BUMP OF CHICKENがこっちを向いていることに気付いていなかった話
はじめまして。
初手から痛いタイトルをつけました。
タイトルにある通り、わたしはBUMP OF CHICKENをこよなく愛しています。
現在バンプはツアー中、日付変わって今日明日がラストの東京公演。
わたしは大阪公演1日目と広島公演2日間に行った。
今回のツアー中感じたことやメンバーのMCの話はするけど、レポートではなく身勝手ラブレターなのでレポをご期待の方はこの記事を忘れてください。
※今回のセトリ1曲もネタバレされたくない方も忘れてください。
ホームシック衛生2024のタイトルが発表されたときは
「夢!?」と思った。
まず2年連続ツアー?本当?ヤッタ〜〜〜〜!
という気持ちと
“ホームシック衛生”????リバイバルツアーってこと????
という驚き。
わたしは2008年のホームシップ衛生が、初めて行ったバンプのツアーだった。
高校生になったばかりだった。
当時mixiで知り合った同年代の女の子と行った。(当時通話も無しにはじめましてをしてしまった。時には危険なこともあるから慎重に行動した方がいい)
その日は親が車で送り迎えをしてくれて「どうだった?」とか聞いてくれたんだと思うけど、よく覚えていない。
ライブ終盤、メンバーが客降り(ライブでの言い方には合わないかもしれないけど他を知らん、伝わってくれ)してくれて、チャマがバンバンハイタッチして黄色い声援が響く中、一緒に行っていた女の子はクールに「みんなすごいね〜」と言っていたことは覚えている。
本当はわたしも黄色い声援上げたかったし、ハイタッチもしたかった。でも恥ずかしくて興味ないふりをした。興味ないわけないだろ。
当時のわたしは見栄を張りたかったんだな。
もしかしたらその女の子もそうだったのかも。
バンプを聴き始めたのは小学3年生の頃、兄の影響だった。
初めてjupiterを聴いた時、Stage of the groundのイントロに「長くない!?」と驚いた記憶がある。
中学生の頃から、お小遣いを貯めて、畑と田んぼと川に囲まれた田舎から片道1500円かかる高速バスに乗り、年に数回ライブハウスに通っていた。
地元広島で開催されていた夏フェスのSETSTOCKも行っていた。
(今のワイバンの前身、本当に大好きなフェスだったから1回だけでも復活してくれないかな)
バンプのライブも初めて観たのはSETSTOCK。
子どもの頃は、音楽を聴くことと、絵を描くことが1番大切だった。
外に出ていくタイプのオタクだった。
中学〜20代前半まで、沢山のアーティストを好きになって、数えきれないくらいライブに行った。
就職が土日休みが少ないシフト制の職種だったので、これまで通りライブに行けなくなってしまったらどうしよう、と布団の中で泣いたこともあった。
(実際には平日ライブにめちゃくちゃ行きやすかったし、店長がとても優しく融通も利かせてくれて、学生時代以上に行けることになる。)
バンプをずっと「1番」だと思ってるけど、そうじゃない時期もあったかもしれない。
バンプの何もかもを把握して追っかけて来れたわけじゃないから。
だけど不安定だった中学生の頃、毎週聞いていたSCHOOL OF LOCK!で藤くんが「心に鍵かけててもいい。俺にだってある。でもそばにいるから。」と優しく話してくれた時のことを、わたしは一生忘れない。
「そうじゃない時期」でも新曲は当然聴いていたし、ツアーがあれば必ず行っていた。
でも関東でしかやらないような特別な記念ライブとかは日程的にも金銭的にもチケットの当選確率的にも絶望的で、「行けないこと」に気持ちの折り合いがつかなくて「別にいいし」とめちゃくちゃ強がっていた。
(今思えばツアーで地元公演があることがどれだけ幸運なことかわかってなかったな)
(Silver Jubileeを友人がチケ当ててくれたときは本当に夢かと思った、ありがとう。いつか自分でも当てて恩返ししたい)
口には絶対しないけれど「自分が1番好きなのに」を体現できないことが悔しかった。
若い頃の自分、とてもかわいい。抱きしめてあげたい。
それだけ影響を受けていながら、わたしはバンプがどれだけリスナーの方を向いてくれていて、どれだけ想ってくれているか、10年以上気付いていなかった。
バンプとの向き合い方が徐々に変わったのは、地元を出てからな気がする。
現在の夫と遠距離交際の後、同棲するため関西に引っ越した。
慣れない土地で、仕事も変え慣れない週5勤務で、「関西ならライブもいっぱい行けるぞ!」と思っていたはずが、あっという間にライブハウスから足が遠のいてしまった。
気付いたら出戻りオタクになっていた。
自分をストレスから守るのに1番よかったんだと思う。
漫画もたくさん読んだし何年も描いてなかった絵も板タブ、iPadを買いデジタルで描くようになった。
外に出ていくタイプのオタクなので、舞台観劇が増えた。
お金の使い道がガラリと変わった。
気付いたら行くライブはバンプと、他は年に1〜2回になっていた。
「もうライブ行くの減らそう」と決め打ちしたわけじゃなかった分、生きていく上で削ることのできない部分なんだと実感した。
好きなものを好きでい続けることも新しい何かを好きになることも体力がいるんだなと思った。
今回のホームシック衛生に行く直前、いろんなことを考えた。
orbital periodの曲は去年のツアーでもちょっとやってるし定番曲もあるけど他も全部やるのかなあ、じゃあ《飴玉の唄》聴けちゃうのかなあ。
うわ〜《涙のふるさと》めっちゃ嬉しい。ずっと聴きたかった。(わたしが行った3公演ではやらなかった)(ギーーーーーー!!!!!!)
