タイトルは……『最高のスマイル』
・風がそよぐ場所に僕らは生まれて この涙さえ吹き飛ばせるよ 青い空高く
2022年2月5日、今日この日は一部の人、そして自分にとって記念すべき日である。その日とはそう……
プリキュアシリーズ9作目『スマイルプリキュア!』が放送開始した2012年2月5日、それからちょうど10周年を迎えたその日である!
10年!そうか10年……もう10年経ったの!?なんかスマプリって最近やってたイメージある人はそこそこいるかもしれないが、実のところはもう10年経ってる。あの頃見てたメイン視聴ターゲット層の女児のみなさんは既に中学や高校生、中には成人を迎えた人も…10年という月日はそういうものである。
そんな10年前の作品であるスマイルプリキュアだが当時見てた人はけっこういるのではないだろうか。それこそ前作『スイートプリキュア♪』以前から毎年プリキュアシリーズ見てる方々だけでなく、ネット等で話題になっていたがキッカケでスマプリを見始めた人もそこそこの数を見受けられた。本当に当時はものすごい勢いのようなものを肌で感じたものだ。かくいう自分もその一人だ。
そして……スマイルプリキュアを見たのがキッカケで今現在においても以降のプリキュアシリーズを見続けてる人もいるだろう。自分もその一人だ。だがしかしそれ以上に以降のプリキュアは別に見てないって人もいると思われる。それこそこの記事を「うわぁ見てたな懐かしい〜」と覗いてる人もたぶんいると思う。
別にスマプリ単品を見ていてプリキュアシリーズを追ってないからといって悪いと責めるつもりないというかそんなんやったら傲慢にも程がある(むしろ自分みたいにわざわざ日曜朝早く起きて子ども向けアニメを10年以上も継続して見続けてる方が特殊のような気がする)移行するのも已む無しな他にも夢中になれるコンテンツはいっぱいあるんだし、なにより10年も月日が流れてるんだし日曜朝からアニメ見るのも大変な生活になってしまった人も大勢いると思う。リア友もそうなってしまった。こればかりは仕方ない……仕方ないことなのだ。
………しかし、だからこそ、この10年経った今こそ『スマイルプリキュア!』という作品を思い出してほしいのだ。なぜこの10年という節目が大切なのか、それは……スマイルプリキュアには本編の後日談である、本編から10年後…24歳になったプリキュア達を書いた続編の小説があるのを御存知だろうか。
この後日談といえる小説、読んだ人には分かると思うが「当時スマイルプリキュアを見てた人にこそ(それこそ上で挙げた今現在プリキュアシリーズ見てない人には特に)読んでほしい物語」になっている。リンク先の商品説明でも既にただでは済まないような不穏な雰囲気を醸し出しており「スマプリってこんな暗くて世知辛い作品だっけ?」と思う人もいるかもしれないが、読んだ私から言わせてもらえば「まさにその通り本編もこんな感じです」と言わざるをえない。そうなの!?と驚くかもしれないがそうなんだよ。
だからこそなのだ。この10周年という小説版の舞台に現実が到達してしまった今日この日こそ『スマイルプリキュア!』という作品をかつて見ていた人に思い出してほしいのだ。多くの人々があの時に見ていたにも関わらず「んで結局どういう作品だっけ?」というのがあんまり語られない今作を。明日から始まる新番組で19年を迎えるほど長く続くプリキュアシリーズにおいて一番好きなこの作品を。
・産まれたままで誉められるくらいなら 悩みなんか無いわバラ色ね人生は
……さて、こんな風に始めることにしたがみんなは「スマイルプリキュア!」といえば?で何を思い出すだろうか。人それぞれだとは思うがそれでも真っ先に思い浮かぶのがある。カオスなギャグ回だ。
たとえば8話「みゆきとキャンディがイレカワ〜ル!?」とか…
「わたしとキャンディ…いれかわっちゃった〜!?」
20話「透明人間?みゆきとあかねがミエナクナ〜ル!?」とか…
38話「ハッスルなお!プリキュアがコドモニナ〜ル!?」とか…
そして35話「やよい、地球を守れ!プリキュアがロボニナ〜ル!?」は特に語り草になってるやつで……
ちなみにこれもマジョリーナが発明した「ロボニナ〜ル」が引き起こして……って全部マジョリーナの発明品が引き起こしたやつじゃねーか!
マジョリーナが引き起こした騒動といえば29話「プリキュアがゲームニスイコマレ〜ル!?」なんてのも……
ほんでもって大凶スマイルなんて呼ばれたやつも…
それと忘れちゃいけないキュアゴリラことFUJIWARA原西。
ナチュラルハートは野生のしるし!キュアゴリラ!
とまあ書くとキリがないくらいの笑える展開ばかり。定期的にこんなノリなの投げ込まれてた作品だった。スマイルのタイトルに偽りなし。
そしてスマイルプリキュアはギャグだけでない、心震わす熱い話や涙無くしては語れない話もわんさかある。まずはスタッフからプチ最終回と呼ばれる23話「ピエーロ復活!プリキュア絶体絶命!!」は真っ先に思い浮かぶ。
か〜が〜や〜け〜〜〜〜!!!
