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城主とくノ一
「殿。甲ノ国城塞の地図にござります」
と脇息にもたれた私の前に巻物が広げられる。
戦国の世というくらいなのだから、城主個人の事情がどうとかよりも自分の領地の安全を考えろと思うのに、女城主、女城主と内外うるさい。まあ比較的イレギュラーな例なんだから気になるのは百歩か千歩か万歩譲って仕方がないとして、それをとりわけ誇張して、それがもとで相手を見くびってしまうのを見るともう救いようがないな、と思う。領内の人々が言うなら、軽蔑で済むが、これが敵国となるといよいよ救いようがない。大名を名乗るくらいだったら、体面だけでも取り繕ってくれてもいいというのに。地図から窺える城塞の警備体制からして、そういう品位を欠いたガバガバな性格が目に見えている。これだったら、攻め込むのをひと月早めても勝てそうかな、と思ってしまった。
実際にそう命を下そうとしたその時、微かな物音がして、聞こえたと思う方向にそれとなく目を遣ると、天井板の一枚が僅かにずれている。
目が合った。
次の瞬間<曲者一突き棒Bタイプ(特許申請中)>が板を貫く。
私は棒を引き抜き、どこまで話が聞かれたのかを頭の中で整理しながら、家臣に城内を捜索するよう指示を出す。
城中をひっくり返してみたが、間者の姿は見当たらない。「ご乱心なさられた」とつけこまれても困るので、<曲者一突き棒Bタイプ(Cタイプは鋭意開発中)>が捉えた布きれの分析と鑑定はしっかりとやった。材質上、ここらで流れているものとは若干の違いが認められたため、私の疑いは晴れ、警備体制のさらなる強化が決定された。
それから一週間後の夜。
湯浴みを済ませて床に着く。今日は大変だった。領内のはずれで反乱の動きがあるという知らせが入り、首謀者を目指して捜査の糸を辿っていくと、去年そこそこいい位を与えた家臣に行き当たってしまった。戦ではかなり頑張っていて位をもらって嬉しがっていたにもかかわらずだ。一瞬ぱっと輝いたあの顔は嘘で、裏では着々と国盗りの画策をしていたのだろうか。
証拠は十分過ぎるほど出揃い、家臣自身も罪を認めた。さすがに「くるしゅうない」と殿様スマイルを提供するわけにもいかず、「とりあえずお腹切ろか」ということにして、今頃あの笑顔を浮かべていた首は塩漬けになって蔵に保管されていると思う。
「下剋上か」
と思わず独り言が出る。小さかった頃は下剋上とか戦国の世と聞けば、ありったけの夢を搔き集めた武士たちがそれぞれの仲間と共に絢爛たる戦場を駆け抜ける冒険ロマンが頭の中に満ち満ちたものだったけれど、管理職となった今だとその妄想を抱くことすら難しくなってきている。
命に関わる雑務。そう言っていいんだろうか、それを毎日こなしている感じがある。責任がある、国の未来を左右する、本気で取り組む必要がある、そこそこやりがいもある。でも雑務は雑務だ。合戦も築城も貿易も、やっている時は確かに生きてると感じるのに、振り返ってみれば、途端に「雑務」という文字が絢爛に見えた出来事全てを塗り固め、押しつぶし、蕎麦粉をこねたようなあやふやななにかにしてしまう。年を重ねる毎にそのまとまりのなさが大きくなっているように感じる。
そういうことを考えていると冷たいものが目の端を伝って流れ落ちてきて、「このままでいいのかなあ、私」と天井に話しかけるともなしに呟くのと天井板がずれるのが同時で、<曲者一突き棒Cタイプ(現在試作段階)>がずれた板を貫いた時には、ぽろぽろと冷たいものが止まらなくなっている。
恐らく同一人物だと思う。そしてこれも恐らくだけど、間者はくノ一だ。
綺麗な瞳だった。
最近触る機会が減ったとはいえ、剣術は管理者の必須教養として叩き込まれていた。刀を振ることよりも相手の身ぶりの読み方に重点が置かれていたことを覚えている。一撃の破壊力を上げるよりも、次の瞬間相手が刀でどういう軌跡を描くのかを予想することの方がよっぽど実践的、という教育方針だった。とりわけ読解ポイントとして重視されたのは瞳だ。
「視線を概念と思わず、質量を備えた『もの』と思え」と今は亡き爺は言っていた。
