世界で1番自由な保育士Nikoです
はじめまして!✨
世界で1番自由な保育士、Nikoこと小西なつきです。
私はInstagramを通して
自身の旅の記録や自然の風景、美しさを表現しています📷
今日は普段Instagramには書ききれていない私のプロフィールを🌱
私の人生の振り返りも兼ねて書き記したいと思います🙏
Nikoとして発信すること早5年!
まともに自己紹介もせずごめんなさい🙏
今までお付き合いのある方々も、はじめましての皆さんも!
改めまして自己紹介させてもらいます!
Nikoってだれ?
☺︎Niko (小西 なつき)
出身:沖縄県那覇市
在住:千葉県松戸市
生年月日:1986年8月21日(36歳)
職業:保育士/親子向けイベント企画
趣味:旅/ものづくり/写真/カフェ巡り
性格:ポジティブ、明るい、アクティブ
Nikoの軸〜なぜ保育士に?〜
Nikoは2018年に起業し、フリーランスの保育士として活動しています。
保育園に勤めず?幼稚園でもなく?保育士さんってフリーランスになれるの?なんて声は初対面の人には必ず言われます。
いわゆる訪問保育士です。お客様の自宅にお伺いたり、出先のホテルや施設などで保育をしております。
私が“保育士になる!”と決めたのは小学校の頃。(多分、きっと5年生くらい)
今思うと小学校の頃からやりたいものが決まってるって本当に幸せなことだと思うんです。
私は絶対に“保育士になる!”としか思っていなかったから職業体験はもちろん保育園だったし、中学の卒業文集には「子どもの気持ちを理解できる大人になる」と書いてました。
私は3姉妹の末っ子で、周りには自分より小さい子はほとんどいなかったから不思議なものです。でも子どもといるとしっくりくる感覚はしっかり持っていた。すごく芯のある子でした。
夢を叶えて保育士に
保育士になる夢を追って無事専門を卒業し、いよいよ保育士デビュー。
小学校からの夢が叶う瞬間。子どもたちと過ごせる日々を想像して心躍らせていました。
夢を叶えて保育士になれたこと、毎日子どもたちと過ごせる日々。そして自分の好きなことでお金をいただける喜びは大きかったです。
私の人生には子どもたちがいなくてはならないと確信することとなりました。本当に好きなことをできることはこれ以上ない幸せだと思いました。
旅の目覚めの出発点、オーストラリア
初めての海外旅行はオーストラリア。それは必然でした。
なぜなら、当時ワーホリでオーストラリアに行っていた姉に会いに行くため!
初めての海外旅行に全く不安はなく、入国審査などなど初めてのことでも動じない持ち前の“なんとかなるっしょ!“精神。自分でもアッパレだと思います(笑)
現地では英語でオーダー取ったり、ホテルのチェックインも姉には全て任せっきりで、何も困らない初の海外旅行。ただただオーストラリアの美しい自然と、とってもフレンドリーで親切なオージーに触れ海外旅行の楽しさに目覚めました。
旅にどっぷりハマる
最初の頃はツアーを使って、友達と、姉妹で、家族でと誰かと共に行く旅を楽しんでいました。旅先の景色を見ること、アクティビティ、美味しいもの、日本とは異なる景色や言語、文化、どれも新鮮で新しい世界を知れることがワクワクで仕方なかったんです。それを誰かと共有できることもすごく大切な時間でした。
親友が妊娠したことをキッカケに一人旅に目覚める
2014年。その年はちょうど親友とタイに行く計画をしていたのですが、「ごめん、妊娠しちゃった!」と親友からの一報(笑)タイに行く理由がなくなってしまったんです。
どうしようかと考えた結果、せっかくだし一人旅しよう!自分が行きたいとこに行こう!と決めたのが一人旅にハマっていくキッカケでした。
一人旅に決めた場所は、スペイン、フランスの2カ国。念願のサグラダファミリア&モンサンミッシェルを見れた時の感激は今も鮮明に覚えています。
一人旅を始めたことで、自分の選択で自分の好きなところに行き、心のままに感じるものはお金では買えない経験であることを肌で感じました。
最愛のパートナーとの出会い
2014年。一人旅を始めてバルセロナで出会った最愛のパートナー。
バルセロナに入ってすぐに出会ったんです。初めて会ったように感じない心地よさは今も覚えています。