「「「「「スマイルプリキュア!」」」」」
他にも終盤に入るそれぞれのラスト個人回も…
そして4人と続けば主人公の星空みゆきも……ここでは劇場版の『映画スマイルプリキュア!絵本の中はみんなチグハグ!』をなんとしてでも挙げたい。
思い返せばまさに笑いあり感動ありとはこのこと。SDを務めた大塚隆史氏の「毎週楽しく見てもらいたい」(インタビューで度々言及している)を目指して製作したように一話一話のクオリティは非常に高い。原西の説明で触れた全プリキュア大投票において作品部門5位とけっこうな上位にランクインするのも納得であろう。自分も当時めっちゃ楽しんで見てた。懐かしいなぁ……
……そんな割とみんな覚えてるような内容をわざわざnoteとして記したのかって?いやいやいや、そんな程度だったらTwitterのつぶやきで済ましてますわ。じゃあなんでわざわざこんなん書いたっていうと……ここから書くのは人によっては穏やかになれない内容かもしれないし書いてる自分自身もちょっとつらいが覚悟の程を……
さて、このように話の個々の評価は非常に高いスマイルプリキュア、しかしネットでちらほら見かける感想の中にはラスト4話の展開が唐突なんじゃないかという厳しい意見も散見される。たとえば「そなござ」とか
その後のバッドエンドプリキュアやロイヤルキャンディとか出てきたのは別に構わないんだが最終回のキャンディとの唐突に別れることになるやつとか
そしてこの記事の冒頭でも触れたようにラストにみゆきちゃんが絵本を描き始めるという終わり方。これも突然出てきて??と思った人もいるだろう(やよいちゃんおるのになぜわざわざ拙い絵を…)実際自分もリアタイ当時よくわからなかった
さらにさらにだ、みゆきの小さい頃の体験した笑顔の物語を秋に映画まるまる一本描いたのにそれはそれ、これはこれと本編で全く別の話をやったり……クリスマス回である44話「笑顔のひみつ!みゆきと本当のウルトラハッピー!」のことである
言うならば「個々の話としては質が高いがストーリー展開による縦軸はよくない」なポイントがあるせいか実のところ一部の人から悪い所を延々ネチネチと言われ続けてるのも否定できないスマイルプリキュア。そういう否定的な意見に対して反論したくなるファンもいるかもしれないが、残念ながら否定的な意見の根本における縦軸のストーリー展開部分においてどこがいいんだと説明しようにもうまくいかない。そこは置いといて好き、とか 言語化しにくいけど好き、とか……
……リアルタイム視聴当時の自分も正直そういう所を抱えていた。それでいて放送終了してから3年後の2015年に久々にもう一度見るかと再視聴した際にとある“気付き”を得て、今作における縦軸とも言える「何を伝えたかったのか」というメッセージ性の要素を発見したのだ。一話完結強めの物語の中にもたしかにあった。存在したのだ。それに気付いてからこの作品への見方が一気に変わった。そこからは彼女たちの活躍を見る度に自然と涙こぼれ上に挙げたクリスマス回にはべしょべしょに泣き、最終回で見終わった後に一日なにもできなかったくらい放心しつつ泣き崩れて「ありがとう……」と呟くばかりでいた。やばい人間が完成してしまった。“心”に響いてしまった。スマイルプリキュア、あんたが俺にとってナンバーワンや。それは他のプリキュア作品すべてを見届け、それぞれの作品の良さを延々と語れる自信がある今でもこの1位の牙城は揺るがない。幸せは探すものではなく、感じるものなんやね……
いきなり気持ち悪い文章になってすまない、それではそんなメッセージ性要素ってなんだと言われたら……スマイルプリキュアには上で挙げたギャグ描写や感動的な描写だけで構成されてないのを覚えているだろうか。それこそが重要ポイントだと思っているのだ。それは…………
「おやぁ?どうしたんですかみなさん?さぁ、もう絶望していいんですよぉ?」
「絶望なんか…しないもん……」
「なぜ?だってもうどうにもならないじゃないですか♪」
「なんせ、私にすら勝てないような貴女たちがピエーロ様に敵うわけが無いでしょう?」
「そのうえ女王様の復活もできない。輝く未来もスマイルも、もうありえない!」
「ならば、貴女たちに残されているのは唯一つ……」
無限の“絶望”だけです。
・頭が回りすぎてつい口を閉ざしちゃう こんな暗い顔じゃ自滅するだけで…
さてここからが本番、今日で10周年と記念すべき日にスマイルプリキュアについて思い出してほしい重要項目になります。そもそもが10年後を書いた小説版にての帯カバーでの煽り文がこんなのになっており…
再び蘇ったジョーカーの言葉に、プリキュア達は──。
3バカとは明らかに毛色が違うジョーカーさん、本編では召喚したバッドエンドプリキュアが突破されて為すすべなしと嘆き…と思ったら笑い狂いピエーロ様と一心同体になれると自身を黒い絵の具にして捧げたという不穏な退場して終わりになっていた。そんなジョーカーがまさかの復活、10年経ち大人になったプリキュアに絶望の物語を見せるそうだが……なのが小説のあらすじ。
この小説版、“絶望の物語”と銘打ってるからなんか暗い話が展開されるんだろうな〜と未読の方は思うだろうが、実際その通りで対応する大人になったみゆき達それぞれ5人の章どれもが暗く重苦しい雰囲気漂う話ばかりになっております。人によってはあまりのキツさに拒絶反応を抱いてしまった人も……まあ大人になって現実の世知辛い空気に揉まれる後日談なんてのは他作品のスピンオフでもよくあるもの、そんなありふれたものをなぜそんないきなり思い出したかのようにアピールしてくんだとなりがちだが……むしろその“暗く重苦しい”が重要なのだ。なぜなら………
スマイルプリキュア本編も割と暗く重苦しい要素が前提にあるからだ。
なにを言ってるんだ…スマプリなんて毎度毎度のギャグ展開で笑わせてきてるわ時に泣かせるわな話ばかりなのに暗く重苦しいとか……そりゃ22話での絶望したピースはじめたまに出してくる曇った顔の深刻具合は凄まじいものだが
そういう瞬間最大風速的なのばかりだけ言ってるのではないのだ。いわば全体的に暗い。なんというか表面上は明るく見せてるのだが、よく見ると湿っぽく拭いきれないような暗さが所々に潜んでると自分は思ってる。放送当時は掲載していた雑誌『なかよし』でなければ読めなかった漫画版が2015年に単行本にまとめられたのだが、その際に書き下ろされた最終回がものすごく不穏だと話題になったのはご存知だろうか?