爺の言っていたことは正直意味が分からなかったが、「瞳は人の内面が一番現れるところだから気をつけろ」くらいの意味だったのだろう。相手が戦場にどのような絵を描こうとしているか、瞳を通じて相手の頭蓋の裏側に分け入り、そこで描かれていた絵を先取りせよ、と。
「裏側か」
疲れているのか今夜は独り言が多い。
謀反を画策していたあの家臣も頭蓋の裏側では自分の国が出来上がっていく絵を描いていたのだろうか。いや、私の疑問はそういうところにはない気がする。この途方もない、気の遠くなるような感覚を引き起こす、この疑問の核は、そうやって人間の「裏」といわれるものを推測することのできなさにあるような、そんな気がするのだ。
警備は強化されているはずなのだが、その都度くノ一は天井板をずらし、その都度私と彼女の間で視線の交換が生じ、その都度任意のタイプの<曲者一突き棒(オプションパーツも豊富)>で突き破られた板を張り替えさせる必要が生じた。補修の痕が天井に対角線を引いているのを見て、「ビンゴじゃん」「ビンゴだ」と言っている家臣の姿を何度みかけたか知らない。すぐ対処してはいるものの漏れるものは漏れているだろうということで戦の開始を先送りせざるをえなかった。
毛髪の幅よりも短い瞬間ではあるが、私とくノ一との視線の交換はいつしか会話のようなものになりつつあった。この段階になると、潜入がない時でも天井裏に彼女がいるような気がして、それが苦痛というよりもどこか安心感を持った感情を引き立てるまでになった。もちろん、敵に同情を抱くのはご法度なので、<曲者一突き棒(一家に一本)>の改造は怠らず、私とくノ一が「会話」する時間は回を追うごとに短くなっていったが、それと比例して私とくノ一の視線はより豊富な意味を含んで相手に投げかけるようになっていった。
それは「あなたのことが知りたい」という、戦術的な意味とは別の、いやそれとは完全に切り離すことはできないが、そういう心境とはややずれた感情を乗せていた。
くノ一の潜入があってから、天井裏が実際よりも大きな広がりを持った空間として意識されるようになってきていた。
ふと前の繁忙期のことを思い出す。
戦の立て込んでいた時、獲られた首級を開頭させ、中身を確かめていた時期がある。将軍の首となると丁重に扱わなくてはならないため、手を引かざるをえなかったが、雑兵のはいじってもあまり咎められなかったため、暇を見て手をかけていた。
いつから始めたことなのかは分からない。爺による稽古は一通り終わっていたと思う。「殿は変わった趣味を持っておられる」と周囲が囁いているのが分かり、自分でもそう思っていたが、止められなかった。また繁忙期になったら始めるという予感がある。
止められなかった理由は、期待と失望が交互に訪れていたからのような気がする。どの人間の頭蓋を開いても白子のような塊があるばかりで、「裏」といえるようなものはなかった。そしてそこで訪れる失望は、兵が生きていた時に浮かべた生き生きとした表情に抱く期待とセットだった。こいつには「裏」があるはずという期待。白子を見た時の失望。交互に訪れる感情は、南蛮由来の砂糖菓子のような依存性を持って私にその営みを続けさせていた。
たまらず暇な時に家臣に聞いてみた時期もあった。「身分の低い人間だから」と答える者もいたし、「殿のいう『裏』は森羅万象が持っているものなのですよ」とはぐらかす者もいた。「死者の首ばかり見ているから見つけられないのです」と答えた罪人は実際に生きたまま開いてみたが結果は死者のそれと同じで、「からくり人形を想像してみてください。個々の部品に分解してみれば人形は人形といえませんが、それらがある配置に噛み合うことによってからくり人形が成り立っている。人形のどこに人形を動かしている『裏』があるのか、という質問はここでは意味を持ちません。からくりを動かしているのはそのからくりの構造全体なのですから。人間を肉でできたからくり人形のようなものと捉えれば、同じような回答が当てはまるのではないですかな」と答えた者は面白く、もっと話を聞いてみたかったが、他ならぬその持論に従って城下の住民をからくり人形にする謀反を企んでいたことが発覚したため、死罪にするほかなかった。書庫に保管されていた資料は今も時々読んでいる。ここまで「裏」というものが見つけられないと、「裏」という言葉がどこか宙に吊られたような感じになって、本当に現実に「裏」というものはあるのかしら、と妙な気分になってくる。
