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なんとなく働いてなんとなく生きてるのは甘え。今すぐ真剣に遊べ!

How To ぽいタイトルで、How To ぽいこと書くことに憧れることはあるが、私は特に学があるわけでもなく、人生経験も浅いので、説得力のある情報源を引用して、説得力のあることを書くことはできない。なので、今から書くことはあくまで私の経験のみから導き出されたポエムというかエッセイのようなものとして読んで欲しい。

ありがちな命題として、「人はお金があれば幸せになれるものなのか?」という問いに対して、答えはたいていNoである。ただ、ここで、お金でないのであれば、どうすれば幸せになれるのかという問いに対しては、明確な答えはない。では、どうしよう?

多分ここから自分探しとかが始まるのではないだろうか?

うっ、おぇえええええええええええええええええええええええええ

自分探しとやらはしんどそうなので、やめておいた方が良さそうである。

ここで、幸せというものをもう少し俗っぽいものから考えよう。

例えば、私は幼少の頃からゲームがとても好きで、一日中ゲームをしていたものである。親からは煙たがられ、中毒と罵られ、人間性をよく否定される事柄としてよくゲームは取り上げられたものだ。つい最近でも、兄からアニメやゲームをする人間はオタクで社会不適合者で女性から気持ち悪がられるというような時代錯誤な悪口を言われたものである。しかしながら、それだけ罵られようとやめることなく、頑なにゲームに熱中するのはなぜかということを真剣に考え始めたのは物心ついてからである。年のせいか、最近では昔のようにそこまで熱中してゲームをすることはなくなってしまったのだが、まあ、それは置いておくとしよう。

幸せを享受するにはどうすればいいかということとゲームに熱中するということは、案外強い因果関係があるのではないかと私は思っている。例えば、ゲームが楽しいのは、RPGなどで言えば、ボスを倒したときや、ゲームをクリアしたときの達成感にあるのではないかという論があるが、私はこれには懐疑的である。私の場合、ボスを倒したときや、ゲームをクリアした後に待っているのは達成感ではなく、得も言われぬ虚無感であったからだ。であるならば、ゲームが本当に面白いと感じるのは、いつなのか。次に考え付くのはプロセスである。強いボスが倒せないという絶望的な状況から、レベルを上げ、強くなり、いずれボスを倒すというこの一連のストーリーを追うことに面白さを感じるのだろうか。でも、案外このレベル上げほど虚無なものはないと私は感じるのだ。人によってはこのレベル上げが楽しいと思う人もいるとは思うのだが、私はそこに楽しみは感じられなかったのだ。

となると、私はゲームに対してどこに面白みを感じていたのか。結論から言うと、私の場合は、強い敵に対して勝つ方法を想像して考えること。この一点に強烈な面白みを感じていたということがわかった。実際その方策を考えた後に、策が軌道に乗って、上手く行き始めた頃にはそのゲームに飽きて積んでしまう。

なんとなく働いてなんとなく生きるのは甘えと言っているのは、金を稼げとか大成功をしろとかそういうことを結論として言いたいわけではない。金を稼ぐことが必ずしも幸せに繋がるわけではないのだが、それなりの収入でそれなりの生活をしていればそれが幸せなのかと考えたときに、なんだかそれも退屈なような気がするのだ。

遊びそのものを真剣に考えたことはあるだろうか? 

楽しいこととか幸せを感じることというものがまあ、遊びだけではないのかもしれないが、遊びを真剣に考えるということは、自身が幸せになれるケースの一例として自身の心の構造を知るきっかけになるのではないかと私は思うのだ。

さあ、今すぐ遊べ、しかも、真剣にだ。

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