その内容とは「ピエーロとの戦いが終わりし後にも未だにこびりつく当時の不安や恐怖を払拭するために既に終わったことと明確に認識する」というPTSDの治療のようだと揶揄されるもの。そこの一部分だけ切り抜かれた内容だけ聞くとなんでこんな全然笑えない終わりなんだと疑問に抱くかもしれない。しかし自分は実際に購入しどうしてそうなったかを全て見届けた。そして改めて思った。作者(ふたご先生)は本質をよく分かってらっしゃる、描かれるべくして描かれたラストだ、と。納得ばかりであった
そんなに暗い暗い言うならどう暗いんだよとなるが、その部分は32話「心を一つに!プリキュアの新たなる力!!」が分かりやすく示している。
32話はみゆき以外の4人が怠け玉なる空間に閉じ込められてしまいみゆきとキャンディが助けに向かう話。怠け玉空間は遊園地になっており苦しいこともつらいこともない最高の空間で4人はそれに流され目も光が入ってない現実逃避状態になっていた(ちなみに助ける筈のみゆきも陥落寸前になりキャンディの助力なくては抜け出せなかった)のだが、ハッピーがその偽りの世界をぶち壊し絶望の荒野広がる空間だったというのを知らしめてもなお彼女たちは目を覚ませずにいた……そしてジョーカーは追い打ちをかけるがごとく4人に“現実”を見せつけるのだ。こいついつも曇らせてるな
「一生懸命がんばっても、結果が出なくてガッカリしてとっても辛かったでしょう?」
「どんなに努力しても結局うまくいかない、人に嗤われて嫌な思いをするだけです」
「みんなを巻き込んで失敗して、みんなのがんばりを全て無駄にしてしまった。なんの意味がありましたか?」
「思い悩んで考えても、結局は友達に迷惑をかけて情けない自分にうんざりするだけ…」
「あなたはあなた、皆さんは皆さん、なによりその皆さんがあなたの未来を喜んでくれているのでしょう?何を迷うことがあるんです…あなたは夢を叶え、皆さんは喜び、ついでに私も嬉しい…誰もが喜ぶ最高の未来じゃないですか!」
「考えるな。考えてもお前たちにはどうにもできない。敵わない者に逆らうな。自分の無力さを嘆き悲しめ。明るい未来など無い。叶わない夢など見るな」
(47話でのピエーロの台詞より)
これこそがスマイルプリキュアの湿っぽく拭いきれない暗さの要因、いくら努力してもそれを嘲笑うかのように結果は報われず、残るは惨めで無力な自分自身がはっきり映し出され、救われない幕引きを迎える“最悪の結末、バッドエンド”だ。あまりにも容赦なく立ちはだかり、どうすることもできず、そして考えることすら嫌になり諦め何も残らない……
「お前…本気で漫画家になれるとでも思っているのか?本当は気付いてる筈だ…お前は泣き虫で一人じゃなにもできない、どうせ途中で投げ出すに決まってるとな!」
「現実はマンガみたいに上手くはいかないんだ!さっさと諦めろ!」
(夢に出てきた漫画の悪党より)
そんな割と陰鬱な描写をギャグもやりつつポンポンやってんだからたまったもんじゃない。なんなら製作スタッフもそんな暗い部分を強く推してくる。なんてったって18話でなおが転ぶ展開にしたのはこの話を担当した脚本や演出の人ではなく、シナリオ構成を担当する米村正二氏直々の采配だからだ。
こうも失敗体験が多く描かれてるせいで個人的見解なんだがスマイルプリキュアの5人はどこまでも弱く見えると感じている。一見すると優秀なれいかさんすらも何がしたいのか分からず悩んでるくらいだ。そんなへっぽこ5人組にも関わらず割と敵は強かったりする。ジョーカーは勿論のこと三幹部も……
そしてラスボスであるピエーロ……中盤に一度復活するも速攻で倒され再び封印、終盤ウルフルンが何者なんだよとジョーカーに問い詰めはぐらかされたりと最後の最後まで結局どんな奴だったのか分かりにくかった存在だが47話「最強ピエーロ降臨!あきらめない力と希望の光!!」にて明かされる…彼女たちが何と戦っていたのかを……
「ピエーロ……あなたはいったい……なんなの!?」
「…怨念だ。生きとし生けるもの、全ての負の感情が私を生み出している。お前たちにもある筈だ……憎しみ、怒り、哀しみ、孤独…それはお前たち人間が生きてる限り存在する……“絶望の物語”だ」
「湧き止まないその負の感情はやがて無限の絶望となり世界を覆い全てを無くし怠惰に身を委ねる……未来は闇だ!」
いわば最悪の結末から発生した負の感情が怨念として集合し、禍々しい邪神の姿で顕現した絶望という概念そのものであり、それを幹部達が人々を強制的に絶望させ採取したバッドエナジー(たまに虫のも混じってたりする)によって肉付けされ早々と復活したと考えればわかりやすい。しかしそのような絶望はなにも採取したバッドエナジーだけではない、先程の台詞をよく聞くと「お前たちにもある筈だ」と……
彼女たちがこれまで経験した報われない結果、辛くどうしようもない結末、そこから生まれる苦しみ……プリキュアとしての戦闘以外の日常でも発生していたそれら負の感情もまたピエーロを形成すると言ってもいい。そして「お前たち人間が生きてる限り存在する」というようにこれらの辛く苦しい事実は物語内のプリキュアだけでなく、我々のような現実を生きる者にも当然発生する。絶望を呼び起こす事象への不安や恐怖はどう足掻いても付き纏い続ける。ふたご先生が倒した筈のピエーロへの恐怖を拭いきれず悪夢として蘇ってしまうという後日談を描いたのも納得がいくだろう。そして、それは10年後の彼女たちに再び……
さらにたちの悪いことにその絶望の概念は「未来は闇」とのたまう。負の感情を発生させる根本の原因……辛く苦しい現実から逃げたくなるだろう。そりゃ時には立ち止まり休むことも重要である、しかし現実逃避を続け向き合うことを放棄し思考を止め楽な方へ流され怠惰に身を委ねようが、苦しい現実は残り続け、新たな苦悩を生み出しまた逃げもはや行動することすら億劫になり、残酷な現実は先へ進む希望すらも一寸先見えぬ暗黒へと塗り潰し染め上げる……まさしく「絶望の物語」。光すら差さない永遠の闇によって幕は閉じる救われぬ物語、そんな世界を綴ったのは紛れもない自分達の弱い心……
ただでさえ無力な自分たちを強調した作風なのに立ち向かう敵…というより現実は無情とも呼べる過酷さをも備わっているのが『スマイルプリキュア!』なのだ。この作品は決して明るく楽しいばかりの話だけではない、目を逸らさずにそのような暗さも見てほしいのだ……
