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京都の引力
学生時代を過ごした京都に、毎年吸い寄せられるように訪れている。気軽に行けるけれど、帰るときの離れ難さを振り切るのに毎回一苦労。特別な引力があるんだと思う。
4泊5日の滞在を終えた私は、今まさに東京行きの「のぞみ」の座席で京都の引力に必死に抵抗しているのだけれど、学生時代を過ごした思い出の街という補正を抜きにしても、唯一無二にして強力な引力の源泉について考えてみる。
京都に暮らす人たちの清潔さ
日々の暮らしや仕事を、毎日丁寧に取り組む人だけが得られる清潔さがあると思う。
街を少し歩けば、軒先の緑が美しい家にいくつも出会う。
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上七軒の名店「糸仙」では、新しい取り皿を次々に出してくれるのだけど、一枚として曇りもほんの少しの欠けもなかった。
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鳩居堂では自宅用のポストカードにしたってぴっしりと包んでくれるし、暖簾は少しのシミもなくパリッとしていて、混雑した喫茶店で店員さんたちはきびきびとそれでいて優雅に動き回っている。そうして生まれる清潔感は大変心地がいい。
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「丁寧」を継続することはとても難しい。「京都人はプライドが高い」という言説をときどき目にするけれど、そのプライド相応の仕事や暮らしをしている人も多いのではないか、と思う。
ささやかなユーモア
京都は、歴史と伝統を誇る街でありながら、緊張を強いられない。ところどころ、ユーモアが潜んでいるからだと思う。
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街を歩けば、至る所で京都の遊び心を目にする。
京都のユーモアは「チャーミング」とも近い。
前述の「糸仙」のおかみさんは、スタッフにてきぱきと指示を出し采配をふるう。「〇番さんにお茶出して〜!」と言った後、スタッフが皆座敷に上がっていることに気づき「だぁれもおらんかった」とノリツッコミをしていた。たまたま女将さんの目の前に座っていたから聞こえたけれど、誰に聞かせるものでもない、独り言だった。
イノダコーヒー本店の店員さんは、メニューを下げるのかと思いきや、まるでメニューを座らせるかのようにちょこんと置いていった。
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京都のユーモアが心地よいのは、あくまでベースに真面目さがあるからだ。ベースがてきとうだと、同じことをしてもユーモアやチャーミングではなく、だらしなさに受け取られることがある。ファッションにおいて、ピシッと決めた人が一箇所だけ崩すからおしゃれに見えるのと近いかもしれない。
新しいものの許容、そしてシビアさ
京都は歴史と伝統を重んじる一方で、新しいものへの寛容さも併せ持った街でもあると思う。
新京極では創業70年以上※の「ロンドンヤ」の横に台湾カステラの店ができていたし、地元の人に愛されるパン屋さんにはマリトッツォが「昔からおりましたが?」みたいな顔で並び、四条河原町の一等地にサステナブルをコンセプトにした複合施設がオープンした。
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でも、決して新しいものにやすやすと侵食を許すわけではない。受け入れるかどうかをシビアに判断して、京都の人々に認められたものだけが残っていく。何度訪れても飽きさせない一方、変わってほしくない部分は変わらない、そのバランスが絶妙なのだ。
ロマンチックでノスタルジック
京都の夜は、退廃的な色気と気だるさがある。
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街の雰囲気、東京よりも少しゆったりとした歩くスピード、数年周期で入れ替わる学生たちの刹那的なおしゃべり、深夜まで空いている喫茶店と古びた革張りのソファ。
東京で、似た色気を持つ街を挙げるなら神保町だと思う。二つの街に共通するのはカルチャーだろうか。色気と真逆の存在に思えるのに、不思議だ。
独特の時間軸
京都は、東京とは違う時間軸を持つ街だと思う。東京にいるときよりも、1日が長い気がする。時間の流れがゆっくりなのだ。
それを象徴するのが京都市内を南北に流れる鴨川と、人々の過ごし方。
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おしゃべりする人、読書に勤しむ人、昼寝をする人、ギターの練習をする二人組、よさこいを踊る大学生、シャボン玉を飛ばす親子、川で生き物を探す小学生、ずっと爆笑している女子高生三人組、大きなパンを食べる留学生らしき外国人、そのパンを狙うトンビ、置物のように動かないアオサギ、時々現れる鹿・ヌートリア。
神宮丸太町の「微風台南」という台湾料理店にも近しいものを感じる。のんびりとした店員さん、雑多な店内、座敷であぐらをかいておしゃべりに興じる客達。東京にも台湾料理店はあるけれど、きっとこうはいかない。
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誰も急いでいないし、焦ってもいないし、競争していないのだ。
友人が教えてくれたヘミングウェイの一節をなぞれば、京都はパリであり、移動祝祭日だそう。
――もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。
(ヘミングウェイ「移動祝祭日」)
京都での日々は、競争しなくても得られる幸福があるという明るい事実とともに、私の生涯についてまわることだろう。
色々書いたけれど、京都の引力の正体は、「競争から降りていいよ」という優しい誘惑なのだと思う。
その気がなくてもいつの間にか競争や勝負に駆り出されている東京をまだまだ楽しみながら、京都の引力に身を任せる選択肢もあることを忘れずにいる。