるか!』と思っていた。
それ以外は彼が僕に説明した通りで、彼は、一番大事なところだけを嘘で覆っていた。
『訳のわからん気の使い方をするな』と思った。

いつか、熊本旅行ついでに彼の墓参りにでも行こう、そう思いながらも行けることなく毎日に忙殺されている。いや、本当は行こうと思えばいつでも行けるのかもしれない。
でも、僕が元気なうちにいつか行ってみたいと思っている。墓の前で悪態でもついてやろうと思うのだ。

彼が亡くなり、癌家系で育った僕は、がん保険に加入し、毎年の健康診断にしっかりと行き、バリウムと胃カメラの辛さにキレ散らかしている。

彼の死から5年以上経つが、毎年4月になると、SNSがメッセージを自動送信してくる。彼の誕生日だと告げるのだ。
アカウントが、サービスが止まらない限り届くメッセージは、残酷なようでいて、暖かくもあり、これが続くことを考えると、少しSFみたいだなと思う。

毎年メッセージが届くと思うのだ、僕は、僕たちは、いつだって死を意識している、死を意識していく。
それは、例えば100日後にワニが死ななくたって、意識し続けていくんだと。

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