……なぜそんな重苦しい要素をわざわざ知らしめたかったのか?それは今作の縦軸を構成するメッセージ性を示したかったからだ。そしてこれはプリキュア、どんな困難を前にしても決して諦めず前へ進もうとする少女の物語なのだから。それならば彼女たちはどうやってこんな強大なる絶望に立ち向かったのか?それは……何も見えぬ無明の闇、その中においても輝き続け明日への道標となる…希望の光
・辞書にはない幸せの意味選べば 明日はきっと流れが変わる笑顔に戻れる
それではこんな暗く重苦しい闇…報われない結果と無力な自分に対し彼女たちはどう立ち向かったのか。それについてはこれまた32話でジョーカーが4人に思い出させてきた苦々しい経験を辿っていこう。まずは日野あかねの2話「燃えろ!熱血キュアサニーやで!!」だ。バレー部のレギュラーになれず高架下でボールを打ち付けていた日野あかね、下校中それを見かけた星空みゆきは……
「……よし!」
「泣いてるとハッピーが逃げちゃうよ!スマイルスマイル♪」
これなのだ。この前へ向こうという気持ちの変化、これこそが重要なのだ。確かに根本的解決はなんもなってない。現実は相変わらずだ。それでも前へ向くというのが大切なんだ。
続いては3話「じゃんけんポン♪でキュアピース!!」自信が無かった黄瀬やよいが校内美化活動ポスターを描いたものの、努力賞はともかく侮蔑を受けることになってしまった話だ。しかしその過程にこそ……
「わたしは弱虫だけど…すぐ泣いちゃうけど……ふたりはわたしに勇気を出すキッカケをくれた大切な友達だもん!ふたりを傷つけるのだけは……許さないんだから!!」
「わたしは泣き虫で一人じゃなにもできないと思っていた……だから強いヒーローに憧れてミラクルピースを作り出したんだって……」
「そのとおりオニ。だからそんなもの幻だって言ってるオニ!」
「違う!ミラクルピース派わたしの中にちゃんといる!わたしの中にほんの少しある強い心がミラクルピースなの!」
時には辛い現実から逃げたくなる弱い自分がいるのは確かだ、でもだからこそそんな苦境に負けたくない自分もいる。大切なものを諦めたくない自分がいる。そしてそれを気付かせてくれたのは友達……
次は18話「なおの想い!バトンがつなぐみんなの絆!!」せっかくの皆のがんばりを最後の転倒で無駄にしてしまったような緑川なお、だがしかしそれも……
「ごめんね。あたしのワガママに巻き込んじゃって…あたし……みんなと走りたいんだ。この5人で一緒に」
「仲間と一緒じゃないとできないことがある!あたしはやりもしないで諦めたりはしない……“どうせ”なんて絶対言わない!」
「あたしはリレーもプリキュアもみんなで一緒にやり遂げたい!みんなで力を合わせればできないことなんて何もない!」
そんでもって青木れいかさんだ……こちらはジョーカーやウルフルンに指摘された通り義務や責任からの行動ばかりで自分自身に真にやりたいことが見つかってない。そんな彼女が見つける“道”とは……
何も無い自分が映し出されたかもしれない、でも自分の気持ちは確かに存在していた。持っていた。そして自分が進みたいと心から思う“道”も……
「私も行きたくない!もっとみんなと一緒にいたい!みんなと別れて離ればなれなんて……そんなの…そんなの…そんなのやだ!!」
「なぜ再び戦うのです!?周りの期待に応え、大人しく留学すべきでしょう!」
「それは貴方の考え!私の答えじゃない!」
「夢を捨て、人を裏切るというのですか!?あなたらしくない!“道”を見失ったのですか!?」
「いいえ、見つけたのです!寄り道、脇道、廻り道…しかしそれらも全て“道”!」
「私が歩く、私だけの道。たとえそれが遠回りだとしても……これが嘘偽り無い私の想い、私の我儘、私の…“道”です!」
いかがだろうか?確かに『スマイルプリキュア!』は嫌になるくらい報われない結果を突きつけてくる。惨めな自分を見せつけてくる。だけど、そんな逃げたくなるような現実を前にしても、ちっぽけな自分達でいようとも、決してそれで終わろうとせず前へ進もうとしている。次こそはと前向きになれた、自分の中の勇気を出すことができた、結果以上に大切なものを手に入れた、自分にもやりたい事を見つけられると気付けた……そしてそれはどれだけの絶望を前にしても決して諦めず、自分の持てる限りの力を振り絞って一生懸命に足掻き前へ進もうとすることになっている。未来は先見えぬ闇が広がっているかもしれない、どうすればいいか分からず考えるのも億劫になり逃げたくなるかもしれない、それでも……
・向き合うこと ほんの少し勇気出せれば呼応する
「わたし…メルヘンランドであなたにボロボロにされたとき分かったの………」
(32話のハッピーの台詞より)
現実逃避…思考停止…自分ではどうしようもない嫌な現実を前にしたら人は考えを放棄したくなりがちである。それこそ絶望の化身ピエーロが求めていた怠け玉の空間で形成されていた「怠惰な世界」…ただ絶望の物語という残酷な現実に抗うことすら諦め未来閉ざされし闇に沈むしかない報われない物語である。
ならばその絶望に繋がる怠惰に対抗するとならば……今作の監督である大塚隆史氏がメインテーマにしているという「大切なことは自分で決めなければならない」(コンプリートファンブックでのインタビュー参照)。周囲に流されず、ちゃんとその事実に向き合って、それでいて自分で決めなくてはならない。それは32話でハッピーが言うように「答えを出すのは大変だし、面倒だし、苦しいし…」であるだろう。でも……「辛いかもしれないけど、わたし達はそうやって少しずつでも前に進んでいきたい!」と続くように、現実から目を背けず前に進むしかない。そういうのを包み隠さず描いてるのこそがある意味でスマプリの一番シビアな部分かもしれない。
失いたくない友達のためにどれだけ困難が待ち構えてようと彼女たちは立ち上がり絶対に諦めないと前を進む。一人では目を逸らしてしまうような重く苦しい現実だろうと、友達が支えてきてくれたからちゃんと直視し乗り越えられる。だから友達と一緒にいたい。そのためなら限界以上の力を振り絞れる。この友達に持ちつ持たれつな関係こそが七色ヶ丘中学2年B組という同じクラスに集えたスマイルプリキュアの5人メンバー(そしてキャンディ)の特徴であり最大の強みであろう。
