二者面談結成一年
香川県高松市にある私立校、大手前高松中学・高等学校教員のムラチです。英語科の教員で、現在は中高一貫コースの主任と戦略企画室の主任もやらせていただいております。
現在、中学生のヨシジマと「二者面談」というコンビで活動し、色々なところで漫才を披露しています。
M-1グランプリ2023ではナイスアマチュア賞
今年のM-1グランプリ2024では二回戦進出
という成績を残しました。
なぜ今漫才をやっているかというのを、私ムラチ目線でお話しさせていただくと、
①14年前にお笑いサークルの幹事長だったが、その後13年間お笑いを封印
②中2の教え子ヨシジマが「お笑いをやりたい」と言い出したが、相方がおらず、自分が組んであげることに
③コンビの初舞台としてM-1グランプリに出場したら「ナイスアマチュア賞」という謎の賞を取ってしまい、動画が拡散され、引くに引けない状況に
④一年後のM-1で勝ち抜くために振り切って新ネタを連発する
という流れでした。
結論から言うと、
挑戦してよかった!!!!
と心から思います。
本日はお笑いに挑戦した経緯を①〜④の順に書かせていただき、その後、なぜ挑戦して良かったと思うのかについて述べさせていただこうと思います。
①14年前にお笑いサークルの幹事長だったが、その後13年間お笑いを封印
私は大学時代はお笑いに青春を捧げていました。
早稲田大学お笑い工房LUDOという、漫才・コントを披露するサークルの第9代幹事長でした。※早稲田では部長を幹事長と言う。
ひょっこりはんやニャンコスター、ハナコの岡部さんなどの有名芸人を次々と輩出した大学お笑い界の名門サークルです。ちなみにひょっこりはんは高校からの友人で、大学3・4年の2年間コンビを組んでいました。
現在は部員数約300名と聞いており、全国最大規模だと聞いておりますが、
自分が大学一年生で入部した時は
同期部員ゼロ(私のみ)
一つ上の先輩1人
先輩たちの合計9人(大学院生がほとんど)
という廃部の危機にありました。
ただ、自分は「人数が少ないサークルの方がたくさん舞台に出れる」と思い、もう一つあった伝統あるお笑いサークルではなく、潰れかけていたLUDOに入り、サークルを立て直すことにしました。
結論から言うと、このお笑いサークル幹事長時代に
「部員を80人規模に立て直す」
「M-1グランプリ2010三回戦進出」
「R-1ぐらんぷり2011二回戦進出」
「大学生M-1グランプリ準優勝」
「全日本大学生お笑い選手権D1グランプリ団体戦準優勝」
「慶應や上智、明治など他大学サークルとの交流を深める」
などの実績を残しました。めちゃめちゃ苦労はしましたが。
そして、お笑いはやり切ったと思い、芸人にはならず、サークル幹事長の経験の中で感じた
「人の成長をサポートするのが向いているでは」
という思いを元に大手企業の内定を辞退して教員になることに。就職を一年遅らせて科目履修生で教員免許を取りました。
私立校の方が自由にできそうということや、まだ一回も行ったことがない県で教員になろうと思い、たまたまご縁があった大手前高松で13年前から教員をやっております。
相当な覚悟で教員になったので、お笑いをずっと封印していました。一年目から担任を持たせてもらい、毎日目の前のことに集中し、それだけでいっぱいいっぱい。
そういう中である日生徒から
「ネットで調べたんですけど、先生ってお笑いやってたんですか?」
と聞かれました。
それに対して、
「それ俺ちゃうで。人違いやで。」
と答えてしまい、
その後
「お笑いをやっていたと言うの恐怖症」
になってしまいました。
あれだけ必死にやってきたことを生徒にバカにされるのが怖かったのでしょう。
なぜか「お笑いやってた」と言えない。
ハードルを下げて「面白い先生」のままでいたいってことだったのか?