流石に新曲だし《Sleep Walking Orchestra》はやるよね、楽しみー(やらなかった)
でも1番は、
3年連続バンプのライブに行けるんだな、ヤバいな。
ってことだった。
バンプを長いこと好きでいる方が読んだらすごい勢いで頷いてくれると思う。
これは藤くん自身「今まではオリンピックくらい期間が空いたこともあってごめんね」的なことを言った事があるから大袈裟ではない。(何のライブだったかは忘れました、aurora arcかSilver Jubileeかもっと前か)
「3年!!3年連続バンプ観れる!!すご!!」と騒いでは夫に諌められた。
これも、いつのツアーだったか覚えてないけれど、チャマが
「生きてるうちにあと何回ライブができるんだろうって考えたら、多分そんなに多くない。
だから全力でやるからどうか聴いてください。」
と言っていたことを思い出した。
ステージ上の人にそう言われたら、現実的にツアー全通はできないわたしはもっと少ないんだな。
怖いな。
ずっと聴いていたいし、笑ったり泣いたりしたい。
限られてるならせめて覚えていたい。
わたしの薄っぺらい人生の中で忘れたくない瞬間なんていくつもなくて、その“忘れたくない”中にバンプのライブは確かに存在してるのに、それも容赦なく薄くなってる。
ライブに行く前なのに、寂しい、いやだ、消えてほしくない!!という感情でいっぱいになってしまい泣いた。
夫は慰めながら「脳の記憶力司るところ機械化するしかないね」と言ってきた。
そういうことじゃないだろ。
そんなこんなで大阪公演初日。
クソ寒い。まじで寒い。
グッズ時間待ちながら凍えた。スマホ紐も売り切れて買えなかった。悲しい。
カーディガンとかの薄着の人もいっぱい見かけたけど大丈夫だったのか。
でもライブが始まったらあっという間にぽかぽかになった。気付いたらロンTの袖も捲ってた。
久しぶりに聴ける曲も、よく聴いてる曲も、どうしてこんなにもうれしくなるんだろう。
胸がいっぱいになっちゃうんだろう。
これも結局“覚えてる限り”だけど、毎公演涙が滝のように溢れる瞬間があって、この日は《花の名》だった。
藤くんの歌詞替えがとんでもなくて、わたしはメモ取るどころか感情がめちゃくちゃで記憶も曖昧なのでどんな歌詞だったかは書けないんですけど。(本当になんでこれ書いてるんだろうね)
全体を通せば元歌詞と意味は大きく変わらないのに、ライブではよくやるから何度も聴いてる曲なのに、バカみたいに泣いた。
藤くんは、今回でも今までもずっと、
「君に会いたかった」
「大勢の中のひとりだと思うな」
「君がいなきゃ今日の音楽は生まれなかったんだよ」
って何度も何度も言ってくれていたのに、この日この時までわたしは全っ然わかってなかったんだなーーーー。
17年前のSETSTOCK‘07から、ホームシック衛生2024まで、何十回とバンプのライブを観て、たくさん泣いて笑って、自分の人生を自分の足で歩かなきゃいけないやってらんないしんどさを支えてもらっていたのに。
誰にも伝えられない「誰か助けて」を抱えながらでも生きてこれたのは、バンプの音楽があったからなのに。
そんな“想い”はわたしの勝手な都合で、そんなことはアーティストには関係なくて、勝手に好きになって勝手に影響を受けて勝手に人生の支柱にしてるだけで。
・新曲が出る←うれしい、すぐ聴く
・アルバムが出る←うれしい、予約する
・ライブがある←うれしい、チケ取れますように
・新しいグッズが出る←かわいいやんけ、買う
全部自分のためでしかない。
受け取ったもの以上に返せるものがない。
リスナーがどれだけ想ってるかなんて、伝わらなくてもよかったのに。
広島公演2日目の最後のMCで、藤くんが
「ライブは基本的に同じことの繰り返しです。
決まった曲をやって決まったアレンジをやって。」
と言った。
わたしはここでダウト!!!!と思った。
あなた今日も昨日も違う歌詞歌いましたよね全然同じじゃないですよね!!!!
と叫びたかったが堪えた。
「CDと同じなのに何で来てくれんの?」
藤くんの問いに、会場総意だったであろう
「会いたいからだよ」
を誰かが叫んでくれた。
「そうだよな、俺も会いたいからだよ」
もうこれ以上やめてくれーーーー。
「終わっちゃうの寂しいよ」
「次いつ会えんの? なあ」
わたしたち藤くんと付き合ってたんだっけ…
ふとそう思ってしまうくらいには拗ねてたな、44歳(当時)藤原基央。
何も返せないのに、これ以上優しい言葉をかけるのはやめてくれ、と思っていた。
でも今は
「おうおう、そっちがそこまで言うなら覚悟しろ!!」
くらいには思ってる。
ライブ中は、いい歌詞だなあ、なんて油断してはならない。
BUMP OF CHICKENは、全力で「わたし」に向けて歌ってくる。
その覚悟に見合うくらいの覚悟を、と言いたいところだけどそんなのは死んでも無理かもしれない。
わたしにできるのは、
4人が「聴いてほしい」と鳴らしてくれる音に
「聴こえてるよ」と返す事くらいだ。
とうの昔に打ち切りを迎えていたかもしれない人生に
「生きるのは最高だ」
と、心から叫ぶことのできる場所をくれて、本当にありがとう。
どうか1日でも1秒でも長く、4人が鳴らす音楽が響く世界に生きていたい。