「不器用かもしれないけど…
わたし達はみんなと一緒に未来に向かって歩いていきたい!」
「みんなで進む未来は!キラキラ輝いているから!!」
確かに『スマイルプリキュア!』は報われない結果に対しどうしようもできないと惨めな気持ちになるばかりの弱さを容赦なく見せつける作品だろう。そして我々の生きる現実もそういうのは常に存在する。なにもかも投げ出し逃げたくなるような嫌な事ばかり……しかしそれで弱りきった者にも厳しき現実は依然として襲いかかり、弱いままなので対抗も当然できず、最終的にはもはや動くことすらできぬまま絶望の未来に塗り潰され尽きていくというのは目を背けたくなるがこの世にいくらでも溢れてる生々しい悲劇の結末である。
だからこそ、だが諦めず前を進むしかない。自分の物語は自分で決めるしかない、それに対し一歩踏み出し進み続けるのは覚悟と勇気が必要だ。弱い自分自身だけでは届かないかもしれない…だけど支えて後押ししてくれる、導いてくれる道筋を照らしてくれる大切な人がいる。そしてその自分を応援してくれる大切な人々のために頑張れる。大切な人と、自分が一緒に笑い合えるような未来にしたいから。だからこそ辛い現実に立ち向かえる。これこそが『スマイルプリキュア!』における大切なメッセージ性だと自分は捉えてる。過酷な暗闇の中にも救いの道、未来照らす希望の光は存在する……
どうしようもない絶望の未来への対抗を描いたスマプリ。これで絶望の化身ピエーロとも立ち向い絶望を打ち祓えた………とでも思っていたのか?
最終回にて無限の暗黒と化して全てを闇に塗り潰そうとした奴は「本当の深い悲しみを知らないお前達が世界の絶望に敵う筈が無い」と言ってきた。どれだけの苦境を前にしても諦めず進んできた5人……しかし、しかしだ、どれだけ自分が頑張っても変えようがない真に“どうしようもできない”ものも確かに存在する。それは……
“別れ”という終わりは、いつか必ずやって来る。
・いつか滅びゆく日が来ても、じたばたしない
出会いがあるのならば別れというのはいつか必ず来る。そりゃ出来る限りならばそういうのは避けたいしものだし、彼女たちも実際にそういう大切な人と離ればなれになるようなことから全力で対抗していた。上でのキャンディ救出戦もそうだったし、他にもあった。
しかし、しかしだ。いくら自分が、仲間が努力しようとも避けきれない別れというのは確かに存在する。帰国するタイムリミットがあるブライアンはそのいい例だ。本当にどうしようもない別れ、今まで培ってきた絆の消失。悲劇の完結。そしてそこから生まれる悲しさや寂しさの感情もまたピエーロを形成する絶望の一面……当然それも我々が暮らす現実においても発生している。分かりきっていた未来に到来するのだけでない、悲しいことにそれは前触れなく唐突にも訪れることがある……
思えば放送していた2012年…の前年に発生したあの大災害、それのせいで大切な人を失ってしまった方々も当時見てた人もいるかもしれない。本当に痛ましく、未だに傷が癒えぬ人もいるだろう一件だった。それに影響されてか2012年に開始したニチアサもどことなくそれを意識したような内容だった。『特命戦隊ゴーバスターズ』は災害で離ればなれになった家族と再会する為に戦士として立ち上がったのに、待っていたのはその家族は二度と助からないという残酷な現実だった。『仮面ライダーウィザード』は愛娘を病で亡くし絶望しかけた男が、娘を復活させる“希望”を掴む為の儀式に無関係の市民を多数生贄に捧げる凶行に及んだ。振り返ると過酷な時間帯だった。そしてこの『スマイルプリキュア!』も……この2作品ほど直接ではないが自分の力ではどうしようもできない、いつか必ず訪れてしまう別れという終わりで描いている。それは最終回においても……
確かに以前に大塚隆史氏が監督を務めた『映画プリキュアオールスターズDX3未来にとどけ!世界をつなぐ☆虹色の花』のオチと丸かぶりなんだけど、いうなればこちらのオチは一年かけて辿り着くべきして辿り着いた結末とも言える。唐突っぽく見えるが実はそうなっていたりする。
どれだけ苦難が立ちはだかってもせいいっぱい乗り越え突破してきたプリキュア達、しかしどう足掻いても変えることができない別れはこの世界に確かに存在する。受け入れねばならない喪失、辛く苦しいというのは決まっている。だがそれでも……
それなら何が残るのか?思い出してほしい、なおちゃんがリレーで転んでしまった際にそれまでの努力が全て無駄になっただろうか。そんなことはなかったじゃないか。ならばこの2人との間にも残るものはある。確かに存在するものが。
「そうや……無意味やない……無駄な筈あるかい!」
「離ればなれになったとしても一緒に過ごした時間は消えへん!それが……無駄なワケあってたまるかーっ!!」
たとえ離ればなれになる運命が待っていようとも、共に過ごした時間、輝かしき想い出は決して無くならない。そしてそれがあるから前を向ける。明日を笑顔で迎えられる。
失われた人との間に残るものといえばこの話も念頭に置いておくべきであろう、父の日回で当時見た人の多くが心打たれ涙した19話「パパ、ありがとう!やよいのたからもの」を。亡き父、黄瀬勇一とその娘やよいの間に確かに残る愛の話を。
「“やよい”っていう名前はね、産まれた時のやよいの顔をじっと眺めていたら思い浮かんだんだ。」
「ママの“ちはる”って名前は千の春って名前だ。ママは優しいだろ?パパはやよいにもママみたいな優しい人になってほしくて“弥生”って名付けたんだよ」
ごめんね……すぐ思い出せなくて。パパはわたしをあんなに愛してくれたのに……あんなにいっぱい……
二度と会えなくなろうとも、共に過ごした時間も、楽しかった想い出も自分の中に生き続ける。大切な人を失うというのは筆舌に尽くしがたいくらいに辛く、悲しく、なにもできなくなるほどになってしまう場合だってあり得る。けれど……いつかは立ち上がって明日を迎えなきゃいけない。その時はその人との輝かしき時間を思い出してほしい。それが自分が未来へ進む際の後押しをしてくれるから。自分は今作を通じてそう感じ取った。この解答自体がこれまで見せてきた中で一番残酷な現実かもしれない、本当に長き苦しい道のりになるかもしれない……それでも………………