世界一周経験のある彼はひとまわり以上年上なのですが、いい意味で「普通」ではない。(笑)年を気にせず好きなことをしている彼との出会いは歳を重ねることに抵抗感を全て払拭してくれました。
彼との出会いで今私は好きなことを心からできていると思うと彼との出会い、縁にもとてもとても感謝しています。
そして親友が妊娠しなければバルセロナではなく、タイに行っていていたはず。彼との出会いもなかったと思うと、全てのことにはきっと意味があって起こることなんだとしみじみ思います。
出会って8年。彼は私の1番の理解者だと思っています。
大好きな仕事を泣く泣く諦め、30歳でワーホリへ
大好きな保育士をしているのにも関わらず、社会の中で悶々とすることばかりでした。
社会へ出て気づいたことはなかなか社会に馴染めない自分。
集団行動が難しく、いわゆる“普通”とされることが理解できず苦労をしました。暗黙の了解が多すぎる日本の社会に適合できなかった。
保育士がしたいだけなのに社会の中で上手く調和して生きることが難しかったんです。
社会での生きずらさも感じていた30歳を目前に「オーストラリアに行く!」と決意。
日本という枠組みから逃げ出したかった。今となってはあの頃感じていたしがらみを全部脱ぎ捨てたかったんだと思います。
オーストラリアに行ってみて感じたのは「あ、人ってこんなに自由でいいんだ」ということ。余計な力が入っていた肩の力がすーっと抜けていったような気がしました。ナチュラルに、自由に生きるオージーを見ていたら日本という小さな島の小さな一角で悩んでいた自分が本当にバカらしく思えて悩むことをやめました(笑)
本当にオージーは素晴らしい。裏表のない国民性、自己表現を真っ直ぐにしてくれる素直さ、相手を褒める、気遣う細やかさ。そしていい意味での適当さ(笑)
オーストラリアへ行けたことは人生の宝物となる経験となりました。
何もかも手放して見えたもの
オーストラリアでは帰国直前、人生で初めて挫折を経験しました。
頸椎ヘルニアが発症し、せっかく手に入れたローカルの仕事を休まなくてはいけなくなり、申し訳なさと働けないことの悔しさで精神的にやられてしまいました。
塞ぎ込みがちになり、家に引きこもり泣いてばっかりいました。小さい時から泣いてるところを見られたくない強がりだった私は、誰にもこの状況を知られたくなかった。強がって家族にもパートナーにも言えなかった。でも我慢の限界で、この時ばっかりは日本にいる母に泣きながら電話したのを今でも覚えています。
塞ぎ込みがちで人にも会いたくない・・そんな状態が続き、こんなことではダメになると思った時に向かったのは大好きなビーチでした。
毎日のようにただ美しい海を眺める日々。働けない自分は社会から遮断されたような気分で誰からも必要とされていないのではないか・・・どんどんネガティブに考えてしまう気持ちを海はいつだって優しく癒してくれました。
どん底から救ってくれたのは“自然”
ワーホリ中の日本人であれば渡豪中ウルルへ行くことは楽しみの一つかもしれません。私も帰国前に絶対ウルルへ行くぞ!と早々にワクワクしながら計画をしていました。帰国直前に体を壊すことになるなんて思いもしなかったわけですから。
体も痛いし、メンタルもやられているしで、最後の最後まで予約してしまった飛行機に乗るかどうするか・・・随分悩みました。でもやっぱり行きたい!という気持ちが勝り、とりあえず行くだけ行ってみよう、ダメならずっとじっとしてよう、そう決めました。
この決断は私の人生を変えてくれるキッカケだったと思います。この地に行かなければ私はまだ塞ぎ込んでしまっていたかもしれない。本当に意味のある決断でした。
ウルルで見た景色はどこを切り取っても壮大で、何もなくてただ自然の中の一部。
そんな雄大な景色を見ても、どこか私の気持ちはまだ塞ぎ込んでいて、何事も前向きに捉えられなかった。
そして人生を変える出来事はツアーに組まれていたウルルに沈むサンセットを見に行くというアクティビティ。残念ながらポイントに向かう際には雨が降り、「これはサンセット見れないね」とガイドも言うほどでした。
雨雲が漂い、小雨降る中、誰もがサンセットを諦めていた矢先のこと。
直前までどんよりとウルルを覆っていた雨雲から光が差し込んできました。そしていつの間にか雨が上がり、雨雲の隙間から太陽が少しずつ大地を照らしてくれました。
そして瞬く間に雲が去り、そこに現れたのは2本の完璧な程の美しい虹。ウルルにかかるように壮大に。