そんな中、教員5年目にサークル仲間のひょっこりはんやハナコの岡部さんなどがテレビに出だした時に、担任をしていた高2のクラスで
「めちゃめちゃ言いにくいんやけど…」
「彼ら俺のサークルの後輩で売れてほしいから、応援してやってくれ…」
と勇気出して震えながら言ったら、すごく温かい反応が返って来て、そこからはだんだん過去やってきたことを隠さずに生きれるようになってきました。
その後、「お笑いをやりたいから教えてほしい」と色んな生徒に言われ、学園祭や新入生歓迎行事などでお笑いをやる生徒のサポートをする中で、いつか自分もお笑いをまたやってみたいなぁと思うようになりました。
また、担任した高校生の学年が学園祭でお笑いをやったのですが、その子らが大学受験で前代未聞のものすごい合格実績を出したので
「お笑いってもしかして教育的な効果あるんちゃうか」
と思い、夜間に通った大学院でお笑いの教育的効果に関する論文も書きました。優秀賞を受賞しました。
そういう経緯で13年間お笑いをやってこなかったのですが、ある中2生徒の誘いでお笑いを再開することになります。
②中2の教え子ヨシジマが「お笑いをやりたい」と言い出したが、相方がおらず、自分が組んであげることに
2023年の7月、一学期末に中2女子のヨシジマが「お笑いを本気でやりたいから部活を作ってください」と言って来ました。
まあ、大学院でやってきたお笑いの研究がホンマに合ってたのか検証してみたいというのと、
ヨシジマはプレゼンなど発表をやらせれば抜群の逸材だと感じていて、これを高3まで育てたら上沼恵美子さんみたいになるんちゃうかと思い、
「ほなやろか。とりあえず相方を探そう」
ということで、同じ学年でお笑いをやれそうな子5人リストアップして、誰とコンビを組むか作戦会議をしました。
ヨ「どの子も部活や習い事で忙しそうなので…無理そうですね〜。」
ム「ほな俺しかおらんやん。」
ヨ「先生、コンビ組みましょう!」
?????????
マジ?
ということで、当時中2のヨシジマとコンビを組むことに。
コンビ名は「二者面談」。ちょうど1学期終了で三者懇談の時期だったので。
で、ここからもう一つ問題が。
初舞台をいつにしようか?
自分は大学一年生の時、初舞台が早稲田祭で、観客が温かすぎて、何言っても笑ってくれる感じでドッカンドッカンウケてしまったから、その後調子に乗って痛い目に遭った記憶がある。同じネタで大会に出たら無風でショックがあまりにも大きかった。
なので、恐らくコンビ組み立てのアマチュアが一笑いも取れないであろう、M-1グランプリの一回戦に出場することにしました。
約2週間後のM-1一回戦に出て、スベリ散らかそう!
最初にスベッて強くなろう!
そう言ってヨシジマも理解してくれ、OKしてくれた。
しかし、M-1出場にあたってここでもう一つ問題が。
未成年がM-1グランプリに出場するには、エントリーシートに「親の印鑑」が必要なのです。
中学生の女子がお笑いに足を踏み入れるのは、だいたいの保護者はNGだと思うけど…大丈夫か??
とりあえず保護者に電話することに。
「あ、もしもしムラチです。お世話になります。ヨシジマさんですか?実はお子様とM-1グランプリに出ようという話になっておりまして…。でもM-1グランプリのエントリーシートに印鑑が必要なのですけど、それって許可していただけたりしますか?」
と言うと、
ヨシジマ母「印鑑ですか?今から持って行きますね。」
??????
保護者のハードル超えるのが一番難しいと思ってたけど、すんなり行きすぎて、怖い!!
なんならヨシジマ母は協力的すぎるくらい協力的で、家で台本の僕の役をやって娘とネタ合わせしてくれるくらいの逸材でした…。しかもおもろい。
こうして、二者面談としての活動が始まりました。
③コンビの初舞台としてM-1グランプリに出場したら「ナイスアマチュア賞」という謎の賞を取ってしまい、動画が拡散され、引くに引けない状況に
8月2日にエントリーシートを提出し、そこからネタを書き、8月7日に練習を開始し、4回くらい合わせて8月11日のM-1グランプリ広島予選に出場。
M-1一回戦は1日に80〜150組くらい出て、各2分。二回戦進出は20%くらい。非常に狭き門です。プロやプロ志望、大学や社会人でお笑いやってる人などが集まる中、目立たないとアマチュアでは通過できない。
とにかく今回はスベリに行くけど、1年後には絶対に勝ち進みたい。そのために今回はやはり何らかの爪痕は残して帰りたかったので、「奇襲作戦」に出よう。
「歯の妖精さん」という謎の奇抜な設定かつ、英語教師である自分のキャラを活かして、「英語ツッコミ」というのを盛り込み、とりあえず目立とうと。
広島では2人ともめちゃめちゃ緊張して、発表能力抜群のヨシジマは朝に緊張で戻したらしい。
控え室に入り、芸人がネタ合わせをやってる。
「ああ、懐かしい。」
大学生の頃を思い出す。
そして本番。
やり切った!!!!