「大切な……大切なことは…ちゃんと自分で考えて自分で決めるクル……」
キャンディは前を向く決意をした。絶望そのものの言うままにせず、自分自身で選択した。その結果に待ち受けてるものに目を逸らさず見据えたうえで。そりゃ自分だって友達に助けられたし友達を助けるくらいにずっと一緒にいたいと思ってるから今生の別れなぞ辛いに決まってる。それでも彼女には残り続ける大切な想い出があった。
「キャンディはみんなと一緒で…たくさんたくさん楽しかったクル…!」
放送から一年間いろんなことがいっぱいあった。一緒に過ごした楽しかったこと、時には非力な自分にも優しくしてくれたこと、みんなと一緒にいるためにせいいっぱいがんばったこと、大切な想い出いっぱい手に入れた。だから…どれだけ悲しくても前へ進むことにした。その覚悟はみんなを前へ進もうとする勇気をくれた。
そして…みんなで泣いた。いっぱい泣いた。鼻水出るくらい泣いた。現実を逃げずに直視し、辛く悲しい別れを受け入れる故に泣いた。泣いた先に……輝く未来が必ずあると信じて前を向いて受け入れた。そしてその輝く未来に自分たち自身でするために、彼女たちは真の絶望と立ち向かう。
「いま…わたし達ができること、全部やろう。わたし達は絶対に……未来を諦めない。」
「絶望を…乗り越えたというのか……?」
「分からない……ただわたし達はみんなで一緒に……未来へ向かって歩いて行きたい!それが……わたし達……スマイルプリキュアだから!」
キャンディ達はぜったい負けないクル!
これから先の未来にどんな困難があっても!
わたし達は絶対に前に向かって進んでいく!
これからも大変なことが沢山あると思う…でも!
それを全力で乗り越えて初めてほんまもんの笑顔になれるんや!
わたし達はどんな時も本当の笑顔を忘れない……絶対に…がんばっていくんだもん!!
受け入れなくてはならない悲しみをも乗り越え未来へと進むスマイルプリキュア。彼女たちにはこの先にもたぶん辛く苦しい現実が襲いかかるだろう。それでも……共に笑い、共に泣き、共にがんばった最高の一年間が自分たちには残っている。それは10年後においても……
さてこれにてスマプリの話も終わり……といきたいがまだ少しだけある。冒頭で触れたラストの絵本のやつだ。なぜ星空みゆきはあのように絵本を描いたのか?最後にその理由を回収しつつ、星空みゆきという少女について知ってほしい。
・約束だよ いつもどおりの景色に出会えたなら おいでここまでスピード上げて愛を探そうよ
『スマイルプリキュア!』における主人公の星空みゆき。ここまでスマプリについて書いた中でも彼女については断片的に出してたのでだいたいどんな娘かは把握しているだろう。しかし実は番組企画時における初期案ではちょっと違った部分があった。それは“徹底的に前向きな女の子”であること。
そりゃ確かに明るく前向きな部分はあるし表層上はそう見えるかもしれない。上に書いた32話においても、彼女がどんな困難を前にしても決して諦めない強い心で仲間を目覚めさせた所は彼女の強さでもある。しかし彼女はもう一つの側面も合わせ持っている…弱さだ。ジョーカーやピエーロといった圧倒的絶望に屈しそうになったのは奴らが強大すぎたからここでは置いといて、そこ以外にも彼女の心の弱さをちらほら見かける場面も……
このように時おり見せる落ち込む際はけっこう後ろ向きになっているみゆきちゃん。初期案の徹底的に前向きという設定ではこうはならないだろう。それについては彼女に苗字『星空』を名付けたシナリオ構成担当の米村正二氏がインタビューにおいてこう語っている。
「地獄を見る」なんて物騒な単語が出てるが流石リレー回でなおを転ばせるようにしただけある男だ。そしてそんな男がシナリオ構成した今作は上でさんざん説明したように失敗だの実らぬ努力だの暗く苦しい地獄を見るような展開ばかり……そんな闇に目を逸らして都合のいい幻想だけ見て笑顔を作っても「うそっぽい」というのも32話での怠け玉空間がまさにその通りである。
その信念を持って作られた星空みゆきちゃんは当然落ち込むことだってある、というか根本の性格自体が控えめで臆病だったというのが彼女の過去回想を描いた44話「笑顔のひみつ!みゆきと本当のウルトラハッピー!!」にて判明するのだ。……ニコちゃんが無かった扱いされたあの話!?そうだ。映画は映画、本編は本編なので片付けるのはなんかなと思う人もいるし、実際に自分もプリキュア映画の中でも一二を争うくらい好きなのだが…この44話こそ『スマイルプリキュア!』という作品においての画竜点睛の部分と自分は捉えており、最終回ラストでみゆきちゃんが絵本を描き始めた理由へと繋がってるからだ。ラストの個人回とはいえそんな大袈裟な誇張では?と思うかもしれんが彼女の回想から見ていこう(もう一度言うがこの話の脚本はもちろん米村正二氏直々に書いている)
──ふと、風が吹いた。
あの子がいた。名前は……覚えてなかったしそもそも聞かなかったかもしれない。それでもその子は木の下で鏡を覗く度にそよ風と共に現れ…
「わたし…その子とたくさんおしゃべりして、たくさん遊んだの。とっても楽しくて……キラキラした時間だった」
不思議な少女との素敵な時間、当時のみゆきちゃんはそれを絵日記のような絵本として描いた。タイトルは…『スマイルちゃんとハッピーちゃん』絵本の中の少女ふたりはいつもスマイル、そしてとってもハッピー。完成したのであの子にも見せようとしたら……
──笑って…。
──風が吹いた。あの子の声が聞こえた。回想の中で唯一覚えていたあの子の言葉…「笑って。」が。そして彼女は…
「わたし、その時わかったの……暗い顔をしているとハッピーが逃げちゃう。笑っていたら、きっと楽しいことがやって来るんだって……」
バレー部のレギュラーになれず落ち込んでた日野さん、そんな彼女に駆けつけた言葉「泣いてるとハッピーが逃げちゃうよ!スマイルスマイル♪」それはかつての自分も友達からもらっていたおまじない、暗い闇夜において輝く未来へと導く希望の光だった。大袈裟かもしれないがその言葉に救われていた。校内美化活動ポスター応募で本当は描きたいと思っていたのに勇気が出せず躊躇してた黄瀬さん、その気持ちをいち早く察して優しく後押ししたのも、かつての自分みたいでそれを助けたかったからだろう。確かにこの記憶はふと思い出したものだ。それでも今の自分の信念とそこからの行動理由としてちゃんと残っている……