私はいつの間にか気付かないほど大粒の涙を流してました。恥ずかしげもなく、わんわん泣きました。辛かった感情をやっと自然の前で全部吐き出すことができたんです。たくさん泣いて吐き出せたおかげで、私はやっと前を向くことができました。
“諦めなければきっと素晴らしいことが待ってるよ”という自然からのメッセージ。
これほど自然に感謝することができたのもあの出来事があってのことでした。
私はあの時の出来事から“当たり前のことに感謝”するようになれたと思います。
保育士も旅も全て諦めない人生を
私は今自由に保育士をして、自由に旅をして、生きています。
私は欲張りだから人生に悔いを残すこと、納得いかない環境で生きることは絶対にしたくない!そう思って生きてます。
親の言うことも聞かず、自分勝手にわがままな人生を送ってきた私だから伝えたいことがあるんです。
「人は誰でも自由でいい」ということ。
たくさん悩んで、でも動き続けてきたことでとってもシンプルな答えに辿り着きました。こんなにもシンプルなのに気付けなかった大切なこと。私は保育者として子ども達にも伝えていきたいと思っています。
だって人に左右されて生きる人生なんて自分の人生じゃないから。「わたしらしく生きる」と決めれば人生はいつだって輝く。そう信じています。
沖縄でのクリーン活動開始
2022年。私はひょんなご縁からビーチクリーンを開催することなりました。
それは人に「ビーチクリーンがしたいんです」って話したことがキッカケでどんどんご縁が繋がって実現していったんです。今まで人に対して心を閉ざしていた私が、人の力で夢を実現させることができたんです。
いわゆる「社会不適合者」のレッテルを自分自身で貼りつけてしまった私は、いろんな人と出会い、たくさんの刺激を受けて、やっと人と調和できるところまでこれました。一度人間嫌いの分厚い鎧を着込んでしまったNikoもようやく重たい鎧を脱ぐことができました。
人と関わることに抵抗感を持っていた今までは「誰も私のことを分かってくれない」とい思い込んでいたんです。今、人と積極的に関わるようになって思うことは“世界は愛で溢れてる” “私を理解してくれる人がこんなにもいる”というあったかい世界でした。
たくさんの遠回りをしてやっとこの感情まで辿り着けたと思います。
やっとこの感情を受け止められて芽生えたのは“私を救ってくれた自然に少しでも恩返しがしたい“ということです。
ビーチクリーンは始めて間もないのですが、今後も私ができることを、できる限り続けていきたいと思っています。
ビーチクリーン仲間、募集中です!一緒に地球をきれいにしましょう!!
最後に
私は昔から思っていました。「木になりたいなぁ」ってことを。なぜだかわからなかったけどずっと思っていたことなんです。木のそばに行くとエネルギーが湧いてきて、そのエネルギーで自分自身を循環させていたような気がします。だから自然と木にそばにいたのかもしれません。
揺るぎなく、根を張り、しっかりとした芯を持ち、どんなことにも屈しない強さを持つことの大切さを木は教えてくれているような気がしてます。
私は後悔することを1mmもしたくない。「小西なつき」として生まれたからには、「小西なつき」として人生を楽しくさせたいんです。だってどうせ生きるんだから楽しんだ方が断然面白い人生になる!いつもどんなこともポジティブに変換して私だけの人生をクリエイトしようと思います。
そして、いつでも挑戦する大人でありたい。未来を築いていく子どもたちにも見せていきたい姿です。
失敗を臆することなく、どんなことにも挑戦できるマインドを持てるように私も生涯保育士として子どもたちに伝えていきたいと思っています。
長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!
今までお付き合いのあった方も、初めての方もどうぞよろしくお願いします☺︎
2023.4
☺︎Niko
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ウェブデザイナーさんのいしやまなおみさん私のインタビューしてくださいました。
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