無風かと思ったら…ちょっとウケてしまったぞ???
ウケてしまったが故に、ちょっと期待してしまうぞ??
Instagramのライブ配信で結果を聞く。
その日最もMCに印象に残ったコンビに贈られるナイスアマチュア賞は…
二者面談です!!!
???????
マジか!!!!!
めちゃ喜ぶヨシジマ親子。
めちゃ複雑なムラチ。
なぜ複雑なのか???
ナイスアマチュア賞とその日のトップ3は後日YouTubeに配信されるからである。
夏休みに、僕が生徒と漫才をしてる動画が拡散される恐怖!!!!
夏休み明けたら、めちゃめちゃバカにされるんちゃうか??ある程度ちゃんとしたネタならまだしも、奇襲ネタが流れるのか…。
「ナイスアマチュア賞は後日動画に流れます。ナイスアマチュア賞の権利を辞退したい組は受付で申し出てください」と受付に貼ってあったのを見て、
「絶対ないけど、もしそうなったら嫌やなー」って言ってたら、ホンマにそれを取ってしまった。
「お笑いをやっていたと言うの恐怖症」やったのに・・・。
知られてしまう・・。
4日後に、YouTubeに上がって、
恐怖・・・。どうしよう???
ここで、出した結論は、
隠そうとするからしんどいのでは?
めちゃめちゃオープンにしたら、この恐怖感はなくなるのでは?
そう思って、動画のリンクをLINEやFacebookなどの知り合いに片っ端から送りまくりました。
「面白かった」とはあまり返ってこんかったけど、色んな人から
「勇気もらえた!」
「自分も頑張ろうと思った!」
と言ってもらえて、涙が出てきた。みんなホンマ優しいなぁ。
そんな感じで、そこから一年後のM-1で勝ち進むために「二者面談」としての挑戦が始まりました。
④一年後のM-1で勝ち抜くために振り切って新ネタを連発する
そこから1年間で、翌年のM-1まで新ネタを計16本(フルタイムで教員やりながらは驚異かと)、色んなところで披露してきました。
学園祭の中庭フリーステージ
教員の自主研修会「ユビキタス研修会」
千葉大学教育学部&千葉大学教育学部附属中学校
香川県アマチュア落語会の方々が主催する寄席
高松市役所の研修
子育て支援の団体NPO法人わははネットの「わははファミフェス」
株式会社ONDOの事業報告交流会
フレスコボール全国大会のハーフタイム
新入生歓迎行事
仏生山町門前祭りで灼熱の体育館の中
など、基本的には「漫才を見に来ているわけではない人たち」を対象に色んなところでネタをやり、腕を磨いてきました。
その場に応じたオーダーメイド漫才を作り、たくさんの人に喜んでもらえたと思います。
また、やってきたネタをYouTubeの「二者面談チャンネル」に全て載せて、オープンに活動してきました。
YouTubeの二者面談チャンネル登録者は1年間で600人を超え、生徒や保護者はもちろん、外部の色んな人に見ていただいています。
お笑いやYouTubeを始めてから、人脈が一気に広がりました。
「類は友を呼ぶ」と言いますが、お笑いをやって発信していたら、似たようなぶっ飛んだ人がたくさん寄ってきました。
ラジオやテレビ、新聞、ウェブ記事にも取り上げていただき、更にぶっ飛んだ人から連絡が来るようになりました。
芸人だけではなく、たくさんの県内外の経営者の方と知り合うことができました。
どうやら、中学生と教員の漫才コンビがネタをやっている姿は、色んな人に活力を与えているようです。
これからもガンガンネタをやって、発信していこうと思います。
そして、
1年後の2024年8月11日のM-1グランプリ広島予選で、一回戦を突破し、二回戦進出を決めました!!
決勝進出目指して頑張ろうと思います。
最後に、
「挑戦してよかった!!」
と心から思います。
M-1に出て、自分も相方のヨシジマもすごく成長してると思うのですが、それ以上に
学校全体で挑戦しよう!
という雰囲気が前より出てきたと思っております。
「挑戦する生徒を育てていきたい」
と思うのですが、そのためには教員や周りの大人が生き生きと挑戦する姿を見せていかなあかんと思うのです。
お笑いを再開するのに13年かかりました。
でも、やってよかったです!挑戦を始めるのはいつからでも遅くないと思います。
自分の人生経験上、
「人は緊張するときに一番大きく伸びる」
というのがあります。
お笑いほど緊張することはなかなかないですよ?
これからも教員として挑戦する姿勢を見せ続けていきたいです。