初期案の徹底的に前向きな子にはせず落ち込むこともある子へと設定されたみゆきちゃん。それを語った米村氏のインタビューにはこんな続きがあった。
『夜の星空』という苗字の由来で自分は目から鱗が落ちた。今作において敵として襲いかかってきたのは陰鬱な感情によって形成された絶望…それがもたらす、どう進めばいいかという先行きすら全く見えず足を止め沈み続けるしかない永遠の闇だ。そんな闇夜の中でも輝く星があればそれを道標にして前へ進める。『星空』という苗字はどれだけ闇深き夜空であっても星という希望の光は輝いてるという証なのだ。さすが『天の道を往き総てを司る男』なんて仰々しくも名は体を表すと云わんばかりなキャラを生み出した脚本家だ…
そして闇に呑まれた者が見る希望の光ってのは他者が差し伸べる救いの手である。この44話においても母とはぐれてしまった少女ゆらちゃんのために5人はお母さんを探してくれた。そしてそれ以外にも…
「ハッピー、それはちゃうで」
「え……」
「それ……返してくれんか」
「あ゛?」
「はよう……返さんかいっ!!」
(こう見るとあかねちゃんばっかだな……でもみゆきちゃんが落ち込むと真っ先に駆けつけるのはあかねちゃんだし)
「いつも誰かの優しさがあったから……臆病なわたしも自分の一歩を踏み出すことができた……きっとみんなもそう……誰かの優しさがあったから…1人じゃ無理と思えることにも立ち向かえた……」
「みんなの優しさがどんな時でもわたしを励ましてくれる…前へ進む勇気をくれる…わたしの心を暖かくしてくれる……!わたしをウルトラハッピーにしてくれる!」
(ウルフルンとの戦闘時の台詞より)
44話がなぜ今作における画竜点睛なのか分かっていただけただろうか?彼女たちが絶望を前にしても戦えた理由がここに書かれていたからだ。そしてそれを気付かせてくれたあの子…スマイルちゃんには感謝の念を抱く。ありがとう……本当にありがとう……
……なのだがこの回想には続きがあったのだ……そしてそれも最終回への解答へと繋がる大切な要素になっている。
──あの子はそんな幸せを掴めた友達を見て微笑み……最後に風が吹いた。後ろを振り向いた。そこにはもう、いなかった…
それ以降、みゆきちゃんはあの子に会うことはなかった。いつもの場所に行ってもいない、それどころかお婆ちゃんや地元に住んでる友達に聞いてもそんな子は見たことないとまで……別れというのは唐突であった。彼女は既に別れの辛さというのを知っていた。それでも残り続ける大切な想い出が与える強さを知っていた。36話でブライアンと過ごした時間が無駄になるなんてあんまりだよと寂しがったり、19話でやよいちゃんが亡き父に愛されていたと第三者ながらも確信していたのはそういうことだろう…
涙を流すくらい悲しかった。でも「泣いてるとハッピーが逃げちゃう」とあの子が教えてくれた。だから前を向いて…“ハッピー”を探すことにした。あの子と一緒にいた時のようなキラキラ輝く楽しい気持ちを。そこから生まれる笑顔の先に必ず幸せが待っているから……雨が上がった後に虹が映るように……
そして……“あの子”もそうありたいと……
「みんなと一緒でとってもハッピーだったクル……キャンディは…これからもウルトラハッピーを感じたいクル……」
「キャンディはみゆきと同じクル……いっぱい…いっぱい友達を作って……みんなに…………ウルトラハッピーを分けてあげたいクル…………!」
最終回「光輝く未来へ!届け、最高のスマイル!!」にてキャンディはみんなと永遠に会えなくなるという事実を前にしても未来へ進むことを諦めないと決意した。どんな困難があっても決して諦めないみんなが教えてくれた。そして……みゆきみたいに友達と過ごした最高の時間をメルヘンランドでも紡ぎ、共に友達と助け合ってみんなにその幸せを分け合いたいという“未来への夢”を持てた。誰かへの優しさがその誰かの優しさを育むように。ハッピーちゃんは、スマイルちゃんでもあった。
キャンディとの別れは本当に辛く悲しいものであった。でも、キャンディの中に未来への夢が生まれた。そして、自分にも……
さて、44話ラストにて迷子少女ゆらちゃんも無事に母と再会しめでたしとなり、クリスマスとあってか街はイルミネーションで輝き雪も降ってきた。友達とみんな一緒にいることがウルトラハッピー、そう改めて気付けたみゆきに……
──風が吹いた。あの時みたいに……
──ずっと、そこにいたんだね。
──キャンディ…学校の図書館に行くとね、キャンディのことを思い出すんだ……でも寂しくないよ。キャンディとは心でつながってるもんね。
幸せは探すものじゃなくて、感じるものだったんだね………たくさんの幸せがすぐそばにあったなんて……
最終回の後日談、屋上にてあの時のように風を感じる。家族が、クラスメイトが、友達が一緒にいる。そこからウルトラハッピーが生まれる。そしてキャンディもすぐそばにいると心で感じられる……あの子が気付かせてくれたんだ……
「わたしの名前は星空みゆき。わたしは今、わたしがもらったたくさんの幸せを、今度はいろんな人に届けたくて絵本を描きました。」
タイトルは……『最高のスマイル』
彼女がなぜ絵本を描いたのか?それはかつて二度と会えなくなった友達と共に過ごし感じた素晴らしき時間を描いた絵本が自分を救ってくれたように、また二度と会えなくなった友達と共に過ごした素晴らしき時間を含めためいっぱいの“幸せ”をみんなに分け与えたいから。それが自分みたいに誰かの救いになるだろうから。
そのラストに彼女が見つけた“未来への夢”こそが『星空みゆき』という名前に込められた想い…夜空に星として輝き迷い苦しむ人を救う、希望の光なんだ。やよいちゃんみたいにすぐに上手くは描けないのは分かってる。その夢に対してたぶん困難も待ってるかもしれない。それでも……みゆきちゃんならきっとできる。多くの人を笑顔にすることができる。
自分は視聴二周目にしてそれに気付き、感動で延々と泣き続けた。これを書きつつも目をうるうるしているくらいだ。小さなその手でぎゅっと夢をつかもう……
(まあ二度と会えない言ったけど最後になんか奇跡起こってキャンディとまた会えるようになるんすけどね。そんなんあり!?ありクル!)
