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noteを始めた理由

文章を書くことについて

文章を書くことにまつわる創作活動は、学生時代にもやっていたことはありました。大学生の頃は文芸部に入ったり、ブログを書いてみたりしたことはありました。私は昔、漢字を覚えるなど暗記が非常に苦手で、国語の成績は非常に悪かったのですが、弱点を克服しようと小説を読む習慣をつけることで、活字を読む練習をしておりました。その時読んでいたのは乙一先生の『GOTH』というミステリ小説や、水野良先生のロードス島戦記や、筒井康隆先生の『時をかける少女』などを読んでおりました。特に乙一先生の小説は、読みやすい文章ですので、おすすめです。ちょっと怖い話が苦手な人は注意が必要ですが…………。

その頃は小説を読むことにも熱中しておりましたが、私も小説を書いてみたいという願望もありました。それがきっかけで文芸部に入ってみたのですが、文章を読むのと、文章を書くのは、全然次元が違うことだということを、痛感しました。その頃アニメで、京都アニメーションの涼宮ハルヒの憂鬱が大流行しており、大学で涼宮ハルヒの憂鬱のエンディング『ハレ晴レユカイ』のダンスを大学の公邸内で踊る連中がいるという噂を聞くくらいに流行っていたことを鮮明に覚えています。

文章力のなさに絶望したこと

何も考えずに文章をただ生成するだけの作業はできるようになったのですが、論理的に読みやすい文章を書けるようには、なかなかなれないことに苦悩していたことを鮮明に覚えております。そもそも、自身が言葉を知らなすぎるということに気づき、頭の中に浮かんでいる情景を言葉に落とし、誤解なく他人に伝えるということの難しさは、今も感じますが、昔はもっと感じておりました。

さらに言えば、文章に落とせるだけのネタというか経験というようなものが私には少なく、何も思い浮かばず、パソコンの前にずっと座って、考え込むことが多かった気がします。

最終的には、私に文才はないのだと諦め、文章を書くことをやめました。

今なぜnoteを始めたか

私はどちらかといえばネガティブな性格をしているのですが、昔はこれが特に酷く、文章を書くたびに、自分はなんて恥ずかしいものを書いているのかと絶望したものですが、私も多少は大人になったようで、あまり小さなことは気にならなくなってきたので、twitterなどを利用して、自身が思っていることをつぶやきまくってはおりました。まだまだ経験の浅い若造ですが、つれずれなるままに今思っていること書きなぐることをどこかでしたいと、思っていたわけです。とあるコンカフェのキャストの女の子がnoteを始めたということを言っており、その時は「へぇ、そうなんだ~」くらいに思っていた程度だったのですが、ふとした瞬間に、あ、私もやろうと思い、今に至るというわけです。

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