現実の裏のなさ。これは絶対的な閉塞とも言い換えられて、これに直面した時の気分は自分のやってきたことが「雑務」に塗りつぶされている時に感じる気分とよく似ている。
「裏」が実在しないものだとすれば、何が私にそういう夢を見せているのか。何が私をこうも掻きむしるのか。
瞳。
もしかすると他ならぬ瞳自体が人間の裏側といわれるものを作り出しているのかもしれない。いや、瞳の存在とそれを読み取る人間の頭が、というべきか。
合戦の時期が迫っていた。
ものものしい雰囲気が城内に漂う中、湯浴みを終えて床に入る。頭の中で戦場を再現し、色々な変数に操作を加えてこういう時にはどう動くかとイメージトレーニングしていると、音がして天井板の一つがずれる。すかさず<曲者一突き棒(附属のクイズに答えて豪華景品を当てよう)>を手に取って板を刺突するが、いつもと比べて捉えた布地が多い。棒の性能が上がったと考えることもできるが、回避行動を取る前に何かをやった可能性がある。周りを見回すと果たして、枕のど真ん中にそれは刺さっていた。恐らく本気だったのだろう。綺麗に湾曲した刃先からは凝縮された殺気が伝わってくる。しかし、その殺気をかき分けてみると別の感情も織り込まれていることが分かる。
手裏剣の刃の一つに紙が巻き付けられてある。
細工が施されていることにくれぐれも注意しながら開いてみる。
戦、がんばって。こっちもがんばるから。
「……ばか」と言って私は手裏剣を握りしめる。
*
戦は情報が漏れていたこともあり、難航する場面もあったが、概ね当初描いていた計画通りに進行し、終了した。
「殿、手柄にござります」
家臣の一人が黒ずくめの人間を引き立ててくる。うなだれた首に家臣が手をかけてこちらを向かせる。瞳から彼女だとすぐに分かった。続いて彼女の頭を覆っていた布が剥ぎ取られ、端正な顔が露わになる。
戦が難航する原因を作ったのだから、普通だったら命はないだろう。しかし、こちらの警備を何度もかいくぐるくらいなのだから相当の手練れといえ、このまま殺すのは惜しいとも思う。上手く丸め込めば優秀な間者として働いてくれるだろう。さてどうするか、と思っていると、
「ふ」
とくノ一の顔に微かな笑いが浮び、石を砕くような音がしたかと思うと、表情がみるみる青ざめていく。
その場にいた家臣総出で蘇生を試みたものの、くノ一が冷たくなっていくのは止められなかった。
「歯に仕掛けられた丸薬ですな」と鑑識からは聞かされた。
「お開きになさいますか」
終わらせるという意味ではなく、私の習慣を気遣った発言だった。
「ああ」
と答えたあと、しばらく考えて、
「だが、中身がどうだったかは言わないでくれ。あと……そうだな、開いたあとの処置についてなのだが」
と鑑識に相談を持ち掛ける。
*
澄んだ水面に、傍らに立てた蝋燭の灯が浮かび、揺れている。水面とそこに映じる火は宴の賑わいを受けて二重の揺れを見せる。
私は灯もろとも呑み込むように器に口をつけ、甘苦い液体を喉に送る。器は武骨な作りで飲みにくい。飲み口に歯を立てるとかちりとした感触が返ってくる。
飲み干したあと、器をひっくり返してその造型をしばらく鑑賞することにする。
洞穴のような二つの眼窩。絶妙なバランスで鼻腔に張り渡された鋤骨。玉蜀黍のように並んだ歯。
造型を損なわないよう穴は塞がれているので、他のしゃれこうべと並べても区別はつかない。
眼窩の湛える暗闇は、私の視線を呑み込むばかりで床や会議の途中で交わしたような返事は寄越してこない。
再び裏返して酒に湿った底を見つめる。
生きている時、あなたはここにどのような絵を描いていたのだろう。あの瞳がその存在を示してくれたような裏。そこを私が見た時には既に表になってしまう裏。現実に描かれることになる絵が、予め描かれてあるという、布地や紙としての裏。
器を再びひっくり返し、私はいつまでも膨らみ続け決して裏づけられることのない期待を胸に抱きながら宴の中に溶け込んでいく。
完