・I won't forget your sweetness really so. just like I say would be…(あとがき)
最初は「いっつもプリキュア見てる人ならともかく久々に10年前のアニメについて触れる人に長く書きすぎると読まれないかもしれんから手短にするか……」と思ってたのに案の定の長さになってしまった。すまんかった。でも伝えたいことはフルに書ききれたと思う。人によってはバッドエンドプリキュア(1話限りの割に存在感アリアリ)とか育代さん(母親なのに人気ありすぎてまさかの公式でグッズ化)とか松原巡査(マジョリーナが発明品無くした時に来る交番にいたおまわりさん)とか全然話してないやんと思うかもしれないがまぁそれはそれで……
2022年といえば『キラキラ☆プリキュアアラモード』は同日2月5日で放送5周年になるし(これもけっこう語れるくらい密度ある作品だ)『Yes!プリキュア5』は昨日で15周年を迎えたし(これは去年いっぱい書いた)桜咲き十六夜の月浮かぶ夜、ふたりがついに再会するだろうとめでたいのは数多くあるのだが、自分はnoteを書き始めた2年前から『スマイルプリキュア!』10周年という記念日になんとしてでも自分のやりたいことを残したいと思っていた。小説版の舞台にたどり着いたのは勿論のこと、そもそもスマプリという話自体が当時見てた人がいつの日にかにこそ思い出してもらいたい内容だと思っていたから。
あれから10年、間違いなく当時見てた人はあの頃とは違う生活をしているだろう。メイン視聴ターゲット層の未就学〜小学校低学年女児をはじめ日曜朝の慣習として見続けてたりネットで話題になってたから見てた方々、今でもプリキュア見てる人もいれば今はもう見てない人だっている。それでも10年という月日は平等に流れている……現実というのは過酷だ。時に嫌なことだってあるし自分一人ではどうしようもできないことだってしょっちゅうだ。鬱屈すぎて考えるのを止めてただひたすらその日に流され時をすり減らすことしかできないくらいに追い詰められてる人もいるかもしれない……
だけどふと思い出してほしい、あの時にテレビで見てた彼女たちが楽しく色々やっていた話を。彼女たちが現実にも存在する重苦しくて逃げたくなるような辛いことに勇気を出して立ち向かっていた話を。誰かの優しさあるから強くなれたから別の誰かを助けようとした彼女たちの話を。それをテレビで見ていて笑い、泣き、胸が熱くなっていた自分たちがいたことを。その想い出はひょっとしたら自分たちが明日を進むための勇気に変わるかもしれない。それは単なる気休めのおまじないと言われれば否定できない。たかがアニメでそんな高尚なの感じるとか痛々しくて馬鹿げてるじゃないかと片付けられても仕方ない。けれど、それで心が救われた人間だって確かに存在する。
かくいう自分がそうだ。放送当時の2012年、自分の取り巻く環境があまりに劣悪すぎて心身共にズタボロになったいた。毎朝5時起きて帰るのは日付けが変わるのもしょっちゅう、物理的にも精神的にも何度も何度も傷つけられ……朝が明けるのが怖くなって眠れないこともあった。自殺とかも本当に考えてた。去年から見ていた戦隊もライダーも見る余裕がなくなる程に追い込まれ……それでも『スマイルプリキュア!』だけは見る気力は残っており、毎週それを見ることだけが辛うじて残されてた楽しみだった。時に笑い、時に泣き、時に逆境に負けない彼女たちを見て勇気をもらい……生き続けることができた。そしてなんとか生活が改善しプリキュアシリーズの過去作をひと通り視聴し2015年にもう一度今作を見たのだ。その時に分かった。「自分はこの娘たちに救われていたんだな」と。
だから伝えたかった。自分が好きなスマプリをこんなにすごい作品なんだぞと高らかに。なにかと終盤あーだこーだ悪く言われがちな今作だろうと真っ向から対抗してやるぞの意気込みで書き綴った。そうしたら案の定この長文になっちゃったけど……とにかくこれが自分にとっての『最高のスマイル』として届けたかった。当時スマプリを見てた人が思い出してほしいから。そして10年経った今こそ小説版も読んでほしいから。その物語…彼女たちが再び絶望に抗う話は自分の明日を生きる力になるだろうから……
ということで今回は読んでくださりありがとうございました。それでは!輝け、ハッピースマイル!!
(参考文献)
(各トピックのフレーズは小松未歩『風がそよぐ場所』の歌詞より引用しました。何故かって?それは……)