受験勉強の弊害について〜やりたいことが分からない〜
こんにちは〜!
突然ですが、あなたに質問です。
『自分のやりたいことがありますか?』
この質問をした時に、
スパッと答えられる人(特に20代)が
ほとんどいないように感じております。
なぜ、答えられないのか?
やりたいことが分からないのは、
あなたが全て悪いというわけではなく、
そうならざるを得ないような
社会構造にもなっているので、
ある意味しょうがないよね。という
お話しを今回はしていきたいと思います。
さまざまな要因がありますが
ここでは、受験というシステムに
焦点を当てることにします。
なぜ、この発信を
したいと思ったのかというと、
色々なこの世界の構造を知った時に、
『自分が全て悪いわけではなかったんだな」
とある意味救われた
自分がいたんですよね。
過去に受験を経験された方や
お子さんがいらっしゃる方にも
ぜひ読んでいただければと思います。
受験の世界においては、
試験日までに
『いかに効率的に知識を
インプットすることができるのか?』
ということが求められます。
そこには、『思いやりの心』
などは存在せず、1点でも
高い点数を取った人が『勝者』であり、
合格点に届かなかったものは
『敗者』であるという構図になっています。
そういった状況になった時に、
・知識を持っている人が偉い
・効率的でなければならない。
・勝たなければならない。
・周りは切磋琢磨する仲間というより、
敵(競争相手)である。
・負けてはいけない(プライドが出てくる)
こういった類の価値観が
強く形成される傾向
があると思っています。
かくいう私も、思い返すと、
高校受験、大学受験を通して
この価値観が強く形成されたように感じています。
そういった価値観が
固定化されてしまうと
何が問題になるのか?というと
そこには損得勘定が
ベースの『効率至上主義』になってしまい、
自分が好きか、
嫌いかなどの感情が
分からなくなってしまいます。
自分がやりたいことというのは、
自己(心)との対話によって出てくるものです。
これまで、自分の心を散々
置いてけぼりにして、効率至上主義で
生きてこざるを得なかった人に、
『あなたは何がやりたいのか?』
という質問に答えられるでしょうか?
そういった人ほど、
自分の心の判断軸(在り方)が
整っていないので、
手取り早く、また効率を求めて
スキルやノウハウなどの技術を
身につけたくて安心したくなります。
これからは、動画編集の時代だとか
プログラミングの時代だという世論(外側)
に流されて試してはみるんだけども
自分の心にどこか
違和感があって大体続きません。
仮に続いたとしても、
自分がやりたいことという
基準で選んでいる訳でないので、
『なんで、私これやってるんだっけ?』
というどこか虚無感のようなものが
いつまでも拭えずつきまとってきます。
効率至上主義から抜け出すまでは、
やり方に捉われてしまっているので、
残念ながら一生
自分やりたいことは見つからないです。
まとめになりますが、
やりたいことが分からない原因は
あなただけの問題なのではなく、
ある意味そうなっても仕方ないような
社会構造にもなっているということでした。
ある意味しょうがなかったよね、と
自分を責めずに
自分をよしよししてあげてくださいね。
ただ、社会構造がそうなっているから
私は何も悪くないんだといつまでも
被害者ヅラするのではなく、
それはそれで一旦受け入れた上で、
『じゃあ、これからどうしていくべきか?』
という方向へ意識を向けて頂ければ幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました。